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「でも俺達みたんすよ。この目で人が落ちるとこ。ねぇ、紗千香さん」

「あ、うん……」

「それに崖の方へ行く道がありますよね。トンネルの中で分岐してました。あの先が半島ですよね?」

「確かにトンネルを使えばあの半島には行けるらしいよ。でもあのトンネルは許可がないと通行できないんだよね」

「じゃあ、トンネルを使わないで山伝いに行くとか」

「それも無理だよ。この辺りも東尋坊や越前海岸のように奇岩断崖きがんだんがいが点在している。あの崖もそのひとつで岩戸トンネルから海に迫り出している。トンネルを使わずあの半島へ行くにはトンネル付近の岩をよじ登って行くしかないから、ロッククライミングするようなものだよ」


 確かに、と思い出す。トンネルの岩は簡単には登れそうもない。


「じゃあ、ロッククライミング……。うぅんと、それはあり得ないっすよね。それやるとかなり目立っちゃうし夜は危険すぎる」

「そうなんだよ。さっきも言ったようにあの半島には氏子様が祀ってある。だから蛭子町の人にとってあの場所はとても神聖な場所なんだ。だからこちら側から岩を登るような人はいないし、向こう側も一応は蛭子町だから目が光ってることに変わりはないと思う。だから今日、あそこに人がいるはずないんだよね。駐在さんもこの街の人だからそう思ったはずだよ」

 

 お巡りさんのニッと笑った顔を思い出しぞわぞわといやな感触が背中を這い上がった。嫌悪感が湧き始め自然と眉間に皺が寄る。気分を変えようとビールの入った薄いグラスを手に取って飲み干してみたけれど、高級なビールは気が抜けていて苦かった。


「それに——」福山さんは一呼吸置き、ゆっくりした口調で「どんな人だったか分からないんだよね?」と訊く。


「男性なのか、女性なのか。どんな服装だったのか。洸太君も紗千香さんも全然覚えていない」

「——そうなんすよねぇ」


 洸太君は長い溜息を吐きながら「変な感じっすよ」と肩を落とす。私も同じ気持ちだ。落ちていく光景しか思いだせない。それも黒い影としか分からない。自殺現場をみたショック。そのせいなのか記憶が欠落している。


「僕が思うに」福山さんは眼鏡を外すと指で目頭を揉み、言葉を切った。


 沈黙に息を飲む。


 雨音響くダイニング。洸太君も固まっているのか身動きひとつしない。福山さんは下を向いたまま眼鏡を掛け直すと、ゆっくりこちらを向いた。


「お化けかも」


「お、お化けっ」反射的に肘が出て洸太君の横腹を小突く。「あ」と口を押さえた洸太君は「すんません」と小声で謝った。


「ハハハ。大丈夫ですよ。ミチルは一度寝入ったら朝まで起きませんから」

「良かった。それにしても、お化けってのはちょっと——」

「ハハハハハ。びっくりしました? ミチルが好きなもので、つい」

「え? じゃあ、お化けっていうのは?」

「冗談ですよ」

「なんすかもぅ。びっくりしましたよ」

「ハハハ。まぁ、見間違いですよ。風に舞った黒い農業用シートとかだったんですよ、きっと。それにひらひら舞いながら人は海に落ちませんよ」


 福山さんは立ち上がり冷蔵庫へ向かう。すぐに「今度はクラフトビールにしましょう」と緑色の小瓶を二本手にして戻ってきた。


「それにそう思った方がお二人もいいんじゃないですか? 人が死ぬ瞬間をみたっていい気分じゃないでしょ?」

 

 赤褐色の泡が洸太君のグラスで膨らむ。私のコップにも瓶が伸びてきて「私はもう」と断った。「お化け」発言に胸がまだドキドキしている。洸太君はビールをグイッと飲み干すと「そっすね」と呟いた。福山さんが「でしょ」と洸太君のグラスに二杯目を注ぎ自分のグラスも満たす。


「確かにそっすね。農業用の黒いシートと言われればそうかなって気もしてきたし。自殺現場目撃したより、自殺と勘違いしてビビったの方が気分はいいっすね」

「分からないことをいつまでも考えるよりその方が人生気楽に生きれますよ。それより僕は廃墟ホテルの動画に興味がありますね。ナニか、面白いものは映ってたんですか?」

「それが、いろいろあって実はまだ確認してないんすよ」


 洸太君がスマホを手に取る。二人の話題が『浜なみ』の方に流れていく。洸太君がテーブルにスマホを立て再生ボタンを押すタイミングで、「あの」と会話を遮った。『浜なみ』で撮影した動画は見たくない。


「私、そろそろ——」

「あぁ、そうでした。シャワー使ってください。場所はわかりますか?」

「はい。お手洗いの、隣の……」

「湯船にお湯がなくて申し訳ないんですけどね」


「いえいえ、そんな」手を振る。「お言葉に甘えて、シャワーお借りします」深々頭を下げ、ダイニングを後にした。


 できるだけ静かに廊下を進み、掛け軸のある部屋に戻る。部屋に入るなり「はぁー」と息を吐いた。暗い中手でスイッチを探し電気を着ける。明るくなった部屋の端。置いてある布団が一組だったのを見て、ようやく人心地つけた気がした。福山さんには感謝しかない。


 それにしても今日は——

 

 もうやめようと頭を振る。一瞬遅れてパラパラっと足元で音がした。


 砂だ。


 福山さんの家に入る前、慎重に砂を落としたはずなのにまだ髪の毛に残っていた。ハンカチを取り出してしゃがみ込み、指の腹にくっつけて砂を拾う。  


 ——服を脱いだらまた砂が落ちるかな。


 お風呂でも気をつけなくては。汚してはいけない。この家を。『浜なみ』にあった砂なんかで。


 砂が溢れないようにハンカチを折り畳みポケットに仕舞う。鞄からタオルを取り出して浴室へ向かった。




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