第4話

第四章 祈り


地表世界インフェルノは人類の七割を占めるArm《貧困層》が暮らしており、理想郷シャングリラに住んでいる人々の物質的欲求や精神的欲求を満たすため休むことなく日々、肉体労働や頭脳労働をしている。また、インフェルノに生まれた者は十三歳から働きに出なければならないが、十五歳の男女は死海文書を読み、解読した者は預言者として理想郷シャングリラに住める資格を得る事ができる。預言者は三百年に一度しか現れていない……。


擦り切れた服を着て、死人みたいな顔の少女が路地裏に独り座っていた。母は子を産んだ時に産科危機的出血が起きて出血多量により自宅で死んでしまう。その少女の父はインフェルノ労働委員会ILRCの幹部だったが、妻の悲報を職場で聞き発狂したという。父は悲しみに暮れながら、少女を十年間育てるが、ある晩オレヲサガスナと包丁で自宅の壁に刻んだ後、忽然と姿を消したという。


「お腹減ったよぉ……」レイは痩せ細った体を丸め、路地裏に蹲っていた。カーキのチェスターコートとブラックのセットアップを纏っている、柔和な顔つきの初老の男性がレイを見つけた。「君、お腹空いたのかい、ご飯をあげるから私についてきなさい」と穏やかに声をかけた。

ゴミを継ぎ接ぎして作った簡易的な家々の間を抜けると街灯に反射して紅く輝いている電話ボックスが見えた。「なんで電話ボックスなの?」レイは不思議そうに初老の男性を一瞥しながら言った。「後でわかるからちょっとそこで待ってなさい」と初老の男性はレイの地面まで伸びたボサボサの髪を優しく撫でてから電話ボックスの方にゆっくりと歩いていった。ボックスに入り、受話器を取り何か話した後、レイのところへ戻ってきた。すると、初老の男性の背後に蜻蛉トンボの様な甲殻的な造形を持った黒色の飛行体が瞬時に現れた。蜻蛉の複眼に当たる部分に男性のパイロットが座っており、胸の部分は乗客が三人座れる安楽椅子ソファが設置してあった。男性のパイロットが降りてきて、初老の男性に一礼した後「いつもの場所に移動するんですよね」と活気に満ちた笑顔を向けながら話しかけてきた。コクリと初老の男性は頷き、飛行体の元へとレイの手を繋ぎながら歩いた。

飛行体に近づくと、ガルウィング式の自動ドアが開き、機内に入った。「このソファふかふかだね!!」レイは初老の男性に笑顔を向けている。初老の男性はレイにシートベルトを付けさせると、「そうだねぇ」と微笑みながら黒色の本革ソファに座った。飛行体の側面にある四つの半透明の羽が別々に動き始め、羽音を周囲に響かせながら黒色の空へと飛び立った。レイは目を輝かせ、ゴミ山と太陽の光が当たることのない暗黒の地表世界を見ていた。

飛行体の複眼から光が放たれ闇の空を照らしていた。しばらく周囲の景色が見えない程の暗闇を移動すると、二つの巨大なゴミ山が現れた。二つの巨大なゴミ山は標高四千メートルの高さを誇り、旧時代の富士山を越える高さがある。なぜここまでの高さのゴミ山ができたかは諸説あるが、一番有力な説はシャングリラS民のゴミが地表に捨てられたことでゴミが積み上がり膨大な時間をかけて山積した結果だとされる。

「異臭で特殊マスクを被らないと死ぬ可能性がありますから、お二人は壁際のボタンを押して特殊マスクを取り出し、被って下さい」とパイロットはマスクをつけながら言った。初老の男性は既にマスクを被っており、レイにマスクを被らせていた。

その後、飛行体はゴミ山を越えると、紅と黒で彩られゴシック様式の優美な雰囲気を醸し出す美しい大聖堂が目前に現れた。これはノートルダム大聖堂を模して建築されている。しかし、白い貴婦人とも称されている本家の大聖堂と違いこの大聖堂は黒い貴婦人と呼ぶに相応しい存在感を見るものに印象付けている。また、ノートルダムとは「我らの貴婦人」という意味であり、聖母マリアに捧げた聖堂だが、この建造物はリリス(アダムの最初の妻であったが神を呪い楽園を飛び出して悪魔となった人物である。)に捧げた聖堂であるから、リリスの語源であるリリトゥを大義として建造された。リリトゥとは性愛・誘惑・出産・疫病などの女性的な領域を司っている。

飛行体がノーディアブル大聖堂の屋上ヘリポートに降り、入ろうと歩き始めると揉み上げと髭を伸ばし白色の丸いキッパとワインレッドの長いコートを纏っている老人が迎えに現れた。

「Σ《シグマ》様おかえりなさいませ」老人はΣに深く頭を下げた。Σは老人に敬意を払うため頭を下げた後、「α《アルファ》あの件は上手くいったか」老人に微笑みかけながら質問した。

