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夕飯のハンバーグは、おばあちゃんの家で作った肉汁たっぷりレストランの味、というよりは、ファミリーレストランのお子様セットのようだった。
ケチャップとウスターソースと砂糖、そこにリンゴとパイナップルを入れて煮込んだフルーツソース。ソースは同じだったけれど、ミチルちゃんが粘土遊びのように捏ね捏ねして作ったハンバーグは、歪な猫の形をしていて、焼いてるうちに所々に穴が開いて、肉汁が溢れ出てしまっていた。フライパンだと火を使うし、油も跳ねる。安全を考慮して、オーブンで焼いたせいかもしれない。
固く縮んだハンバーグは、ちょっとショックだった。ケーキに続き、ハンバーグまで失敗したと落ち込む私を見て、洸太君は「そうだ」と、スライスチーズと海苔で目を作り、キャラハンバーグにリメイクしてくれた。それじゃあと、私は私で、ニンジンを星形に抜いてポテトサラダに散らした。ブロッコリーとプチトマトを添えて。なかなか上出来なお子様プレートになった。
「わぁっ」顔を輝かせて食べるミチルちゃんの姿。
「これっ、ミチルがつくったのっ」足をバタバタさせて喜ぶ姿。
「しゃしんとってとって」食べる前にはみんなで記念撮影もした。
お姉ちゃんも生まれた赤ちゃんが大きくなったら一緒に台所に立ち、こうやってご飯を作るのかな、なんて。そう思ったらちょっと羨ましいような、嫉妬するような気持ちが沸く。お姉ちゃんはいつでも他人が羨むような世界を簡単に手に入れてしまう。
私とは、違う。
『お風呂が沸きました』壁際から女性の声がした。「さっちゃんっ」背後から呼ぶ声がして、洗い物の手を止める。蛇口を捻り水を止め振り返ると、ミチルちゃんが「おふろできたっ」と自慢げに胸を張っていた。
手を拭き拭き、ミチルちゃんの目線までしゃがみ込み、洸太君を真似て「おぉー、お風呂係さんありがとう」と言ってみる。
洸太君曰く、福山さん宅ではミチルちゃんがお風呂の係——と、言ってもお風呂場のボタンを押すだけ——だから、『お風呂が沸きました』を聴くと嬉しいのだという。
ミチルちゃんは「ふふふっ」とくすぐったそうに肩を竦め「いこっ」と私を誘った。ちょうど洗い物もひと段落したところだ。
ダイニングテーブルでスマホを触っていた洸太君が「俺、あと拭いて片付けときますね」とタイミングよく声をかけてくる。「どうだった?」尋ねると、洸太君は首を静かに横に振った。福山さんのLINEは未だ既読にならず、電話も圏外のようだ。
——でも。
とりあえず、怪我や火傷もなくご飯を作り、夕飯も食べ終わった。あとは、一緒にお風呂に入り、絵本を読んで寝かせるだけだ。前回泊めてもらった時、福山さんは「ミチルは一度寝たら朝まで起きませんから」と言っていた。だとすれば、あと少し。あと少し気をつけていれば、無事にお留守番バイトは終了できる。そう思うと、ほっと胸を撫で下ろしたい気分になった。
ガタッ、椅子を引き洸太君が立ち上がる。台所までやってきた洸太君に「じゃあ、先にミチルちゃんと入ってくるね」と布巾を手渡して、ミチルちゃんとお風呂に向かった。
福山さんの家は中庭を囲んでロの字型になっている。ダイニングを出て、廊下を進み、寝室だと思われる部屋の手前に洗面所とお風呂。前回はシャワーを借りたけど、今日はミチルちゃんが溜めてくれた湯船に浸かる。人様の家のお風呂に浸かるなんて、いつぶりだろうと思った。なかなかそんな機会はない。
ミチルちゃんは洋服を自分でさっさと脱ぎ、洗濯カゴに放り込むと、黄色いアヒルが入った風呂桶を持って風呂場のドアを開けた。入浴剤なのか、フローラルな香りが脱衣場に広がる。
「さっちゃんもはやくっ」
ミチルちゃんは、さっさと中に入って行ってしまう。ちゃぱん、音が聞こえたから早速湯船に入ったようだ。裸になるのは、なんだか少し恥ずかしい。でも——、と、洋服を脱ぐ。バスタオルを手に取って、ふと考えた。
——湯船に浸かるならバスタオルはいらない?
でも、このお風呂は後で洸太君も入るはず。
——裸でお湯に。その後で、洸太君も裸で?
