1日目:怪人物「おとたん」現る

 『…疲れたぁ』


 目覚めた早々、ボクの意思とは関係なく、その言葉が口をついて出る。

 見慣れぬ天井。

 寝慣れぬベッド。

 そう、ここは「おかたん」の実家である。


 夏涼しく、冬暖かい町に建つ一軒家。

 自営業のダンス教室も兼ねているこの家にお泊りするのはいったい何度目になることだろう?

 うーん?4回目くらいかな?

 ただ、今回は初めてのおひとり様。

 全然疲れが取れた気がしない体を意思の力で動かして、何とかベットから立ち上がる。

 そう、今日はこれから昨日のリベンジを果たさねばならないのだ。


 「おかたん」の生まれ育ったこの地は、年中通して過ごしやすく、海あり、山ありと地政学的には本当に申し分ない町である。

 だというのに、同じ県内に住んでいても不思議と訪れた回数は数えるほどしかない。

 まぁ、そもそも物理的に距離が遠く、交通の便もバスが一番早いというなんとも残念な感じなので仕方がないといえばそれまでなのだが。

 ただ、近年の過疎化の煽りはものすごく、病院数はウナギ下がり(こんな日本語があるのなら)らしい。

 しかも、産婦人科に至っては、ないといっても過言ではない状況とのこと。

 実際、里帰り出産を希望した「おかたん」も、健診までは実家から通いでできたが、いざ分娩が近づくと、近隣の大きな街にいかざるを得なくなった訳で。

 最早、里帰り出産とは?と問いたくなる気持ちしかないボクではあるが、結果、今この家にはボクと「おかたん」のご両親こと、「じぃじ」と「ばぁば」しかいないわけだ。

 ただ、それなら「おかたん」の傍にいればよかったのでは?という疑問の声もあることだろう。

 当然だ。

 では、何故「ボク」が一人でここに厄介になっているか、その聞くも涙、語るも涙の悲しい別れのエピソードをご披露しようと思う。



。。。


。。



 あー、ごめんなさい、それは大分盛ってしまった前振りです。

 そんな壮大なストーリーなんてありませんよ、はい。

 もう、端的に言うとね、そう、追い出されたんですっ!




 ということで、時は昨晩まで巻き戻る。


 泣きそうになりながら駅に降りたったボクだったが、まさかの足がない(幽霊じゃないよ~?)。

 とりあえず、タクシーを呼ぼうとスマホを手に検索画面を開こうとした刹那、着信が入る。


 『もしもし?』

 『あ、「おとたん」さん?もう駅着きました?』

 『あ、え、はい。とりあえず、今からタクシー探してそちらに移動しようかと思ってました。』


 電話は「ばぁば」からであった。


 『それなら、そこにいて!今から迎えに行きますから!』

 『あ、いやいや、「おかたん」さんの傍に居てあげて下さい。こちらは大丈夫ですから。』

 『いいの、いいの、そこで待っていて。それに病院入れないみたいだから。もー「おかたん」もいつ生まれるかちゃんと言ってくれないから、困ったものね。』


 そう言って、一方的に電話は切れた。


 『…ん?』


 切れたのはいいが、もうボクの頭の中は???でいっぱいだった。

 どういうことだ?


 ちょっと待て、状況を整理しよう。

 

 「史たん」はボクが駅につく前に生まれてしまったらしい。

 これはいい。

 最早取り返しのつけようもない。

 それはそうとして、その連絡が「おかたん」のスマホからあったということは、母子ともにとりあえず、無事ということ。

 ここまではいい。


『(うむうむ)』


 そう声に出さずに頷きながら、つづきを考えてみる。

 

 で、ボクはようやっとここまでたどり着いて、これから病院に向かうと。

 で、それを迎えに「ばぁば」が今からくる?

 「じぃじ」を病院に残して?

 いや、流石にそれはありえないだろ?

