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歳は五歳くらいだろうか。赤い
女の子は舌足らずな可愛い声でまた「けんか?」と訊いた。首を
「ほんとぉ? おねぇちゃんと、あのおにぃちゃんがけんかしてるから、だからケーサツやさんが、なかなおりさせてあげるんじゃないの?」
「ううん、そうじゃないよ」
「じゃあ、なんで? なんでケーサツやさんが、ここにいるの?」
「えっと、それはね……」
子供に自殺現場を目撃したとは言えない。言葉を探し
「パパッ!」
女の子が私の横を通り過ぎる。柔らかな髪が私の頬を掠めた。シャンプーの甘い香り。お風呂あがりなのかも知れない。
立ち上がって親子を見た。
親子はすぐ後ろにいた。
パパと呼ばれた男性は「もう、ミチルは〜」と口を尖らせている。フリをしている。女の子、名前は多分ミチルちゃんは、お父さんの足にしがみつき、短パンに顔を埋めてる。その頭をお父さんは優しく撫でていた。
「どうも、うちの娘がお手間をかけたようで」軽く頭を下げられ、「え、あ、全然、そんな……」と口籠る。初対面の人はどうも苦手だ。
でも。
とても優しそうなお父さんだと思った。頬にできた笑い皺。細いフレームの丸眼鏡は今時で、垂れた目尻にも笑い皺ができている。洸太君と違い身長がさほど高くないからなのか、その表情はよく見て取れた。
見たところ三十代。お風呂上がりなのか風のせいなのか。髪は乱れているけれど、これもまた今時の髪型だった。どこか都会的。そんな印象を持つ。
足にしがみつき、短パンの裾で顔を擦っていたミチルちゃんが、「パパ?」と顔を上げる。
「どこにいたの?」
「それはパパのセリフだよ? パパ、ミチルがいなくなっちゃったから、すごく心配して探してたんだよ?」
「だって、パパ、さきにいってていいよっていったよ?」
「それは、先に車に行ってていいよって意味だったんだけどなぁ」
「みちる、パパのくるまにいったよ?」
「ほんと? じゃあミチル、パパの車はどこかなぁ?」
「えっとね、あっこ!」
ミチルちゃんが指を差したのは洸太君の青いワンボックスカーだった。ポツンと一台。外灯の下、青色が際立って見える。目印にと、警察が来る前にそこに移動したからだ。
「あぁ。なるほど。同じ色に形。なるほどなるほど。それでミチルはここにいたのかぁ。残念、ミチル。パパの車はあっちだよ」
ミチルちゃんのお父さんが指差した方向は『夕なぎ』の建物前で、車が何台か駐車してあった。赤白黒に混じり青い車も見える。
「寝ぼけてたからどこに車を停めたか覚えてなかったんだね。それは、うん。パパが悪かったなぁ。美知留、ごめんね。それと——」
「うちの娘がお世話をかけてしまったようで」とお父さんは私の方を向いた。急いで手を降り「いえいえ、なにも」と答える。
「パパあのね、おねぇちゃん、おにぃちゃんとね、ケーサツやさんとね、いっしょにいたの」
「え? 警察?」眼鏡と前髪の間。お父さんの眉が微かに歪む。
「だから、みちるね、けんかしてるんだとおもってね、それでね、たすけてあげようとおもったの」
怪訝そうな顔で「大丈夫ですか?」と訊かれて、「大丈夫です」と答えた。すぐに「喧嘩じゃなくて」と続け、言葉が詰まる。
自殺現場を目撃してなんて、子供の前で言うことじゃない。どう説明しようか逡巡していると「あの」と声をかけられた。
「もしかして、おにぃちゃんと言うのは背の高い? 白いティーシャツの?」
洸太君のことだ。
「はい。友達で。それで、あそこに——」と指さした場所に、洸太君とお巡りさんの姿はなかった。
「あれ? さっきまであそこに……」
「あ、じゃあやっぱり駐在さんといた方ですね。中でお見かけしましたよ。露天風呂がどうとか言ってたかなぁ。大変そうでした」
「大変そう……?」
「あの駐在さん
「わ、わざと……?」
「そう。わざと訛って喋るんですよ。
ひかえめな風が吹き、ミチルちゃんの髪の毛を
「で、今日は観光ですか?」
「あ、いえ……、あの、ちょっと用事があって……」
「この辺にお泊まりで?」
「あの、山の方におばあちゃんの家があって、それで……」
「それは大変だ」
「え?」
「
「え……?」
急いで海を見る。
夕闇の中、白い波が見える。
波はさっきよりも高く飛沫をあげている。
「どうしよう……」
トンネルが閉まればおばあちゃんの家に帰れない。おばあちゃんは腰が悪い。それをサポートする為に私は此処に来た。
——それなのに。
当初の目的を思い出し洸太君の姿を探す。
『夕なぎ』の白い建物はライトアップされ不気味なほど輝いている。
その手前。
暗がりの中、白い洋服が見える。
洸太君だ。
洸太君はこっちに向かって走ってくる。
洸太君もトンネルのことを聞いたのだろうか。
洸太君は「紗千香さーん!」と私の名前を呼んでいる。
ぽつっ——
鼻先に雨粒が落ちた。
ぽつぽつっ——
足元で小さな染みができた。
大丈夫。
まだ降り始め。
まだ雨粒は小さい。
まだ間に合う。
そう思っていたけれど——
走ってきた洸太君は肩で息をしながら、「トンネルが、さっき閉められたって……」と、言った。
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