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 庭に祠があるのはおかしなことじゃない。実家の近所にもそういう家があるし、都会にも田舎にも小さな祠は意外とある。頭では分かる。


 ——でも。


『浜なみ』の洞穴厨房でみつけた不気味な祠。それに怪談話『お小夜の玉』を思い出してしまう。勝手な妄想がむくりむくりと頭を擡げる。ここは海辺の町。もしかして——


 ないない、そんなはずはない。怪談はほとんどが作り話。馬鹿馬鹿しい妄想はやめようと、目をガラス窓から剥がした。はやく充電器を借りてこよう。廊下を進み始めた私の足裏で、私じゃない振動を微かに感じ立ち止まる。


 ミシィ——


 また足裏に微かな振動を感じた。

 背後にある廊下の先は壁で誰もいないはず。

 気のせいかもしれない。

 神経がひりひり敏感になっているんだ。

  

 ミシッ——


 また床が微かに振動した。

 硬直し息を殺す。

 全神経を足裏に集中し耳をそばだてた。


 ミシッ——

 ミシッ——


 気のせいじゃない。

 

 床を踏む音がこっち向かってやってくる。

 ナニかがいる。

 背後に。

 気配を感じる。

 でも背後は壁。

 誰もいるはずなんてない。


 そう思っていたけれど。


 背後で私を呼ぶ声がして「ひっ」と、手で口を押さえた。眼球が意志に反して彷徨い泳ぐ。心臓が飛びでてきそうなほど派手なビートを刻んでる。落ち着け、落ち着け、と念じていると、また私を呼ぶ声がした。


 いまの声は——

 ——福山さんだ。


 はっと我に返る。固まった首を捻り振り向くと、福山さんが薄暗い廊下に立っていた。


「すいません、脅かしちゃいましたか?」

「あ、えっと……、その……」

「紗千香さんが中庭を見てる姿が普通じゃなかったので、心配になってきてみたんですけど。なにか、ありましたか?」

「あの、えっと……」


 言葉を探し、逡巡して「え?」と気づく。


「わ、私のこと、見えてたんですか?」

「はい。中庭を挟んだ向こうから。その、紗千香さんの顔が尋常じゃない感じだったので、気になってしまって」


「近道してやってきたんですけどね」福山さんは廊下の突き当たりを指差した。突き当たりの壁からは細い光が漏れている。突き当たりは壁ではなくどうやら木の扉だったようだ。


「この家は中庭を囲むように建ってるんですよ。僕と美知留の部屋はすぐそこです」


 ——なるほど。


 なるほどじゃない。さっきの私を見られていたなんて。福山さんは私の「尋常じゃない顔」と言った。耳たぶの血液が瞬間湯沸かし器の如く一気に沸騰する。確かにガラス窓に映った私の顔は尋常じゃなかった。歪んだガラスのせいだけじゃなく、眉間に皺を寄せて酷い顔をしていた。恥ずかしさが沸騰した耳を更にチリチリ焼いていく。


 ——それに、深夜に人の家の中を徘徊するなんて、怪しすぎる。まるで泥棒みたいだ。


 なにか言い訳しなくては。言い訳じゃない。説明しなくては。焦れば焦るほど喉の奥に小石が詰まっていくようで、うまく言葉が出てこない。俯いて言葉を探していると「ふっ」と福山さんの吐息が聴こえた。怒っているのだろうか。恐る恐る顔をあげる。福山さんは鼻先に握り拳を擦り付け、くっくっくっと、必死に笑いを堪えているように見えた。


「紗千香さんが泥棒じゃないことくらい、分かってますよ」福山さんが眼鏡を外す。目尻の笑い皺が垂れている。


 ——良かった。福山さんは怒っていない。それにさっきも心配してと言っていた。


 気づかれないよう小さく嘆息すると、肺が驚いて周りの空気を勢いよく吸い込んだ。そういえばまともに呼吸していなかった。はぁーと、大きく息を吐き出すと耳の熱が少し下がった気がした。


 福山さんは眼鏡をティーシャツの袖で拭き掛け直す。口元を綻ばせた福山さんは「眠れないならお茶でもどうですか?」と私を誘った。断るなんて失礼かもしれない。こっくりと静かに頷いて、私は福山さんとダイニングに向かった。


 テーブルを挟んで福山さんと差し向かいに座る。福山さんが淹れてくれた甘くて優しいハーブティーをひとくち飲むと、心は更に落ち着きを取り戻した。鼻から抜けていくハーブの香りが心地良い。福山さん曰く、「安眠効果のあるお茶」とのことだった。


 福山さんに気を使わせてしまったと申し訳なく思う。向かいの席で福山さんがまた「ふふっ」と息を漏らした。


「紗千香さんって、面白いですよね」と言われ「え?」と返す。私は自分が面白い人間だとは思わない。むしろ面白味のないつまらない人間だと思ってる。人見知りだし、うまく会話を繋げていくことも苦手だ。おかしな人という意味で言ったのだろうか。


「面白いっていうのはおかしな人って意味じゃないですよ」


 心が読まれていたかもしれない。

 きっと怪訝な顔をしていた。


「紗千香さんは言葉を心に秘めているだけで、本当は色々考えている人なんだろうなって思っただけです。喋らなくても表情が豊かだし、だからなにを考えてるのかなって想像するのが楽しいですよ」