 だって、男親一人残されたってやれることなんてたかが知れてるもの。

 ってことは、「じぃじ」が一人で来る?

 でも、さっきの会話、たしか『病院に入れない』って言ってなかったか?

 えーっと、マジで状況がよくわからんぞ?


 そうやって、ボクが一人うんうん、うなりながら一瞬頭をよぎった結論。


 え?まさか「おかたん」出産のとき一人だった?

 まさかねぇ(笑)


 そう笑い飛ばしながら、頭のゴミ箱にぽいと捨てたこの結論がまさか正解だったなんて、その時誰が思うだろうか?

 足りないボクは、それからもうんうんと唸りながら、情報源の到達を待つのだった。


。。。


。。



 見覚えのある車がタクシーのロータリーに入ってくるのを見て、ボクは階段を駆け下りる。

 この駅は若干の高台になっており、入ってくる車は駅からすべて丸見えとなるため、閑散とした道路をこちらに来る「じぃじ」の車は簡単に見つけることができた。


 車が停車するのと、ボクが駐車場所に辿り着くのはほぼ同時だったろうか?

 窓越しに見た社内の状況に、膝から崩れ落ちなかったボクを誰か褒めてほしい。


 停車した車の中、そこにあったのは「じぃじ」と「ばぁば」のニコニコした顔。

 この時ボクは、先ほど脳内でシミュレートした最悪の状況が現在進行中であることを悟ったのである。


 いやだってさ、まさか、里帰り出産と言って帰省したのに、まさか一人で出産しているとは思わないでしょ?


 多分、拾われてからのボクは上の空どころじゃなかったと思う。

 正直、迎えに来ていただいて、非常に助かってはいたので、失礼だったろうとは思うが、それどころではない。

 車中では、やれ、


『あの病院ね、旦那さん以外の立会いが出来ないらしいのよ。ホント不便よね?』


 やら、


『親族なんだから閉院時間を少し融通してくれても良いと思いません?』


 だの、あれやこれやと話しかけられたが、正直ほとんど記憶に残っていない。

 そして、ようやっとたどり着いた病院で、疲れ切った「おかたん」に


『お疲れ様、ホント頑張ったね。』


 そう声をかけた。

 その時はまさか、そんなたった数分の面会で、早々と追い出される羽目になろうとは思いもしなかった。

 どうやら、この日は気圧の影響か、出産ラッシュであったようで、「おかたん」に労いの言葉をかけている最中でも奥ではバタバタと忙しそうにしていた。

 だから、追い出されるのは仕方がなかったのだろう。

 けど、そんな中でも初産という、ビッグイベントを終えたばかりの娘に


 『ご飯食べた?おにぎりかってきたわよ。あら、おいしそうなご飯あるじゃない!』


 と、しきりに食を進めている「ばぁば」を見て、女性ってすげぇんだなぁと思ったのは言うまでもない。

 

 え?「史たん」?

 あー「史たん」はね、無事に生まれはものの、ちびっ子だということで、「ボク」が病院についた時にはもう保育器の中だったよ。

 しかも、ラッシュだったからか保育室には入れず、保育室のガラス張りのむこうから眺めるしかできんかった。

 遠目に見たその姿は、なんというか赤黒く、手足は枯れ枝のようで、お世辞にも可愛くは見えなかったなぁ。

 まぁ、そんなこと言ったら色んな方面からボコボコにされるのだろうが。

 さて、そんなこんなで、電光石火のスピードで病院を追い出された我らビッグイベントにたちあ、、、えなかったチームは明日の予定をたてることとなった。


 ボクはと言えば、お別れの際に「おかたん」と


 『明日、可能な限り早く来るから、その時色々話しよ。だから今日はゆっくり休んでね。』


 というはなしをしてきた所だったから、


 『明日は開院と同時位に来る予定にしていますので、ここらへんで適当なホテルに泊まりますね。』


 と、やる気を滾らせていたのだが、それを許してくれないのが二人。


 『いやいや、宿代もバカにならないですから、泊っていってください。折角なんで、ね?』


 そう言われたら、「おかたん」の手前固辞もできない。

 一応ごねてはみたものの、結局連行されることとなってしまった。

 因みに、ここから「おかたん」のご実家までは距離にして約60㎞。時間にして一時間半ほどのドライブとなる。

 遠すぎね?

