4日目:誕生!「史たん」

 『 やっぱりこっちかな?』

 「おかたん」が2枚並べられた紙片の内、一方を選び取る。

 選び取った紙片を持ち上げ、感慨深げにうなずく「おかたん」。

 この瞬間、「史たん」は、正式に「史たん」となったのであった。


 さて、豪華なランチを二人で食べ終え、少しまったりした時間を過ごしていた我ら。だが、そんな時間も長くは続かず、早々に沐浴やら、今後の赤ちゃんのお世話講習やらに連れて行かれてしまう「おかたん」。そうすると、話し相手の「史たん」も「おかたん」と一緒になってどこかに行ってしまう訳で、「ボク」は完全に手持ち無沙汰となってしまった。ただただ無為に時間を過ごしているのもなんなので、とりあえず見知らぬ街へ散策へと乗り出すことにするのだった。まぁ、散策と言っても、結局大した遠出もできず、近場にあったG○Oやらコンビニやらで、時間を潰して戻ってくるだけで終わってしまったのだが。まぁ、それはそれで学生時代宜しく、いい時間の過ごし方だったのではないだろうか。

 そして、晩ご飯にはお待ちかねの地元ラーメンを堪能し、意を決して「おかたん」が寝泊まりしている大部屋に戻った「ボク」である。と、何やら慌ただしい。それもそのはず、実は「おかたん」は今日から個室生活になるのである。「史たん」と一緒の時間も徐々に増え、隊員の準備が始まるのだとか?(まぁ、結局ちびっ子「史たん」は保育器からなかなか出られず、「おかたん」だけが先に退院の運びとなるのだが、それはまた別のお話)。

 何やら、というが「ボク」だって、引っ越しについて知らなかったわけではない。というか、個室に移るから「ボク」も一夜を過ごすことを許可してもらえているわけで…っといっても、である。まさか、こんな夕食が終わったような時間まで移動していないとは思わないではないか。しかも、看護婦さんがてきぱきと荷物を運んでいるのだが、肝心の「おかたん」は不在という。これってどういうことだろう?そう思って眺めているだけなのもあれなので、看護婦さんに声を掛けつつ、「ボク」は引っ越しのお手伝いを始めた。と言ったって、看護婦さんがまとめた荷物を個室に運ぶだけなので、大した労でもなかったのだが。

 荷物をもって、看護婦さんに教えられた個室へ行く。そして、往復すること数度、すっかり引っ越しも終わってしまい、「ボク」が必要そうな物品を並べていると、看護婦さんは

 『 それでは少しお待ちくださいね。』

 とだけ言って、さっさと行ってしまった。


 暇だ。とりあえず、ベッドに腰かけ軽く一服(っても、「ボク」はタバコなんてやらないけど。)していると「おかたん」が帰ってきた。どうやら、講習に行っていたらしい。

 『 あ、もう来てたんだ。おかえり~』

 『 いやいや、おかえり、はこっちのセリフだけどな~とりあえず、引っ越しは看護婦さんと二人でやっておいたじょ。一応だけだから、足りないものがないかは確認してくれ~』

 と、そんな会話をしつつ、改めて部屋を見渡す。

 個室といいつつ、かなり広い空間が確保されており、シャワートイレも完備。どこぞのベニヤ一枚しか隔ててないような、安ホテルとは比べ物にならないほど遮音性も高い。広めのシングルベッドがあり、基本赤ちゃんとお母さんはここで寝泊まりすることになるのだろう。そして、それ以外にもう一つ簡易ベッドが据え付けられている。その上、電気ポットやシンクの水回りも完備されており、住環境としてはまさに至れり尽くせりの状況である。収納も小さいながらもちゃんとしており、なんでこんなに?と思うほど大量の「おかたん」荷物も収納できるほどのスペースを確保できている。もう、すげーなーの一言に尽きる。