そう思ったら、顔がかぁっと熱くなった。お湯に浸からず、ミチルちゃんを洗って出るだけでいいかもしれない。また、深夜にでもシャワーを借りればいいのだから。
逡巡した結果、であればと、バスタオルでギリギリまで肌を隠しお風呂場へ入る。
——刹那。
「え……?」目を疑った。丸くて広い湯船にミチルちゃんの姿がない。「ミチルちゃん?」声をかけ、湯船に近く。「ミチルちゃん?」もう一度声をかける。乳白色のお湯の中、黒いモノが微かに見える。ゆらゆらと揺れている。
ミチルちゃんの髪の毛だ。
まさか——、と思う。あれやこれや考えてる時間はもしかして長かったのか、自分では分からない。
「ミチルちゃんっ!」手をお湯の中に突っ込もうとした。と、ゆらぁと黒髪が動き、ミチルちゃんの丸い頭部が白いお湯の中から、がばぁーとゆっくり出てきた。
「うびぼうずだぞぉー」
かくんと肩が落ちる。ミチルちゃんは戯けて「きゃっきゃ」笑うけれど全然面白くない。脱衣場の扉の向こうから「紗千香さん、大丈夫っすか?」と、洸太君の声が聞こえた。「大丈夫ー」大声で返す。ダイニングに居た洸太君に聞こえるくらい、私は大きな声が出ていたみたいだ。
バスタオルの上から胸に手を当て、はぁー、と長い息を吐いて洗い場の風呂桶に腰掛ける。一瞬、溺れて沈んでいるのかと思って、生きた心地がしなかった。
すだれのようにおでこに前髪を貼り付けたミチルちゃんは、丸い目を見開いて「こわかったぁ?」と嗤う。自然に「もぉ、怖かったよっ」口調が強くなった。「きゃははっ」ミチルちゃんがまた嗤う。
「はぁー」身体中の空気がぎゅうぅっと雑巾絞りのように絞られる。
可愛いけれど、なんだかな、と思ってしまう。私には明日の朝まで安全にミチルちゃんを預かる責任があるのだ。そういう悪戯はやめて欲しい。
「きゃはっはっきゃはっはっはっはっ」無邪気な笑い声がお風呂に反響してる。
——もぉ、だから面白くないってば。
でもな、と思い直す。子供の悪戯に腹を立てるなんて大人気ない。それに、ミチルちゃんに悪気はないし、何より楽しそうだ。ひと息ついて、「溺れたかと思って心配しちゃったよ?」今度は優しく言い直した。
ミチルちゃんは湯船に腕をかけてゆらゆら身体を揺らし、「あのねぇあのねぇ」嬉しそうに話す。
「うみからやってくるんだよ」
「え? あぁ、海坊主だからね」
「ううん、ちがぁうよっ」
「え? 違うの? だって、こないだ絵本で読んだよ。海坊主は海からやってくるんだよね?」
「うみぼうずじゃないよぉ、ちょうちょうだよぉ」
「ん? ちょうちょ?」
「うんっ! ちょうちょっ! あたまにね、こうやって、こうやってぇ、おっきなはねがはえてるちょうちょがね、とぉいとぉいところからうみをおよいでやってくるの。それでね、それでね、えーっとね、きらきらのたまごをい〜っぱいうんだのっ」
「へぇー、そうなんだね」
そういう絵本がミチルちゃんの家にあるのだろうか。「なんてお話なの?」「わかんなぁいっ」ぶくぶくと泡を出しながらミチルちゃんは、湯船に少し沈んだり浮かんだりを繰り返している。その度に黒い髪が白いお湯の中をまるで生き物のようにゆらゆらと揺蕩っている。
「絵本があるのかな? あとで一緒に読む?」
「うぅん、ないないっ、えほんじゃぁないっ」
「そっか」
——であれば、ミチルちゃんの空想話なのかもしれない。
「ちょうちょが海を泳いでくるなんて面白いお話だね」
「おもしろくないよぉ。こわぁいおはなしなんだよぉ」
「そうなの?」
「うんっ! おばぁちゃんがいってたの。そっからにげてきたんだよって。だけどねぇ、ほんとはこわくないの」
「怖くないの?」
「うんっ! パパいってたもん。ちょうちょはいいかみさまでおばぁちゃんはうそつきなんだって。ミチル、おばぁちゃんきら〜いっ」
「そっか」ミチルちゃんの家は父子家庭。今までいろいろあったのかもしれない。家庭のことを突っ込んで聞いて、ミチルちゃんが嫌な思いをしたらいけない。
「そろそろお身体洗おっか?」
「うんっ!」
ザバァ、勢いよくミチルちゃんが湯船から立ち上がった。胸まで長い黒髪が、幼い身体に沿うように張り付いている。「よいしょっ」可愛い声を出して湯船を跨ぎ、洗い場に這い出てきたミチルちゃんの、そのお臍の辺りに目が行って、「ん?」と一瞬眉を顰めた。
——これは、痣?
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