 でも、


 『待っててね。「おかたん」!明日こそは間に合って見せるから!』



 …なぁんて、考えていたのが昨日の21時半過ぎ。ご実家についたのは23時を回った頃であった。

 当然思うじゃん?あとは寝る準備して明日に備えるって?

 ただでさえ、人生で何度かしかないビッグイベントにたちあ、、、ってはいないんだけど、気分はもうやりきったそれだし。

 ドライブの間も話べたな割には頑張って会話をつないでいた方だとも思う。

 というかそもそも、朝の5時くらいに陣痛が来たって連絡を貰ってから、ほとんど寝てないし(新幹線の寝落ちはノーカンというか、それはそれで疲れるよね。)。

 だからさ、まさかそこから『お祝い会』なるイベントが始まり、


 『「おとたん」さん、まずは乾杯!お疲れさまでした!』

 

 のもと宴会が始まるとは思わないじゃない?

 いやいやいや、我ら間に合っていないンズですよ?どの口でお疲れ、と?


 『「おかたん」がいつ生まれるか言わないから、夜通しかと思っておにぎりいっぱい買いこんじゃいましたよ(笑)これ、コンビニのですけど、美味しいんですよ?遠慮なくどーぞ』

 

 いやいや、そういうの買っている暇があったら、間に合ったんじゃないっすか?そもそも、何時に生まれるかなんて、初産の娘に分かるわけないじゃないっすか。

 と、もう散々心の中で突っ込みを入れ続けることになった訳。

 その後も初孫でテンションが上がっていたのか、お酒が入ったからか、陽気な二人をよいしょしたり、よいしょしたりして、気が付けば明け方の3時。もう、これ夢?としか思わんじゃん?


 だから、朝7時に何とか目覚めて、開口一番

 『…疲れたぁ』

 が口を突いて出ても、許してほしい。

 そんな、寝たかのか寝てないのかも、わからないぼーっとした頭で無意識にでてしまったそのセリフに苦笑しつつ、ベッドから起き上がる。

 出産ってあれだよ?産む方も、産まれる方もそれはそれは大変なんだとは思うが、見守る方だって、それなりには大変だということをみんなもう少しわかって欲しいよね。喜びも驚きも嬉しさも、何かを表現するということはどうしたって「疲れる」のだから。


 さて、そんな益体もないことを考えつつ、「おかたん」のところへ向かう準備の手だけは止めないボク。

 程なくして、荷造は完了したのだが、、、

 ここでもまた肝心の足がない。

 というか夜型家族の「じぃじ」「ばぁば」を8時前にたたき起こしていいものかもわからず、ただただやきもきするばかり。

 まぁ、そもそももうこの時点で8時半の開院には間に合わないのだが、それでも少しでも早めに、という気持ちがボクを急き立てる。

 そしてヤキモキしながら、数十分。結論の出ないままロビーで待ちぼうけていると、


 『おはようございます。』


 と、家主の二人が顔を出す。取るものもとりあえず、出発したいボ」の心を知ってか知らずか、


 『「おとたん」さんは何時くらいに出られる予定です?』


 開口一番そんな問いを投げかけられる。

 それは当然、直ぐにでも!と答えるべく準備していた口ではあったが、継がれた一言で一瞬固まってしまう。


 『それと、「おとたん」さん、私、お酒が少し残ってるのか、ぼーっとするので運転お願いしますね。』


 はい?あのぅ、ボク、道知りませんけど?というか、あなた、ボクより早く寝てましたよね?飲んだ量もひたすら注ぐもんだから、絶対こっちの方が多いし。しかも、その車運転したことないんですけど?

