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「へぇ」と、思った。
『お金は魔物』でも『魔』にしてしまうのは自分自身。なるほど。思い当たることはある。入道住職は今回も良いことを言っていた。さすが入道住職だ。
スマホの中では入道住職が怪談噺を終えて恵比寿顔を破顔させている。つるりとした頭を手で撫でて「いやぁ」と少し照れている。可愛い。目尻が垂れて本当に恵比寿様みたいだ。人見知りな私だけど入道住職ならばするすると言葉が口から出ていく気がする。包容力に安心感。それにころっと丸いビジュアルがゆるキャラっぽい。怪談系YouTubeの中でも入道住職の『お説法怪談』が一番好きだ。十時間に及ぶ『怪談スペシャル』は残り半分を切っている。入道住職はこの『怪談スペシャル』を肝入り企画だと言っていた。途切れ途切れではあるけれど、見続けている自分を一ファンとして褒めてあげたい。
YouTubeはCMに切り替わり、入道住職が消えてしまった。スマホの中ではハーフっぽい男性が『エンジェルヒーリングであなたの守護霊とお話しすることができます』などとちょっと怪しいことを言っている。CMが終わるまで次の話は再生されない。であれば、とベッドから起き上がった。お酒を呑んだからなのか、やけに喉が乾く。家に帰ってきてから二時間。そろそろ水出し麦茶もできた頃合いだ。
冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注ぐ。麦茶は煮出したほうが断然美味しいけれど、帰って来たばかりだからしょうがない。口に含むと、麦茶は味も温度もイマイチだった。
そういえば——、と自然に視線が動く。
丸いルームライトが満月のように部屋をぼんやり照らしている。ルームライトの中に虫の死骸があると話したら洸太君は「俺掃除しますよ?」と言ってくれた。私じゃ「背が足りないから」だと気遣ってくれたけど、それだとこの家に洸太君を招くことになる。洸太君の気持ちは嬉しいけれど、それは無理だと思った。
「でも、いつかは掃除しないと……」
虫の死骸がいつまでも部屋の中にあるのは良い気はしない。ルームライトの下で黒くて小さな虫の死骸を見ていたら、不意にきゅっと心臓を掴まれた気がした。
お姉ちゃんは結婚して赤ちゃんも産まれた。赤ちゃんを抱くお姉ちゃんは幸せそうだった。
私は交際経験ゼロをいつまで引き伸ばすつもりなんだろう。でも、二十五歳経験ゼロはもうどうしようもないかもしれない。だいたい、どうやって人と付き合うのかが分からない。恋愛に興味がないわけじゃない。人を好きになったことがないわけじゃない。なんとなく時間が過ぎていって、今に至るだけ。今年で二十六歳。別におかしなことじゃない。きっと私みたいな人は日本全国に何百万人もいる。
「え、いるよね……?」
コップをローテーブルに置いて、バフンッと布団に倒れ込み、枕に顔を埋めた。耳元で次の怪談噺が聞こえる。男性の渋い声が「廃病院の——」と言っているから、次は病院系の怪談噺か。「実はこの病院は戦時中にですね——」と、どっかで聞いたことのある話をしている。
うつ伏せだからなのか胸が圧迫されて苦しい。苦しいから無性に叫びたくなる。「あぁあぁああー」身体中の何もかもを吐き出すように叫ぶと、枕に声が吸い込まれていった。馬鹿みたい。枕に埋めた顔が熱い。呼吸を止める。息が苦しい——、でも限界まで止めていたい。
イチ、ニィ、サン、と、数を数えて息を止める。胸も喉も頭も苦しい。これ以上は無理だと思ったところで「ぱはぁー」と勢いよく息を吐き出して、寝返りをうった。胸骨が開き、肺が風船のように膨らむのが分かる。
——生きている。
すぐに「当たり前だよ」と自分で自分にツッコミを入れた。
目に映る丸いルームライトが滲んで見える。死んだ虫の影も滲んで見える。滲んで見えるのは目を枕に押し付け過ぎていたからだ。怪談噺が聞こえにくいのはスマホが布団に埋もれているからだ。どうせ聞いたことのある話。スマホを発掘する気にはなれなかった。
「はぁー」生ビール三杯分。飲酒運転確定濃度の呼気を吐く。
駐車場料金はいくらくらいになるのだろう。洸太君はあの後どこへ向かったのだろう。洸太君は今日はどこで泊まるつもりだろう。一度だけ洸太君の彼女を見たことがある。『かわで』の通用口で洸太君を待っていた彼女は綺麗な人だった。美男美女だと思った。あの時の彼女はアパレル関係の仕事をしていると言っていた。就職してすぐの頃だからもう随分前のことだ。
——洸太君は今、彼女はいないと言っていた。
それに——
——やめよう。
もう過ぎたことだ。
