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 ——ピン……、ポン、パン……、ぽぉー


 歪んだチャイム音で目が覚めた。防災スピーカーから流れる町内放送なんて久しぶりだ。どこでも同じような始まりなんだな、とぼんやり考えながら寝返りを打った。布団に肘をつき枕元のスマホに手を伸ばす。画面をタップすると『5:30』だった。


『こちらは——』女性の声が聴こえ意識を向ける。


 音がくぐもっていて内容が全く聞き取れない。まるで耳の中に水が入り込んでいるようだ。でも、と布団の上で粘り強く耳を傾けた。スローモーション再生したような声は幾重にも重なり合い、聴こうとすればするほどぬめっとしたひとつの音となり鼓膜に触れてくる。やはり窓を開けなくてはダメだ。


 布団から抜け出して障子と窓を開けるとむっとした空気が頬に触れた。塩を撒いたような土の匂いに雑草を擦り潰したような草の匂いが混じっている。雨はあがっている。陽はまださしていないのか、玄関前に停めた洸太君のワンボックスカーの青色が薄いベールをかけたように霞んでみえた。


『こちらは——』と町内放送が最初に戻り続きに耳を澄ます。こだまして聞き取りにくい町内放送は、岩戸トンネルの開通を知らせるものだった。


 良かった。

 これでおばあちゃんの家に帰れる。


 カラカラと窓を閉めほっと胸を撫で下ろした。洸太君を起こし福山さんにお礼を告げたらすぐにでもおばあちゃんの家に向かいたい。おばあちゃんはきっと私と洸太君のことを誤解している。はやく帰れば帰るほどその誤解は解ける気がした。


 湿ったタオルを手に取り、そぉっと襖を開ける。できた隙間に耳を近づけ様子を探るとダイニングのある方向から微かに生活音が聴こえた。すでに起きている人がいるようだ。トイレもお風呂もダイニングのある場所を通過して行かなくてはいけない。


 襖を閉めスマホをカメラモードにして自分の顔をみる。右に左に。顔を動かすたび顔認証の四角い枠が揺れ動く。肩まで伸びた髪は後ろで結べばなんとかなる。ノーメイクは気にならない。どうせいつもお手軽メイクしかしていない。


 スマホをズボンのポケットにねじ込んで髪をひとつに結ぶと、頭はさらに覚醒した気がした。短い睡眠時間の割には熟睡できた。福山さんの淹れてくれたお茶が効いたのかもしれない。


「よし」小さく気合を入れて襖を開ける。スゥー、襖が静かに開くと同時に薄暗い中庭がみえた。視線が自然と歪みガラスの向こうに吸い込まれていく。


 ——ここからでは見えない。


 そう思った瞬間、昨日見た祠を探していることに気づいた。廊下に出て襖を閉め、ガラス戸に足を進める。


 廊下に囲まれた小さな日本庭園。苔の絨毯が飛び石を包んでいる。濡れた石は点々と動線を描いていた。池だと思った場所には丸い水盤が置かれている。鏡のような水盤は黒い淵のようだ。私が働いていた日本料理店『かわで』にも同じような水盤があった。月見をするための水盤だ。


 飛び石は水盤の横を通りさらに奥へと続いている。石の軌跡に視線を進め、はっと息を吞んだ。目を凝らす。祠だ。祠は確かにあった。苔生した祠は小さく相当古いもののようだ。周りには低木の常緑樹が植えてある。意識して見ないと緑に埋もれて気づけない。


 中庭に祠。

 何を祀っているのだろうか。


 背中を指で撫でられるような感触がして自然と肩を窄めた。怪談話『お小夜の玉』を思い出し、ふるふると顎を動かす。やめよう。祠はどこにでもある。別に珍しいことじゃない。祠を気にしすぎて変な妄想ばかり膨らんでいる。でも——


 パタパタと廊下を走る軽い音が聴こえはっと意識を戻した。


 ——いけない。また変な妄想をし始めていた。


 音のする方を見るとミチルちゃんがいた。こっちに向かって走ってくる姿がガラス越しに見える。どこにいても居場所が分かる造りは、小さな子供のいる家には向いているのかも知れない。福山さんに留守番を頼まれたからなのか、そんなことを思った。


「さっちゃんおはよー!」廊下の角を曲がりミチルちゃんが走ってくる。赤い甚平姿。小さな足がパタパタ動き、勢いをつけたミチルちゃんは「ジャーンプ」と私に飛びついてきた。「おわわっ」と身体が後退して踵を踏ん張る。ぎゅっ。細い腕と足を絡ませて小猿のようにしがみつくミチルちゃんの体温が心地よくて、私もぎゅっとミチルちゃんを抱きしめ返した。


「ぎゅうー」とミチルちゃん。「ぎゅーだね」と私。「さっちゃんだいすきー!」と洋服に顔を擦るミチルちゃんが愛しく思えて「ふふふっ」と笑みが漏れた。ぴょんっと身体から離れたミチルちゃんが「あそぼ」と私の手を引く。と、そこで福山さんが廊下の角から顔を出した。


「こらミチル、ダメじゃないか。紗千香さんを起こしたりしたら」

「ちがうよー。さっちゃんもうおきてたんだもーん」


「ねー!」とミチルちゃんに言われ「あ、はい」と福山さんに答える。福山さんは「すいません、本当に」と小さく頭を下げた。その様子がなんだか私に気を使っているような気がして「あの」と声をかける。


「本当にもう起きてたんです。その、放送が聴こえて……」

「ああ、トンネル開通の」

「はい。それで、目が覚めて……」


「とんねるぅ?」ミチルちゃんが私を見上げる。「さっちゃん、かえっちゃうのぉ?」ぎゅっと手を握られて言葉に詰まった。本当はすぐにでもおばあちゃんの家に帰りたい。でもまだ朝の五時半だ。


「まだ帰らないよ」微笑むとミチルちゃんは「やったぁ!」と繋いだ手をブンブン揺らした。ミチルちゃんの長い髪の毛も揺れている。


「こらミチル。声がでかいよ」シーと指を唇につけて福山さんが言う。「洸太君はまだ寝ているんだから」と聞いて、それもそうかと思った。洸太君は昨日かなりお酒を呑んでいた。


「すいません」謝ると「なんで紗千香さんが謝るんですか」と福山さんは笑った。


「朝ご飯も用意してますし、ゆっくりしてってください。それに、昨日頼んだ留守番の件ですが——」


 福山さんは「できれば蛭子町内を案内したい」と言った。





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