 結局、もろもろの準備を終えて、出発できた頃にはとうに8時半を回ってしまっていた。

 その後、「じぃじ」の道案内でなんとかかんとか、病院にたどり着いたのは午前10時を回った頃だった。


 前日の決意?残ってないよそんなもん。


 当然の如く、「おかたん」からは開口一番

 『遅かったね』

 の一言。

 でも、顔色は昨日よりはよさそうである。

 ってかさ、そもそも、なんで里帰り出産なのに里から遠い病院なんだよ!帰った意味ないやん!という文句はもちろん言わないよ?だって、何が悪いって、少子高齢化を助長した日本という国と、そういう政策を取った歴代の政治家どもだもの。都市部へ人、物、金を集約した結果、地方部には職がなく、若者が寄り付けず、若者向けの色々は撤退していってしまった。産婦人科もその例に洩れなかっただけの話だもの。だからね、「史たん」、君の生きる時代はきっともっと辛いぞ~と、保育室のガラス越しに見える「史たん」に独り言ちるボク。はい、もう完全に不審者です。

 昨日は奥にいた「史たん」だが、今日はガラス間近に移動してきている。今日の「史たん」‘sファッションは不思議な帽子(?なんかリンゴとかの緩衝材みたいな?)を被って、浴衣みたいなおべべを着ている。昨晩見た時よりかは肌の色も落ち着いていて、少し赤ちゃんっぽくなったかなぁ?

 因みに、何故今ボクが一人なのかというと、「おかたん」は出産のダメージで未だぐったりモード、授乳周期も短く、なかなか睡眠がとれていないということで、寸暇を惜しんで寝ているのである。だから、ボクが監視役として常駐しつつ、「史たん」とのお話に花を咲かせているのである。あれ?ボクいらんくない?

 そんなことを考えていたら、「史たん」の手足が急にびくっと動いた。 なんかバネ仕掛けの人形みたい。と、徐に目を開ける「史たん」。

 『お、目開けた!おーい、「史たーん」、「おとたん」だよーおーい、もう「史たん」こっち見ないなぁ。』

 見えないのはわかってる。でもこっちを向いてほしいのが男心である。だから、心で叫びつつ、口ではガラスに向かってぶつぶつ呟いている。因みに、ボクはまだ「史たん」の顔を正面から見ていない。きのうは暗かったし、今日は今日とて、ずっと電気の付いた部屋の奥側を向いている。あとで聞いたのだが、赤ちゃんはまだ目が良く見えないため、明かりの強い方を見る習性があるとか。でも、そんなことを知らないボクはガラス越しに、

 『「史たん」やーそんなに看護婦さんがいいのか?まぁ、こんな坊主より、きれいな(?)看護婦さんの方がいいよな~?わかるわ~でも、君、あんまりかわいくないなーしわくちゃで子ザルみたいだし。本当にボクの子なんだろうかねぇ(笑)。あ、でも、これは「おかたん」に言っちゃだめだよ~男同士の秘密だぜ~』

 とか、呟いている。

 この怪しい人物、結局その日は暇の許す限りずぅっと、「史たん」の保育室の前にいたという。独り言に始まり、スマホでの撮影、血走った目で新生児にこっちをむけーと念を送ってみたり。ホント、警察呼ばれなくてよかったねぇ。

 因みに、夕方近くまで誕生一日目の「史たん」と語らっていたボクであったが、実は翌日妹の結婚式に出席するという、奇跡のようなハードスケジュールなのであった。そんな訳で、名残惜しくも二人と別れ、今度は自分の実家に向かうボク。

 次に「史たん」と会えるのは数日後。今度は病院に泊れるらしいから、もっと「史たん」をいっぱい見ようと心に決めたボクであった。尤も、このときはまだ、赤ちゃんというものがこんなにも大変なものだという事を知る由はないのだが。

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