「はい、全て順調でございます」αは満面の笑みをΣに向け、レイ達と共に大聖堂に入った。


 大聖堂の大広間に入ると、王侯の晩餐会かのような豪華絢爛な白の長テーブルが置かれており、黄金のテーブルクロスが輝いていた。頭上の紅色のシャンデリアがアンパティスト(前菜)のカプレーゼを照らしていた。シャンデリアに反射して白銀色に光っている皿が多数の目をギラギラと輝かせている者達やΣ(シグマ)、α(アルファ)、レイの前に置かれている。彼女は晩餐会の前にシャワーを浴び、地面まで伸びた髪を切り、幼いながらも完成した美貌を際立たせていた。彼女は深いパープル色のイブニングドレスを着ている。これは英国で摂政時代に使われていた最も格式が高い正装である。

「まだ食べたらダメなの?」レイはカプレーゼを注視しながらαに話しかけている。彼女がフォークを握りモッツァレラチーズに刺して食べようとする前に、αが彼女の腕を掴んだ。彼は低い声で

「食べる前にバジルソースをかけるといいよ」と呟き、彼女の前菜にバジルソースを丁寧に掛けた。レイがカプレーゼを食べている傍ら、Σはギラギラと目を輝かせている者達を俯瞰することができる中央の玉座にいた。

 彼は玉座からゆっくりと立ち上がり「Tod und Verzweiflung(トート ウント フェアツヴァイフルング )」と大声で叫んだ。

それに黒装束とフードを被っている信者達は呼応して「メシア様こそ正義!!」と声を調和させた。その後、空気が静まり返ったが、静寂を維持したまま晩餐会が始まった。晩餐会に参加できる者は組織の上層部や幹部候補生、メシア(Σ)とラスール(α)の弟子達に限り、それ以外の者達は大聖堂の横にある食堂を利用しなければならない契りがある。


「今夜は満月だ、リリス様が楽園に連れていく者を無作為に選別して下さる」とメシアは信者達に叫んだ。その後、目を爛々と輝かせながら信者の識別番号が書かれている紙が入っているくじ引きボックスをレイに渡した。

「さぁくじを引いてみなさい。」メシアは優しくレイの頭を触りながら穏やかに言った。

レイは状況が理解できないまま、無表情でくじを引いた。

レイが引いた紙を取り上げるとメシアは「リリス様が選別して下さったぞ!!」彼は歓喜に満ちた表情を浮かべ、紙をラスールに渡した。先程の喜びの感情が嘘の様に彼は感情を消し、周囲を俯瞰できる玉座に座った。ラスールは折り畳んであった紙を広げ、「識別番号2598459こちらにきなさい」と静かに言った。

至福の感情を隠さず識別番号25984459は壇上に上がった。レイは壇上に上がった信者の顔と目があった。その信者を見て彼女は絶句してしまった……そこには子供の様な無邪気な笑みを浮かべた父の姿があった。

レイは父の体を懸命に揺らし「私だよ!分かるよね」と瞳を潤ませ語りかけていたが、彼は彼女を一瞥し「君は誰だね」と言い、困惑した表情を浮かべた。

 壇上に音一つ立てずラスールの従者達が現れ「メシア様、ラスール様、彼を天界召喚なさるのですね。儀式の準備をしてよろしいでしょうか」と情緒が一切感じられない声で彼らに語りかけてきた。メシアが頭を縦に振ると、従者は号泣して父を離さないレイを引き剝がし、レイの父を更衣室に案内した。彼女は涙を拭き、メシアに悲しげな視線を送っていた。

 白衣と金色のネックレスを纏い、頬を紅潮させたレイの父が壇上にいるメシアに向かって走ってきた。

 「メシア様、リリス様の選別を行って下さり感謝します!」レイの父は彼の手を握り、跪いた。メシアは彼の頭を撫で「感謝する必要はない、貴方はこれから世の中のあらゆる苦しみから解放される。その喜びを噛み締めなさい」と優しい声で答えた。レイの父を従者達に任せ、メシアが壇上を降りた。その後、彼は息を大きく吸い込み大声で叫んだ。「今から聖なる儀式が行われる!!アズラエルの騎士達よ、眼に魂を刻め!!」信者達は右腕で拳を作り天に突き立て歓声を上げた。


 至福の笑みを浮かべたまま、レイの父はゆっくりと断頭台へと歩を進めてい前。

 「ああ、これで全てが報われる。」彼が独り言を言うと、従者達は慣れた手つきで彼の体を仰向けに倒れさせ首を板で固定した。断頭台の刃が月光に反射して冷たい輝きを放っていた。

