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反対にお姉ちゃんは海が好きだった。小学生の頃、世界中の海に潜ってみたいと言っていた。世界中の海。その為にはいろいろな国に行ける仕事。と、連想ゲームを進めたお姉ちゃんの『将来なりたい職業』はキャビンアテンダント。
小学生から『なりたい職業』を決めていたお姉ちゃんは、その目標に向かって突き進み、見事目標を達成した。国際線のキャビンアテンダント。容姿端麗なお姉ちゃんはフランス行きの機内で、大企業に勤める旦那さんと出会って、数年後に結婚。あっさりとキャビンアテンダントを辞めてしまった。コロナの影響もあったのかも知れない。国際線は飛ばない時期もあったから。
なんにせよ、お姉ちゃんは私と違って順調に薔薇色の人生を歩いている。
そして、もうすぐ赤ちゃんが産まれる。
おめでたいことだ。
お母さんは出張が多い旦那さんの代わりに、産後の家事を手伝う為、東京へ。
私は、ぎっくり腰のおばあちゃんを手伝う為、海へ——。
——私がお姉ちゃんを手伝いに行くってことはできなかったのかな……。
できるわけないか。
お母さんにしてみれば初孫に会えるんだし。
「はぁ〜」窓ガラスに向かってため息を吐くと、運転していた洸太君が「どうしたんすか?」と、ちょっと笑いながら訊いた。私は無言で首を振る。
昨日『居酒屋さっちゃん』でとんとん拍子に話が進み、洸太君の車に乗ってやってきた。電車とバスを使うと、名古屋駅から約三時間半。さらにそこからおばあちゃんの家までローカル過ぎるバスに乗らなきゃだから助かった。
——でもなぁ。
もしも洸太君の申し出がなかったら。
私は今日も家でダラダラ過ごしてた。
頭を振る。
ここまで来たら仕方ない。
「そんなに嫌なんすか?」
「うん……」
「でも今から行くおばあちゃんちは、その古い観光ホテルの場所じゃないんですよね?」
数年前におじいちゃんが亡くなって、おばあちゃんは今、近くの街で一人暮らしをしている。だから、私が怖いと思っているおばあちゃんの家——古い観光ホテル——に、おばあちゃんはもう住んではいない。でも——
「海が苦手なんだよねぇ……」
「まじすか。そういや昨日も言ってましたよね。俺は海好きっすよ。最近ダイビングの資格取ったんで」
「え?」海に潜るとか私は絶対あり得ない。眉間に皺を寄せ「そうなの?」と訊き返すと洸太君は嬉しそうに話を続ける。
「そっす。仕事辞めてから名古屋のダイビングスクール通ってて。だから越前海岸って聞いて、お! いいじゃんって思ったんすよねぇ。越前海岸は日本屈指のダイビングスポットなんで」
「そうなの?」
「そっすよ。日本海の荒波が作り出した、有名な恵比寿水路にも一回行ってみたかったんですよねぇ。めっちゃ有名なダイビングスポットすよ。宿もとったし。しばらく俺も越前に泊まるんで、いつでも呼んでください。車出しますよ。あ、もちろん帰る時も乗せてきますんで」
とりあえず、「ありがとうございます……」と、丁寧に頭を下げておく。おばあちゃんの家に着いたら車はあるから、帰る時にまた合流だなと思った。
「やー、楽しみっすね! お化けが出るという観光ホテルも気になるし」
洸太君は『お化けなんていないさ』を鼻歌で歌い始めた。そういえば車内で流している流行の歌をずっと口ずさんでいた気もする。私とは違って、目的地が楽しみだなんて本当羨ましいと思った。そう思ったらまた、ため息が出た。
「あはは。紗千香さん、めっちゃ暗い顔してますよ? 大丈夫っすよ、海なんて、ただの海なんだから。それに昨日さっちゃん言ってたすよね。紗千香さんならいつでもウエルカムだって。用事が済んだらうちの店で働いてって。良かったじゃないすか。次の仕事先も見つかったわけだし」
「それは、うん。本当、洸太君のおかげだね。そちらの件も、本当、ありがとうございます」
「さっきからなんすか? ありがとうございますとか、きもっ!」
「きもってことはないでしょ? だって、本当、そこは、ありがとうございます、なわけだし」
「もう、普通でいいっすよ。俺の行きたい場所と紗千香さんのおばあちゃんの家が同じ方向だったから、こうして一緒に車に乗ってる、的な? お、そんなことを言ってたらそろそろ越前海岸すよ。ほらあそこ——」
洸太君が「あそこ」と指差した青看板には白い水仙の絵が描かれていた。越前海岸まで後少し。おばあちゃんの家はそこをさらに進んだ先にある。そして、その途中には、昔のおばあちゃんの家である古い観光ホテルも、あるはずだ。
車は漁火街道に入った。
コンクリートで硬められた灰色の山肌。
蔦だらけの木がその上から伸びている。
海は相変わらず鈍い色をしてあちこちで白い泡を吹いている。
それと——。
なんだか雲行きが怪しくなってきた気がする。
気のせいだろうか。
頭を振る。
気のせいだ。
洸太君の楽しそうな雰囲気に便乗しよう。
それにこういう気分の時は美味しいものだ。
日本海に来たなら海産物を食べなくては。
「どっかでお昼食べてかない?」
「ですよねー。漁師町にいるんすから」
意見が一致し、私達は途中の定食屋さんでお昼を食べ、おばあちゃんの家に向かうことにした。
『朝どれピチピチ』と書かれたのぼり旗に惹かれて『食事処さかえ』へ。
店内は越前蟹のポスターや夏祭りのポスター、それに大きな大漁旗が壁に貼られていた。『ザ・漁港の定食屋』だと思った。
注文した地魚のお刺身定食は、昨日の『居酒屋さっちゃん』のお刺身とは全くもって別物で、ぷりぷりしていてどれもこれもが美味しかった。美味しいものはいつでも人を幸せな気分にしてくれる。
それに。
洸太君も私もマイペース。無理に会話を作ったりしない。だから息も詰まらないし気兼ねすることもない。
隣で運転する洸太君は遠足中の小学生みたいにニコニコしている。ライセンスを取ったばかりのスキューバダイビング。海に入れるのがよほど嬉しいみたいだ。
古い記憶を持ち出して、怖い怖いと思っていたけれど。
それはもう昔の話で私も大人になった。
怖い系のYouTubeだって好んで見ている。
だから、きっともう大丈夫な気がする。
と、思っていたけれど——。
「もしかして、あそこが、紗千香さんの、元おばあちゃんちっすか?」
『食事処さかえ』を出て海岸線を走り、見慣れた漁村を進んでいくと、私のおばあちゃんの家だった古い観光ホテル『浜なみ』の建物がだんだん見えてきた。六階建ての白いホテルは山と一体化して建っている。
一瞬にして鳥肌が立った。
十数年ぶりにみる古い観光ホテル。
無人の観光ホテルは見るも無残な廃墟と化していた。
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