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「じゃ、行きますか」洸太君がスマホ片手に建物に入る。動画を撮影している。分かってはいた。そう、洸太君は車内で話していたから。


 でも。

 

 もやもやと心に嫌な雲が湧く。身内の建物、それも廃墟化した建物を他人に撮影されるのは正直言って、良い気分じゃない。


 洸太君は持ち主であるおばあちゃんに許可を得ている。不法侵入して動画配信するようなYouTuberとは違う。洸太君はちゃんとしている。そう。例えば昨日試聴した怪談噺。あれは完全に不法侵入だ。それに洸太君は動画配信者じゃない。「絶対にネットにはあげません。僕の個人的な趣味ですから」と洸太君は言っていた。だからこの動画はネット上にあがることは絶対にない。何年も一緒に働いていたから知っている。私が知る限り洸太君は約束を守る誠実な人。大丈夫。


 だからこれは悪いことじゃない。と、いろいろ考えてみたけれど雲は晴れない。見る側から見られる側へ。「行く」と言ってはみたものの、足が前に進まない。


 頭を振る。違う。そうじゃない。洸太君は洸太君。私は私。私はあの洞穴の厨房を確かめたいだけ。その為に中に入る。それだけのこと。


「紗千香さん?」と声がして「ああ、うん」と私も館内に足を踏み入れた。


 伽藍とした『浜なみ』のロビー。足裏に感じる砂。想像以上に床の砂は厚い。足元を見る。砂。砂。砂。洸太君の足跡が分かるほど、薄茶色の砂が床にある。自然に入り込んだとは考えにくい量の砂。誰かが撒いた。そう考える方が自然なほど、砂がある。砂浜。まさに、砂浜のようだ。


 顔をあげる。洸太君は館内をくまなく撮影している。足跡を見ればそれが分かる。複雑な雲を胸に抱えながら、私は私の目的の為、ロビーの奥、岩肌を目指して歩みを進める。


 ジャリジャリ。小さな音が靴底で鳴る。だらだらと天井から垂れ下がっている電気配線を手で避けながら数段の階段を上り、岩肌の前に立つ。埃が積もった赤茶色の岩。ああ、この岩。記憶通りだと懐かしい気持ちが少し湧き、振り返ってロビーを見た。


 違う。

 懐かしくなんかない。


 俯瞰して見ると異様すぎる。床は足跡が幾つもついた砂浜。それに、天井から伸びる無数の配線は、規則的に並んでいたライトの位置から垂れていてジャングルのようだ。


 洸太君が興奮気味に「凄いっす」と私のそばまでやってきた。スマホを掲げてないから今は撮影を止めている。そう思ったら心の雲が少し晴れた気がした。廃墟化した『浜なみ』だけじゃなく、私も映して欲しくない。


「外から見ただけじゃこの砂の量分かんなかったっすね。誰かが撒いた? え? でも、何の為に? 湿気を取る為? でもそれでも、おかしいか……。紗千香さんどう思います?」

「どうって……」

「幸江さんに訊けば分かりますかね? それにしても凄いっす。こんな廃墟見たことないっす!」


 興奮気味な洸太君はまたスマホを顔の前に掲げ動画撮影ボタンを押す。洸太君のスマホ画面はさっき私が見ていたように俯瞰した館内を映していた。館内を左から右へ。もう一度右から左へ。そこで一旦停止を押して、「ロビーはこんな感じっすね!」と微笑んだあとで秘密のドアを指差した。


「で、紗千香さんが気になる場所っていうのは、あのドアですか?」

「あ、うん、そう。あのドアの先に厨房があって——」


「へぇ! 厨房!」洸太君の声が弾む。目も輝きを増している。


 スマホを録画モードにした洸太君に続き秘密のドアへ。


 薄汚れた白い壁。そこに溶け込んだ金属製のドアは取手が収納式になっている。半円の取手。洸太君がそれをクイっと引き出して、ゆっくりまわし引く。秘密のドアは記憶の中と同じように、ギィーと錆びた音を出した。洸太君の片眉があがる。パチパチ瞬きを繰り返して、私にドアを支えて欲しいと言ってる。どうやら撮影中は喋らない派らしい。


 ドアを支えながら床に視線を動かして、かつてドアストッパーがあった場所を探す。確か、壁際の、と見渡しその痕跡を見つけた。そこだけ砂が盛り上がっている。ドアを開ききり、靴で砂を避けると思った通りドアストッパーがあった。するするとドアの下まで手を滑らせドアストッパーに。両手が自由になってからドアの向こうに視線を向けた。