 そんなこと初めて言われた。


「ありがとうございます……」と取り敢えず頭を下げた。


「ははは。ありがとうございますときましたか。予想外。それもまた面白いですね」


「あ、えっと……」間違えただろうか。


「で? 中庭を見てなんで驚いた顔をしてたんですか?」

「あの、それは……」


 言えない。祠のようなものを見つけて怖かったなんて。それも怖かった理由が怪談系YouTubeを見ていたからなんて。怪談系のYouTubeが好きなことは洸太君にも言ってない。そもそも廊下に出たのは充電器を借りにいくためで——


 ——あ。


「スマホの、充電が切れそうで……。それで洸太君に借りようと思って廊下に出たんです。そしたら雷が光って。それに驚いたというか……」


 嘘は言っていない。


「スマホの充電? ああ、そういうことですか。洸太君はもう寝てるし良かったら僕の充電器貸しましょうか?」


「僕も同じ機種なので」福山さんはテーブルの上に置いた私のスマホを顎でさした。「いいんですか?」答えると「もちろん。ちょっと待ってて」と福山さんは充電器を取りにダイニングを出て行った。


「良かった」と呟いて、ぬるくなったハーブティーをもうひとくち飲む。安眠効果のあるお茶は温度が下がったことでさっきよりも柔らかい味わいになっていた。金縛りが解けるように、緊張感も抜けていく。


 福山さんは白い充電ケーブルを持ってすぐに戻ってきてくれた。朝まで貸してくれるという。ほっとして残りのハーブティーを飲み干す。


「ありがとうございました」席を立とうとして「ちょっといいですか?」と呼び止められた。浮かした腰をまた椅子に戻す。福山さんは「紗千香さんにご相談なのですが」と少し改まった声で話を続けた。


「紗千香さんは来週の火曜日には名古屋に戻ると洸太君から聞きました。それで、もしも可能ならお願いしたいことがあるのです」

「お願い、ですか?」

「ええ。実はミチルのシッターをしてくれる人を探してたんです」

「シッター?」

「ええ。シッター。子守りですね。でもミチルは人見知りでなかなか合う人がいなくて困ってたんです。それで今日、紗千香さんに絵本を読んで貰ってるミチルの顔をみていたら、もしかして紗千香さんなら大丈夫なんじゃないかって思ったんです」

「でも私、シッターとか、やったことないし……」

「大丈夫ですよ。一緒になって遊んでくれたらいいだけなんです。ご飯も簡単でいいんです。僕もお手軽料理ばっかりですし」

「全然、すごいお料理でした。美味しかったし」

「僕の料理なんて趣味程度ですよ。紗千香さんも洸太君も調理学校卒業なんですよね。洸太君から聞いた時は顔から火が出そうでしたよ。いやはや、プロの前でお恥ずかしい」

「そんな、全然、プロじゃないです。それに、あの、本当に、すごく美味しくて……、ごちそうさまでした」

「ははは。やっぱり紗千香さんは面白い人だ。それでね、実は来週末、どうしても一晩家を開けなくちゃいけない用事があるんですよ。ミチルを一緒に連れてはいけないし。親族は遠くにしかいないし。どうしようか本当に困っていたんですよ。だから紗千香さんさえ良ければ、ぜひお願いできませんか? 一晩だけなんです。もちろん、お礼は弾みます。おひとりが不安なら洸太君と二人でシッターしてくれてもいいんです。いや、もうシッターという言い方が大袈裟なんですよね」


 福山さんは椅子に座り直し「ミチルと一緒にこの家のお留守番を頼みたいんです」と言い直した。


「それならどうですか? 僕がいない間、ミチルと一緒にお留守番をお願いしたい。受けてくれませんか? 本当に困ってるんですよ。蛭子町のファミリーサポートセンターもダメだったし。もうどこにも頼めるところがなくて」


「はぁ」曖昧に言葉を返し考える。仕事と子育てを両立するためには誰かの手が必要なのは理解できる。でもシッターをやれるかと訊かれたら無理だと思う。


 ——お留守番だと訊かれたら?


 それも洸太君も一緒ならひとりじゃない。大人がふたり、子供がひとりなら大丈夫な気がする。一晩この家で洸太君とミチルちゃんと過ごす様子を思い浮かべ、悪くない気がした。洸太君はほとんど無害。それにこの家は広い。


「洸太君は予定がないそうなので、了解を貰っています。紗千香さんさえよければなんとかなりそうなんです。お願いできませんか?」

「えっと……」


 洸太君が大丈夫なら断る理由がみつからない。それに、福山さんには今回本当にお世話になっている。恩返しのつもりで、一日だけ、ミチルちゃんとお留守番をする。


「分かりました」了承すると、福山さんは「よかったぁ」と椅子の背もたれに体重を預けた。よっぽど困っていたのだと、その様子をみて思った。この家にお母さんはいないみたいだし、父子家庭も助けてくれる人が必要なんだ。私が少しでもお役に立てるなら嬉しいと、本心から思った。

 


 






 






 


 

 

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