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 しおった風が頬を撫でていく。小さく潮鳴きが聞こえる『カフェシャンティ』のテラス席は、公園にあるようなベンチ一体型のテーブル席で、四人で座るには少し狭い気がした。テラスから伸びた枕木はバージンロードのように海へとまっすぐ伸びていて、両サイドにはテーブル席が点在している。店舗は銀色に塗装されたプレハブ造り。越前海岸にこんなお洒落なカフェがあるとは思わなかった。


 自撮り棒を持った若い女性が二人、「海だぁ」とテーブルの横を通り過ぎていく。芝生に囲まれた枕木ロードの先には小さなベンチ。海を背景に映える写真を撮る——、と、そういうことか。女性達は枕木ロードを海へ海へと歩いていく。その様子を目で追いながら、できれば洸太君と二人、店内でカレーを食べたかったな、と思った。


 車の中で「こんなチャンス二度とないっすよ!」と洸太君は言っていた。確かに、YouTuberさんと一緒に食事なんて二度とないと思う。でもやっぱり借りてきた猫のように萎縮して、緊張してしまう。


 木でできた焦茶色のテーブルの上には、大きな海老と蟹の足が乗ったスープカレーのトレーが四つと、夢子さんが注文したミントたっぷりのモヒート。私の隣に座る洸太君は動画配信に興味があるのか、YouTube業界の話を夢子さんに訊いている。洸太君の対人スキルは半端ない。黙々とスプーンを動かす私と違って、洸太君は次から次へと質問を繰り出している。


「へぇー。じゃあ、皆さん同じ事務所所属なんすね」

「そうなのぉ。一緒に来た幽霊みたいな奴いるじゃん?」

「ああ、一緒に車から降りてきた人っすよね」


 視線を店内に動かす。ガラス張りの店内。ひょろひょろした男性がひとり、窓際のカウンター席でスープカレーを食べている。俯き加減で食べている姿は、髪の毛がボサボサで確かに幽霊っぽい。黒い長袖長ズボンだから余計にそう見える。黒い影が窓際に浮いているみたいだ。


「でさぁ」夢子さんの声で視線をテーブルに戻す。


「あいつが一応、今の社長なんだけどねぇ」

「へぇ、意外っす。あの人が?」

「ま、名ばかりのぉ? 事務的なというかぁ? 収入はアタシ達の方がもちろんいいんだけどねー。でさぁ、お金のこととか取材とかぁ。あと、弁護士案件とかさぁ、めんどくさいことやってくれるんだよねぇ」

「弁護士っすか?」


「そうだよぉ」夢子さんはモヒートをぐびっと呑む。半分ほど飲み干したグラスを置いて「だってさぁ」と、テーブルに肘を突いた。その上に顎を乗せ、上目遣いで洸太君を見る。夢子さんの顔は韓流アイドルみたいに整っている。こんなことを思ったら失礼かもしれないけれど、意外と年齢が上な気がした。三十代半ばくらいだろうか。それでもツインテールが違和感なく似合うのは凄い。洸太君の言う通り、スマホ画面から抜け出した生夢子さんの話を訊く。こんな機会は二度とないなと、カレーを掬いながら会話に耳を傾ける。


「言っちゃダメな話とかぁ、あとは、なに? あれだ。ネタパクってないか、とかぁ? まぁ、いろいろあるじゃんねー」


 夢子さんは「この人だってぇ、言わば二番煎じの人じゃん?」と、入道住職の背中に腕を伸ばし「ねぇー」と顔を傾けた。入道住職は「はい、はいはいはい」と、丸めた背中をさらに丸めて頷くと、「そうですねぇ」と目を福笑いのように細めた。二人並んで座っていると、入道住職が恵比寿様で、夢子さんは自由奔放な弁天様といった感じだ。


「怪談噺に説法を合わせて語るのは、私が最初じゃないですからねぇ。素晴らしい方がいらっしゃって、それを真似てやってみたところ、今のわたしがいるといいますか」


 その怪談師さんも知っている。有名なYouTuberの住職さんだ。でも、正直にそう言える入道住職の謙虚さが素敵だ。隣の洸太君は「あー」と天を仰ぎ、思い出すような声を出した後、「でも俺、入道さんの方が好きっすよ」と顔を戻す。


「それにやっぱり怪談系で登録者数五十万人超えは凄いっすよ」

「はははははは。えー、はい。でも、わたしのチャンネル登録者数が多いのは、事務所のPRが上手いからですよ」

「そんな、またまた、ご謙遜をっすよ。でも、そっかぁ。やっぱ動画配信って、プロデュース力が大事なんすねぇー」


 蟹の足を持ち上げた夢子さんが「そうなのよぉ」と、赤い身をぶらぶらさせてぱくりと食べる。今呑んでるモヒートは、確か三杯目。夢子さんはアルコールがまわってきたのか、とろんとした目をして饒舌だ。「コラボとかしやすいしねぇ」と、話を続ける。