 ドアの向こうは暗闇。

 洸太君のスマホライトが中を照らしている。


「では」小さく声を出し洸太君が暗闇に入っていく。恐る恐る私もその背中に続いた。外気温とは違うひんやりとした空気。電気が通ってないから換気扇は動いていない。だからなのか、湿り気を帯びた土の匂いが充満している。


 腐臭は漂ってこない。

 動物の死骸は中にはない。

 そう信じたい。


 小さな明かりは足元を照らす。砂。ロビーと同じ砂がこの中にも入り込んでいる。


 光が先へ進むと、砂の中に黒い足場が見えた。金属製の階段。記憶通りだ。階段は暗闇に吸い込まれるように上へと伸びている。ライトはさらに上部を照らす。ゴツゴツとした赤茶色の岩肌。歪な円を描く天井はドームのようになっている。


 ——記憶の捏造なんかじゃない。洞穴を利用した厨房はあったんだ。

 

 目的は果たした。そう思った途端この状況がなんだか薄気味悪くなってきた。


 ジャリジャリと微かな音を出し洸太君は階段に足を進め立ち止まる。急いでそばに行き、洸太君の背中にかつてないほど近寄った。肌寒い洞穴の中。洸太君の体温を頬に感じる。前には洸太君がいる。でも、後ろは——


 ——そういう想像はやめておこう……


 カンカンカンといきなり音がして「ひゃ」と変な声が出る。洸太君が靴で階段を鳴らしたと分かりほっとした。良かった。ラップ音じゃなかった。洸太君は階段が危なくないか確かめているようだ。石橋を叩いて渡る。そういう意味合いだと理解する。


 洸太君の履いている白いスニーカーが階段の一段目に上る。カンカンとまた何度か音を鳴らし、二段目、三段目と同じようにしながら上に上にとのぼっていく。一人階段下で待つのは無理だ。仕方なくそれに続く。


 カン、カン、カン——

 カン、カン、カン——


 二人分の靴音が反響する洞穴厨房。スマホライト以外は暗闇で、実際どれくらいの広さがあるのか見当もつかない。幼い頃の記憶では広い場所だった気がする。でもそれは私が子供だったからだ。大人になってみてみれば、さっきのロビーだって狭く思えた。


 洸太君の足が止まる。どうやら階段はここまでみたいだ。ライトが床を照らしている。砂。ここにもまた、砂。「気をつけて」と小さな声がして頷いた。もう、十分だ。もう引き返そう。そう思うけれど、声が出せない。撮影しているからじゃない。嫌な気配。何か、イケナイモノがこっちを観察している。そんな妄想が沸き始めている。


 洸太君が階段から厨房だった場所に進む。私も続く。ライトが辺りを照らす。階段上の厨房だった場所は二十畳ほどの平たい場所で、思ったよりも狭かった。何もない。作業台も洗い場も。ガス台も、なにも。あるのは配管の名残だけだ。砂の下はコンクリートで固めた床だった。


「あ」洸太君がまた小さく声を出す。スマホの画面から漏れる光で洸太君の驚いた顔が不気味に見える。洸太君の目蓋がひくひくっと動き、私にあれを見てと言っている。肩を竦めて、恐る恐るライトの照らす先を見ると、そこには小さな神棚のようなものがあった。岩肌にちょうどすっぽり収まっている。


 首を振る。それはきっとダメだと思う。でも洸太君はその祠のような神棚のようなものに近づき始める。首を振る。やめよ。もう戻ろうよと、背中の洋服を摘んで止めるけど、洸太君も首を振り「大丈夫」と声を出さずに口を動かした。


 脇に溜まった汗が横腹を一筋流れていく。洸太君が私から離れていく。近づきたくないのに、行くしかない。私もその祠のようなものに近づくしかない。それに、寒い。洞穴厨房はきっと地下と同じ。鍾乳洞と同じように気温が低い。


 息を殺し、左手を握り締め、右手で洸太君の洋服を掴む。じりじりと足場を確かめながら、洸太君は進む。


 そして——


 小さな祠のようなものの前に立ち、洸太君の片手が扉に向かって伸びる。その手が扉に触れる直前に私は目を閉じた。刹那。


 ギィ——

 小さく軋む木の音が、聴こえた。


 


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