お説法怪談『富を与える氏神様』

 鎭願寺ちんがんじ住職、大海原入道たいかいばらにゅうどうです。


 えー、この話はですね。何年か前に私の元にやってこられたご年配の、あるご夫婦のお話でございます。


 えー、このご夫婦はですね、とある海辺の街で旅館を経営されておりまして。旅館と言っても最初は民宿のような小さな宿だったそうでございます。ところがですね、あることをきっかけに大変繁盛されまして、私のところにやって来られた当時は、すでに大きな旅館になっておりました。


 あることをきっかけに、と先程申しましたが、そのあることを手放したいので「入道住職お願いできませんか?」と、まぁ私の元にやって来られたのでございます。


 本堂でお話をお伺いしたわけでございますが、お歳を召したご夫婦の旦那様の方は背中を丸め、大変お辛そうにしておられました。その様子があまりにも尋常ではなく、「ご主人、大丈夫ですか?」とお尋ねしましたところ、ご主人は下を向いたまま何も言われませんでした。小刻みに身体を揺らし、心が此処にあらずといったようにお見受けいたしました。


 これは普通ではないなと、私は思いまして。


 それで、私はひょっとすると、その『あること』のせいでご主人がそんな風になっておられるのだと、そう思いまして、居住まいを正し、奥様に尋ねました。


「その、あることとは、一体どんなことなのでしょうか?」と。


 奥様は大変お上品な方でして。その日は夏の盛りでしたが、お着物を着ておられました。ちょうどいま私が着ております、夏の袈裟と同じように、風通しの良い黒いお着物でございました。奥様はその襟元を首筋からスーッと指で撫で、胸に手を当ててから、静かにお話を始めました。


「実は、私どもは元々は、その土地の者ではなかったのです」

「その土地の者ではない、ということは何処かから引っ越しされて、今の場所に移り住んだということでしょうか」

「はい。と言ってもすぐ近くの漁村で釣り客相手の小さな民宿をしておりました」

「いい土地が見つかり引っ越しされて、今の旅館を開業されたと、そういう意味合いでございますか?」

「そうです。見晴らしの良い場所を主人が見つけて参りまして。それも破格的なお話でした。こんなチャンスはもう二度と舞い込んでこないなと。それで、今の場所に移り住んだのです」

「見晴らしの良い場所。それはお客様も大変喜ばれたことでしょう」


「それはそれは」と奥様は懐かしむように微笑まれます。しかしすぐその顔は曇り「それを手放したいのでございます」と、下を向かれました。


「なぜ、手放したいとお思いになったのですか?」と私は奥様に尋ねました。普通で考えればおかしな話です。その土地を手に入れたことで、商売は繁盛したのですから。


 奥様はしばらく下を向き、瞑目しているようでした。時折口元がひくひくと動くように見えました。ああ、これは言いにくい話なんだなと私は思いまして。奥様が口を開くまで、蝉の声が溶けていく本堂で、その時を待っておりました。


 奥様は胸元からハンカチを取り出され、目元を拭うと顔を上げられました。そして、「詳しいことは言えませんが」と前置きされてお話しされたのでございます。


「実は私どもが買い取った土地には、屋敷神を祀る祠がございまして」

「屋敷神。というと、以前住まれていた方の屋敷神ということになりますか?」

「はい……」


「前にお住まいだった方は、屋敷神をそのままにされたのですか?」私は尋ねました。通常屋敷神とは、家の守神でございますので、引っ越しなどをされる場合には、魂抜きをして出ていかれる方が多いのです。その土地の、近所のお寺や神社などへ連絡し、祠の撤去や引っ越しを相談すれば、数万円程度で魂抜きをしていただけます。そんなに高額なこともない。


「その祠に祀ってある神様は土地を離れたくない神様だと聞いておりまして。それに、商売繁盛、富を増やしてくれる神様だとお伺いしておりましたので、それは良い神様だから、私達も未来永劫大切にお祀りしようと思っていたのでございます」