 さて、そんなこんな物色しつつ、とりとめのない話をしていると「おかたん」が「史たん」のお泊り準備を始める。「史たん」’sベッドをどこに置こうかと、いろいろ悩んでいる様子が少しおかしく、

 『 いやいや、君がすぐにお世話に駆け付けられるベッドの横だろうよ。』

 と、アドバイスをする。

 『 でもね、ここ狭いから、赤ちゃんベッドが入るかどうか…うーん、見た目的にこっちなんだけどぉ…』

 とぽてぽてやっている。結果、ベッドと簡易ベッドの間の空間に置くことにしたらしい。ただ、そこだとお世話のために起き上がって数歩歩かなければならないため、「ボク」的にはどうなんだろうと、思ったり思わなかったりする。(気になった方もいるかもしれないが、「おかたん」の動作を表すのに最適な擬音語が何かを検討したところ、「ボク」がはっけんしたものが、ぽてぽて、になる。基本「おかたん」の動きは早くない。もともと家事スキルも高くなく、家事の際の動きが緩慢なのに加え、本調子ではない身体なのだから、まぁ、仕方が無いのかもしれんが、ぽてぽて、とは言い得て妙な擬音語を発見したものである。)そんな「おかたん」の右往左往を生暖かく見守っていると、院内アナウンスが鳴る。

 『 「おかたん」さん、赤ちゃんの準備が出来たのでいらして下さい』

 お、とうとう来るのか?そう思って待つこと2分。「おかたん」と共に乳母車(ベッド?)を押す看護婦さんが部屋に入ってきた。そして、その中には我らが「史たん」!泣きもせず、虚ろなまなざしを光源に向け、堂々の登場である。

 『 それでは、宜しくお願いしますね。』

 そう看護婦さんは声をかけ、さっさと個室から去って行っってしまった。


 さて、これで本当に、家族三人水入らずになった訳だが・・・正直、気まずい。「おかたん」は早速ミルクの準備など、忙しそうにぽてぽてと動き回っているが、自分は何をしたらいいのだろうか?やることが分からず、わが子にどう接していいのかもわからず、困惑だけが「ボク」の頭を支配していく。あれ?何で「ボク」ここに来たんだっけ?半ば、現実逃避ともとれる思考回路に陥りそうになり、いやいや、お前は父親になったんだろ?ここで引いてどうするよと、自分を鼓舞しつつ、まずは声をかけてみることにする。

 『 や、やっほー』

 …無反応である。そらそうだ。

 時折、ぴくんぴくんと動くが、それ以外は電気を見つめたまま動かないわが子。触っていいのかどうかも分からず、ただ見つめるだけの「ボク」。なんとも静かな空間である。って違う違う。とりあえず、何とかコミュニケーションを取ろうとしてみる「ボク」。微笑んでみたり、手を顔の前で動かしてみたり、、、本当に埒が明かない。もう、ちょっと突っついてみようかしら?よーしいくぞぉ。

 などと悪戯心が芽生え始めた頃、やっと「おかたん」のご帰還である。ミルクを作る準備をし、颯爽と「史たん」の乳母車のそばにやってくる。といっても、多分その間、5分もたっていないが。そして、無造作に「史たん」を抱き上げて、、、と、ここで驚愕の一言、

 『 抱いてみる?』

 みねーよ!こえーよ!なんか小さいし、動いてるし。ボクが人見知りなの知ってるだろー?もう少し打ち解ける時間が必要です!半年くらい!などと言える訳もなく、

 『 え?あ、う、うん。』

 『 ちゃんと持ってね』

 そういいながら渡される「史たん」。ちょっとまって、ちゃんとって何?何の講習も受けてないよ?まずはちゃんとをちゃんと教えて~!という心の声もむなしく、腕の上に乗せられる子ザル。