洸太君は友達の家にでも行ったんだろう。それとも実家に帰ったのかもしれない。どちらにしても私には関係のないこと。
ガバッと勢いよく起き上がった。
いつの間にか梅雨時の空模様のような気分になっている。今日も明日も晴れると天気予報は言っていた。まだ夜の十時過ぎ。今から洗濯機をまわせば朝には乾くかもしれない。それに洗濯機が終わるまでは『怪談スペシャル』を見ればいい。洗濯物を干してからは、また眠たくなるまで『怪談スペシャル』の続きを見ればいい。そうしているうちにきっとまた入道住職の『お説法怪談』の続きがやってくる。その続きはもしかしたらさっきの話の続きかもしれない。そう思えば暇ではない。
「よしっ」やることが決まれば即行動。
スマホの動画を一旦停止して旅行バッグを開けた。一日分しか溜まっていない洗濯物を取り出す。洗面道具や化粧ポーチ。通院の待ち時間に購入した料理雑誌と次々に取り出して、「え?」と手が止まる。
一番底に封筒を見つけた。
『さっちゃんへ』と達筆な筆文字で書いてある。
ぽっと胸の辺りに陽がさしたようで自然と頬が緩んだ。すぐそばで「さっちゃん」とおばあちゃんが呼んだ気がして耳まで擽ったい。「えー、もぉー、いいって言ったのにー」身悶えて心模様がだだ漏れる。でもいい。曇天の隙間から太陽光が差し込んだ気分だ。
「ありがと、おばあちゃん」口に出してから封筒を手に取り、「ん?」と固まった。分厚い。封筒は意外と膨らんでいる。交通費の入った茶封筒が脳裏を過り、「まさかそんなに?」と急いで封を開けて、「え?」と声が洩れた。
封筒の中には一万円札が一枚と、御守り袋がひとつ。
取り敢えずお金の入った封筒から赤い御守り袋を取り出して、まじまじ見つめる。御守り袋には何も書かれていない。健康祈願も恋愛成就も金運上昇も、もちろん安産祈願も書かれていない。
「なんで?」
お姉ちゃんの安産祈願のついでに私の分も買ったとか。でも、何も書いてない御守り袋は初めて見た気がする。神社の名前すら入っていない。ミチルちゃんが着ていた甚平みたいな布。赤地に麻の葉模様が染め抜きしてある。もしかしておばあちゃんの手作りなのだろうか。手で触れた感触も普通とは違う気がする。赤い御守り袋は指で揉むとしゃりしゃりと小さな音がした。刹那『浜なみ』で見た光景がフラッシュバックする。一瞬にして怖気が身体を走り抜けた。
——この音と感触は、砂だ。
恐る恐るテーブルの上に置く。冷たいものが背中を滑り落ちていく。落ち着けと早打つ心臓に言い聞かす。まさか砂なわけない。それも『浜なみ』の砂なわけがない。であればなんなのか。ぷつぷつと腕に立った鳥肌を手で慰めながら思考を巡らし、思い当たる。
「塩?」塩はお清めグッズの代表格。塩なら納得できる。
——でも、わざわざ手作りで、一体なんのために?
白いテーブルにちょこんと乗った赤い御守り袋を観察する。見たところ手作りっぽい御守り袋の紐は簡単な結び方で、解いてまた結ぶのに問題はなさそうだった。
——気になる。塩なのか、なんなのか。
気になり出したら中身を確認したくて堪らない。でも。
——御守り袋って開けてもいいの?
バチあたりだと神様が怒るかも知れない。いや、そもそも御守り袋に神様はいるのか。おばあちゃんの手作りであれば尚更神様はいない気がする……
生ビール三杯分のアルコールが脳細胞をぶよぶよと膨らませている。これでは冷静に考えられない。コップに手を伸ばし麦茶を口に含んだ。ゆっくり喉に流し込み、「ふー」と心を整える。
——冷静に考えてみよう。砂を御守り袋に入れるなんてことはないはず。
でも「一応そこは」スマホで『砂入り御守り袋』を検索をしてみると、ネットニュースで紹介されているものがあった。鉄道会社が売り出している『滑り止めの砂』を入れた御守り袋には電車の刺繍が施されている。記事を読むと、この御守りには『苦難の時に滑り止めてくれる御利益』があるとのことだった。
ふっと肩の力が抜ける。いつの間にか腕の鳥肌も消え失せていた。砂は砂でもいろいろある。『苦難の時に滑り止めてくれる御利益』なんて、ちょっと欲しい気もする。
そっと手を伸ばし赤い御守り袋を持ち上げた。おばあちゃんがくれた御守り。砂なのか、塩なのか。御守りなのだから、どちらにしても悪いモノのはずがない。紐を解きながらおばあちゃんのことを思い出す。慣れない手つきでスマホを触り、写真を撮る姿を思い出す。あの皺がれた手できっとこれを作ってくれたのだ。
一万円と手作りの御守り袋。
今日はもう十時を過ぎてるし、おばあちゃんはきっと寝ている。LINEでお礼を送るのは明日にしようと思った。
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