「それは良いお考えですね」と私は申しました。祠の建っている物件を購入し、ぞんざいに扱うことは禁忌です。小さな祠であっても、そこには何かしらの神様がいるわけです。そして崇め奉られていた時期もある。一度神に昇格したモノは、扱いがぞんざいになることで怒り、祟る。そういった事例は、全国各地にございます。


「そうなのでございますが……」奥様は言われました。「富は増えすぎると人を狂わす」と。


「宝くじに高額当選した人の人生が狂ってしまうってあるでしょ?」と、奥様は申しました。「我が家はその典型のようなものなのです」と、また目尻をハンカチで押さえます。


「神様の力が強すぎて、私どもには不相応だったのです」

「と、いいますと?」


「お金は魔物です」と、奥様は続けます。


「お金のせいで本当に大切なものが見えなくなるのです。釣り船を持って民宿をしていた頃、主人は働き者でした。しかし、旅館が繁盛し始めると、従業員がいれば自分は働かなくてもいいと知ってしまったのです。息子も同じです。まだ民宿だった頃は優しい子供だったのに、旅館が繁盛すればするほど、生活は狂っていきました。結婚して子供もいるのに余所に女をつくり、高級外車を乗り廻し事故を起こす。警察の厄介になったことも一度や二度ではございません。お金さえあればなんでも手に入る。お金さえあれば、思い通りの人生だ。そう勘違いした息子には、もう人を思いやる気持ちがありません。お金と引き換えに、私達は大切なものを失ってしまったのです」


 奥様は声を震わせ、目元をハンカチで拭われました。確かにお金は魔物です。使い方を誤れば、恐ろしい魔物です。しかし、『お金は魔物』という呪縛もまた『魔』なのです。


「実はこの屋敷神なのですが」と、奥様は言いにくそうに続けます。


「私どもの地域の氏神様なのですが、年に一度、氏神様にご挨拶をしに行く日がありまして……」


 水無月、新月の晩に、船に乗り氏神様の元ヘ、氏子が皆でお参りに行くと奥様は言われました。


「主人はここ数年、糖尿を患っておりまして。体調が優れない日も多く、それで、そのお参りは、家長一人が行く儀式でして」

「儀式、ですか?」

「はい……。私は参加したことがないので、どういったことをするのかは分からないのですが……。それで、今年は主人の代わりに、代替わりの意味も含め、息子に行かせることにしていたのでございます」


「していた、ということは息子さんは行ってはいない。ということですか?」私は尋ねました。奥様はがくんと頭を垂れて「ええ」とだけ答えます。空気の抜けた風船のように、奥様は一気に老け込んで見えました。


「それで」と奥様は蟲の鳴くような声で続けます。「そのせいで祟られてしまったようなのです」と。


「祟られた、と言いますと?」


 奥様は手で顔を覆い、しばし沈黙されたのち、私に言いました。「海から黒いモノが家に侵入してくる」のだと。「主人がそれに取り憑かれてしまった」と。ご主人曰く、黒くて恐ろしいモノが、夜な夜な海からやって来る。それは旅館の中にある住居部分に侵入し、ご主人の身体に纏わり付いてくる。最初は夜だけだったのが、最近では朝でも昼でもやって来て、ご主人の周りから離れないと。何処へ行っても黒いモノがやって来て、ご主人の魂を吸い取っているのだと言うのです。


「私にはその黒いモノは見えないのです。でも、本当なんでしょうね……。主人はこの通り、怯え震え、正気を保っていられなくなりました」


 確かにご主人はかなりおかしい。身体を小刻みに揺らせながら、低く唸っているのです。


「お祓いを、お願いできませんか」というのがご夫婦のご依頼でした。


 私は早速ご祈祷を行いました。しかし、ご主人は一向に良くならない。これは一度、その祠を見てみないことには埒が明かないと思いまして。鎭願寺からその旅館までは、半日もあれば行くことができます。私は「お邪魔させてもらいます」とお約束し、後日ご夫婦の元へ伺ったわけです。


 しかし——。


 敷地内にある古い祠を見た瞬間、私は凍りつきました。それに、ある場所になく、ない場所にある。私の手には負えないというのが、正直な感想でした。しかし、一度お引き受けした以上、無責任に放り出すことなどできません。