「スペシャル系の企画だと、同じ事務所のメンバーでやることも多いしねー。ほら、著作権がどうだとかスケジュール調整とか。そういうのも同じ事務所なら楽じゃんね。それに、撮影スタジオも事務所が持ってるからさぁ、自分で探さなくていいし、機材とかも共有できるから楽だよぉ」

「でもスタジオって、みんな違うじゃないっすか。入道さんだと和室だし。あれも事務所持ちなんすか?」


「そうなのぉ。でもさぁ、最近ちょっとケチぃよねぇ、タカシ君」と夢子さんがツインテールを揺らして入道住職の方を向く。すかさず洸太君が「タカシ君っすか?」と目を見開いて訊いた。


「そうよぉ。アタシ達、夫婦なのっ」


 入道住職の太い腕に「ねぇ〜」と夢子さんが抱きつく。夫婦。そうだったのかと妙に納得した。やけに二人の距離感が近いと思っていた。


「ははははは。いや、はや。お恥ずかしい」入道住職は垂れ目の皺をさらに下げて、「夢ちゃん、お話はその辺に。少し呑み過ぎですよ?」と隣の夢子さんの額に手を当てた。夢子さんは「もうっ」とその手を叩き落とし、「だって本当じゃん」と、少し不機嫌そうに続ける。


海蛍うみぼたるを復活させればいいんだって。前からそう言ってるじゃん」

「海蛍って、あれっすか? 黒頭巾の?」


 それなら私も知っている。最近も見たばかりだ。夢子さんは氷とミントの葉がぎっしり詰まったグラスを手に取ると、カランカラカラカラと音を出しながら勢いよく飲み干して、「この話、秘密にできる?」と意味深に小首を傾げた。


「できるっす、できるっす」洸太君がこくこく頷く。夢子さんが私の方を見た。長い睫毛に丸い瞳が私を見つめる。一瞬ドキンと固まって、私もこくんと静かに頷き、入道住職を見た。入道住職はやれやれと首を振り、「わたしはお手洗いにでも行ってきましょうか」と食べ終わったカレーのトレーを持って席を立った。


「ついでに本当にご飯いらないのかってもっかい訊いたげてー」夢子さんが入道住職の黒くて大きな背中に声を投げる。その後で視線を戻し、「実はね——」と、ちょいちょいっと綺麗な人差し指を動かした。どうやら他の人に聞かれてはまずい話なのだと察し、吸い込まれるように顔を近づけると、香水の匂いに混じり、ほんのりお酒の匂いがした。テーブルに肘をついた夢子さんが話し出す。


「海蛍チャンネルはまだ公開してるし、動画のアップもたまにしてるんだけどね、あれ、過去動画をうまく編集して流してるんだよね」


「過去動画って、どういうことっすか?」声を顰めて洸太君が尋ねる。


「生きてるってことにしてるんだって。海蛍が」

「えぇ?!」


「もぉ、しぃーだってぇ」夢子さんが唇に人差し指を当てる。洸太君は「すいません」と、ダチョウのように辺りをキョロキョロ伺って、「それって、海蛍さんが死んだってことですか?」と小声で尋ねた。


「そうなの。アイツ、顔出ししてないじゃん? 黒頭巾で声もヴォイスチェンジャーで変えてたし、同じ事務所でも古株しか正体を知らないんだよね。もちろんアタシとタカシ君は知ってるよ。立ち上げ当時から知り合いだから。死体の第一発見者もアタシ達だし」


「死体の第一発見者」にごくりと唾を飲み込む。それに、海蛍さんがすでに亡くなっていたと聞き、全身が粟立ってしまった。つい先日も、海蛍さんの怪談噺を視聴していたばかりだ。


「去年の今頃かなぁ。アイツ、一人暮らしだったんだけど、収録現場に全然やってこないからさ、あぁ、またどうせ明け方まで編集してて寝過ごしてんだって思ってたんだけどね。何回電話しても出ないし、しょうがないなって起こしに行ったんだよね。アタシ達、同じマンションの違う階に住んでたし。アイツが『株式会社ヒャクモノガタリ』の社長で、アイツの家で作業することが多かったから、だから部屋の合鍵持ってたしね。

 でね、ドアを開ける前から嗅いだことのないような臭いがしてて。もしかしてって思うじゃん? 四十代の独身男性が孤独死的な? ちょうどその頃アタシ達モアイにくっついて海外ロケ行ってたからさぁ、家空けてたし。だから、もしかしてって、思うじゃん?