笑顔の父を見て、レイは地獄の炎に焼かれている様な苦しみを覚え、顔を歪ませた。彼女の隣に座っていた灰色のスーツの女性がハンカチを取り出し、「これで目隠ししなさい。子供は見たらダメ」と落ち着いた口調で言い、ハンカチをレイの手に握らせた。彼女の視界が黒に染まった瞬間、断頭台の刃が自由落下した。レイは残酷な音で状況を理解し、目隠しをしたまま鼓膜が破れるほどの叫び声を大聖堂に響かせた。レイの父の遺体の一部をαは両手で持ち上げ、ステンドグラスから差し込む月の光に当て「彼は楽園に旅立った」と呟くと、全ての信者達が遺体に向き両手を合わせ祈りを捧げながら理解不能な呪文を唱え始めた。ある信者は体を震わせ、涙を流していた。

 従者達が迅速に断頭台を解体した後、遺体を納体袋に丁寧に納めているのをレイは生気を失った瞳で呆然と眺めていた。黒装束の中に赤と白のTシャツが僅かに見えている女性がレイの小さな手をそっと握り、「私はあなたを助けたい、怖いおじさん達から逃げよう」と小声で語りかけてきた。レイは彼女の手に引かれながら人波の間を抜けていき大聖堂の巨大な扉の前に辿り着いた。

 扉の両脇には純白の衣を纏い、自身の1.5倍の大きさの紅い槍を天に向けている従者がいた。

「おい、そこの女、外出許可書を見せろ」と右側の純白の従者はまるで鮮血で染まったかの様な槍を彼女とレイに向け、冷たい眼光でレイ達を見ていた。従者は許可書を出す素振りをみせない彼女達に徐々に警戒心を露わにし声をあげた。「λ(ラムダ)様、奴らが外に出たいみたいですがどうしましょうか」と灰色のスーツを着て、煙草を吸っている女性を従者が呼んだ。彼女はレイ達を睨んだ。


「許可書がないんでしょ、外に出たいならちょっと話をしようや」とλは吸殻を床に踏みつぶしながら答えた。λに連れられ二人はステンレス製の机と椅子だけがある寂れた部屋に案内され、部屋の中央には球形のペンダントライトが彼女達を微かに照らしていた。入室した直後、錆びれた鉄系素材特有の異臭が充満しており、あまりの匂いにレイ達は鼻を押さえた。その様子を見てλは「ごめんなさいね、臭いでしょ」と言いながら消臭マスクを渡した。


彼女たちは消臭マスクを着け、ステンレス鋼の錆びれた椅子に体を預けるとλが教団アズラエル関係者の情報が蓄積されているデバイスを操作し、「許可書を持たないで出て行こうとするなんて、セナ本当にリリス様と契りを交わした?」と目を細めて彼女の目を見つめた。セナは目を見開き、「同士を疑ってるの!信じられない!!」と手のひらをλに向けた。そこにはΣと刻まれている傷跡があった。


セナの手を触れ、傷跡を凝視したλは「アズラエルの騎士を疑ってすまない」と机に頭をぶつける勢いで頭を下げた。彼女が指を鳴らすと、紅の衣を纏った長身の女が外出許可書を持ってきた。λに扉まで見送られた後、彼女たちは外に出たが尋問室の異臭を優に超える臭いが鼻を突いた。セナはバックパックから異臭対策専用のフルフェイスマスクを二つ取り出し、レイに被せたが、視界が歪み始め真っ白になった。レイは突然倒れた彼女の頭を反射的に守り、地面に落ちていたフェイスマスクをそっと被せた。彼女は大きく息を吸って吐いた後に目覚め、レイに微笑を浮かべた。

 「助けてくれてありがと、あんた良いやつね」セナはレイに感謝の意を伝えると、腕時計を二回タッチした。すると、腕時計のフレームから地面に光の線が浮び始め、立体映像の真っ白のスタイリッシュなスポーツカーを描き実体化した。「さあ、乗ろう乗ろう」とセナは数秒前の出来事が嘘みたいに口笛を吹きながら上機嫌に乗車した。レイは下を向いたままセナとは対照的な様子で助手席に乗り込んだ。

 セナはエンジンを掛けると、VXエンジンが吠えた。車のヘッドライトを付けた後、彼女は常闇の世界に光る彗星の様な美しい直線を造りながらインフェルノの首都、星辰界に向けて走らせた。

「あ、セナと呼ばれていたいたけどこれは偽名だから、ほんとの名前はエイミーっていうのよろしくね」彼女はゴミ山の地下に作られた地下通路の道中、レイに話しかけた。少女は窓の外の暗闇を眺めながら「私の名前はレイ、さっきお父さんと再会したと思ったら死んじゃった。助けてエイミー」とレイは父の異様に輝いた目やグロテスクな音が脳内でフラッシュバックし号泣した。少女独りには重すぎる影を見たエイミーは車を全自動運転モードに切り替えると、レイに優しくハグし「私は絶対あなたを助ける。だから、私と暮らそ」と小さな体をそっと包み込んだ。

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