 私は、私よりも力のあるご住職にその場で連絡を取り、魂抜きをお願いいたしました。しかし、その方は電話の向こうでこう言ったのです。


「それはもうどうしようもない。いまのご主人がお亡くなりになるまでは、今まで以上大切にお祀りし、ご主人の死後、その御霊を人柱として捧げ、鎮めるしかない」と。


 人柱は生きている人間を生贄とし、荒ぶる神を鎮めるものですが、そんなことは現代社会ではできません。苦肉の策として、生前より御霊を捧げるお約束を氏神と交わすと、ご住職は言われました。


「そんなことができますか?」私はその方に尋ねました。「できるかは分からないけれど、一縷の望みがあるとすれば、その方法しかない」と、その方は申しました。私にはどうすることもできません。その方にその後を引き継ぎまして、この件は一旦、私の手を離れたのでございます。


 えー、さて皆様。


 ここまで『怪談スペシャル』をご視聴の皆様の中には、お気づきになられた方もいらっしゃるかと思います。今回の『怪談スペシャル』私の話はこれで五巡目でございますが、皆様は、私が四巡目にした『伊豆の屋敷神』というお話を覚えていらっしゃいますか?


 勘の鋭い方はもうお気づきでしょう。そうなのです。実は『伊豆の屋敷神』でお話した祠。あのお話は、地元から氏神様を移動して祀っているというお話でした。とても裕福なご家族のお話です。そして、裕福さ故にお金という魔物に巣喰われ、崩壊したご家族のお話でした。


 別々のお話ではあるのですが、ある時私はふと思いました。この二つのお話に出てくる氏神様は、もしかして、同じ氏神様だったのかもしれないと。


 そう考えると『伊豆の屋敷神』のご家族も、代替わりの際、年に一度の氏神詣を怠ったのではないか。伊豆のお屋敷の祠も、本来あるはずのない場所にあった。「黒いモノがやって来る」と、伊豆のご家族もおっしゃっていたのです。そうなると、日本全国、もしかしたら他にも、同じ氏神様を祀っている家があるのではないか……。


 これは私の憶測でしかございませんし、現在調査中でございます。


 えー、兎にも角にも。


 仏教では、この世で所有するものはなにもないと申しますように、私達は現世において、全てのものは宇宙の蔵、虚空蔵こくうぞうから預かっているに過ぎません。お金もまた然り。『お金は天下のまわりもの』と申しますように、本来お金は、必要な分だけ巡り巡ってやって来るのです。


 はたと考えてみれば、自分にも思い当たることがござませんか?


 人はお金に振りまわされて生きている。


 自分の能力の枠を超えたお金は、麻薬のように心を蝕み、その人の人格を壊すこともあるでしょう。お金のために犯罪を犯す者、遺産相続などで骨肉の争いをする者もいるでしょう。お金はあの世に持ち越すことはできません。それでも多くの人は、一生のほとんどをお金のために費やし、妬み、僻み、恨み、苦しみに耐え生きているのです。


 それでは、お金とは一体なんなのでしょう?


 お金はエネルギーのひとつだと、私は考えます。エネルギーは循環してこそ、その価値と役割を果たすのです。エネルギーとしてのお金を循環させるためには、それ相応の設備が必要です。設備とはその人の人格的器です。小さな器に大きなエネルギーは収まるわけはないのです。ご相談に来られた奥様は、それに気づかれた。大変ご立派なことだと思いましたし、私自身も「あー、そうか」と、身に染みて勉強させていただきました。


『あってもなくてもお金は魔物』


『魔』を創るのはお金という存在ではありません。お金を『魔物』にしてしまうのは、自分自身なのです。どうか、皆様も、くれぐれもそれをお忘れになさりませんよう。自分自身を日々振り返り、傲らない心を持って生きていきたいですね。


 ご相談に来られた方がその後どうなったか、というお話は、また別の機会にさせていただければと思います。


 本日五巡目のお説法怪談は、これで終わらせていただきます。

 ご清聴、ありがとうございました。


 






 




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