 洋服を着ているのか、洋服に着られているのかわからないが、抱いてみると思いのほか柔らかくない。背骨のごつごつした感じが自分の腕に感じられ、なんだ赤ちゃんって案外抱き心地良くないんだなぁなどという感想が脳裏をめぐる。自分で思うが、以外と余裕があるらしい、いや、そんな訳はない。

 「史たん」は全体的な重さはさしてないものの、力なく手に収まっている頭は異様に重たい。それを胴体と頭、別々の腕で、首がおかしくならないように細心の注意を払って持っているのだが、それ自体が時折ぴくんぴくんと動くし、勝手に首をねじろうとするのだから、バランスをとる方も気が気ではない。気を抜けば折れてしまいそうで、嫌な汗が背中を伝って行くのがわかる。もう、赤ちゃん抱っこさせて、という人の気が全く分からない。そう一人で戦々恐々としていると、

 『 どう?』

 と、そんな「おとたん」の心境を知ってか知らずか、「おかたん」が聞いてくる。

 ・・・どう?じゃないよ!どうすればいいんだよここから!うまく受け答えできる気力もなく、半笑いをするしかない。自分でやってて気持ち悪い。しかも「おかたん」は何故か、それを大丈夫ととったのか、そこから怒涛の写真撮影が開始される。アングルを変えながら撮ること十数枚。体感時間でいうと10分以上はあった。もう、勘弁してくれ。そして、やっとのことで満足したのか、「史たん」は「おかたん」の手へ。はぁ、解放された。

 こうして、「ボク」と「史たん」の初めての触れ合いが完了したのだった。


 っと、そうではない。今日の「ボク」の仕事はまだ終わったわけではないのである。「史たん」の人生において、一番大事なイベント、そう、その命名が残っているのである。。

 実は今までずっと「史たん」と呼んできた我が子であるが、実はこの時点まではまだちゃんと「史たん」ではなかったのだ。男の子だと分かった日から、あれやこれやと考えあぐね、何通りかの名前は考えていたのだが、まだ本決まりになってはいない。その中で、これぞというものをお正月にお見舞いに来た際に二人で絞り込んではいたのだが、結局絞り切れずに今に至っている。どの名前も上の字は「史」なので、「史たん」で間違いはないのだが、今時点ではまだ「名無しのごんべ」が正式名称である。

 このイベントの為に、コンビニに行ったり、清書をしたり、日中だらだら過ごしたようで実はちゃんと準備をしていた「ボク」。現時点での候補は2つ。どちらも「ボク」の名前から一文字を分け、「ボク」の半生で学んだ時間の大切さを込められる漢字を「おかたん」が画数などから厳正に選び抜いた立派な名前だ。そして、決めきれなかった分は最後に「史たん」の顔を見て決めようと約束していたのだ。

 だが、やっぱり最後の一票の権利は「おかたん」にあるだろう。何せ一番頑張ったのだ。だから、清書した名前を「史たん」の横に並べて、

 『 どっちにする?』

 と聞いてみる。それに対して「おかたん」は、

 『 「おとたん」はどっちがいいと思う?』

 との返答。まぁ、いつも通りの空気の読めなさである。でも、その後、間髪入れずに、

 『 いいの?決めて?』

 と言ってくれた。

 『 いいよ、任せる。』

 その一言を聞いて、二枚の紙を一枚ずつ「史たん」と並べてみては、首をひねる「おかたん」。それを繰り返す事数度。

 『 やっぱりこっちかな?』

 そういって、選んだ方は、ボクが内心思っていた名前とずばり一緒。まぁ、前々からこっちの方がいいかな~とは話していたのだけれど。ただ、この瞬間晴れて、「史たん」は「史たん」として誕生したのであった。


 その後は、命名した写メを家族皆に送付して、無事に名前が決まったことを伝え、返信で読み方を聞かれたり、似たような漢字のどっちなのかを答えたりと、質問の返答やらに慌ただしく時間が過ぎていった。その間「史たん」は一度の授乳とおむつ替えを経て、今は眠りについたのであった。

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