 で、ドアを開けたら案の定死んでたんだよねぇ」


 夢子さんが一瞬間を置き、ふぅっと息を吐く。


「部屋の奥にある編集ルームで倒れててねぇ。でも、それがさぁ、最初見たときは死体だとは思わなかったんだぁ。黒い生ゴミの袋が置いてあるみたいに見えて

さぁ。だから、もう、なんだよ、ゴミの臭いかよって、アイツそういうところあったしね。

 でも違った。

 ゴミにしては異常なほど臭いし、絶対普通じゃない匂いだったし。だから腐臭の中、鼻を摘んで、恐る恐る電気をつけたの。そしたら、部屋のライトに照らされたアイツの死体があったんだよね。黒いゴミ袋だと思ってたのは、死体だったの。身体中が黒い粘膜みたいなので覆われててさぁ、ぬらぬらしてた」

「粘膜っすか?」

「そう、粘膜とか変でしょ? 腐ってるにしてもおかしいし。で、アイツ、マサルはさぁ、遺体を引き取ってくれる身内もいなかったし、アタシ達で荼毘に伏したんだけど。ほら、うちの人お坊さんだし。一応? 実家は寺だしね。でもさぁ、その遺体がね——」


 夢子さんは「葬儀会社の人もこんな遺体見たことないって言っててさ」と、顔を歪めた。鼻梁に皺を寄せ、「だってね、蟲に喰われたみたいに穴が空いてるって言ったんだよ?」と続ける。


「顔も包帯でぐるぐる巻きにしてたしさぁ、それって復元不可ってことでしょ? で、蟲? って思うじゃん? どういうこと? って。で、恐る恐る死装束を捲ってみたんだよね……。ほら、一応アタシ達怪談話すの仕事にしてるわけだし、不謹慎だとは思ったよ。でも、やっぱし興味あるというか。それに、マサルにはお世話になってたし、気になるじゃん? そしたら、本当に穴が沢山空いてたんだ。芋虫か何か、蟲が這いずり廻って喰ったみたいな穴で。

 さすがに顔の包帯を剥がすのはやめたけど、葬儀会社の担当してくれた人曰く、眼窩が剥き出しで、相当酷い状態だったんだって。でもさぁ、海外ロケって言っても数日居なかっただけだし、ロケ行く当日の朝にはマサルと会ってるからさ、死後数日でそんな腐敗が進むとか、考えにくいんだよねぇ」


 死後数日しか経ってないのに、眼窩が剥き出しになるほど腐敗した遺体。それに、蟲に喰われたような跡。想像するだけで胃が縮む。汗ばむ手を握りしめ、息を飲んだ。夢子さんはカラカラとグラスを揺らし、溶けた氷で喉を潤してさらに話を続ける。


「で、アイツの部屋調べたんだよね。いや、調べたっていうか、片付けなきゃダメっしょ? 一人暮らしなわけだしさ、それに一応、会社の事務所兼ねてたし。やだけど、誰かがやらなきゃさ。もちろん専門業者にも入ってもらったよ。だけど最終的な遺品整理は私達がやったわけ。でね、その時に見つけたんだよね」


「見つけたんすか?」洸太君が囁くように訊く。


「うん。見つけたの。アイツ、死ぬ間際まで百物語について調べてたみたいで。それも相当前から調べてたみたいでさ。まぁ、会社の名前もヒャクモノガタリだし、昔から興味があったんだろうね。汚い字でさぁ、読むのが大変だったけど。

 要はね、百物語を呪術的に使う方法みたいなことが書いてあって。ほら、百物語って百話目を話すと怪異が現れる的なこと言うじゃん。実際そうなんだよね。昔イベントで百物語をした時も、ちょっと常識では考えられないようなことがあってさぁ。

 ——ま、その話は長くなるから置いといて。

 ようはさ、百物語で召喚される霊とか怪異っていうのはさ、何が来るか分かんないんだよねぇ。こっくりさんみたいなもんよ。その辺にいた奴が来るっていうか。ピンポイントでこれを呼び出すみたいな、そういうんじゃなくて。だから、余計に怖いんだけど……。マサルはどうやらそこを調べてたんだよね」

「そこをって、なにをっすか?」

「怪談ってさ、おんなじような話あるじゃん? 別の場所の話なのに、なんか似てる的な? それってね、結構繋がってんだよねぇ」

「繋がってるんすか?」

「うん、そう。似てる怪談ってのは元を辿って行くと原因となってるものが同じだったってことがあるんだよね。怪談を人から買い取って喋る仲間がいるんだけど、そいつのとこにやってくる怪談話もおんなじような話結構あるんだよね。で、調べて行くと、あぁ、やっぱりおんなじだったんだ、的な。だからマサルはそこに注目した。日本全国、同じような話を調べて取材して、原因が同じ怪談話を百話蒐集する。で、それを百物語で話すと、どうなるかって」

「……どうなるんすか?」

「多分だけど、マサルのファイルにはこう書いてあった。同じ原因の怪談を百物語で繋げていくと、最後に現れる怪異は大元の怪異というか、怨霊というか、つまり、日本全国に散らばった怪談の根っこを特定して呼び出すことができるって」


 ごくりと唾を飲み込んだ。


 ——全国に散らばった怪談の根っこになる、怪異?


「でもさ、それってかなり強力なかじゃん? だって、日本全国に散らばってる怖い話の元凶だよ? そのモノがどんだけ強い力持ってるか分からず呼び出すなんて、本当ならば怖すぎじゃん? でもさ、マサルはそれをやろうとしてた。

 ——で、アタシ達はそれを引き継いだ」

「ひ、引き継いだんすか!?」


「ふふふふふ」夢子さんの顔が離れていく。夢子さんはモヒートのグラスをカラカラ揺らし、「で、いま、ここにいるの」とわらった。

 

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