生きていてほしかった

生きていてほしかった

作者 夏希纏

https://kakuyomu.jp/works/16817330663312439064


 夏休み、大学推薦のために介護ボランティアに参加する八城志紋は、息子たち家族を亡くした桜光代から孫のシモンと間違われるも、孫の振りをして接し、思い出話に耳を傾けてきた。ありがとうの言葉を残して心筋梗塞でなくなった桜が言っていた「生きてさえいればええんよ」の言葉が思い出される話。


 ヒューマンドラマ。

 時代性や社会性を感じる。

 どんな時代や困難があろうとも、生きているうちは精一杯生きなくては、と改めて思わせてくれる作品。


 主人公は高校二年の八城志紋。一人称、俺で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。

 現在→過去→未来の順に描かれている。


 メロドラマと女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 中学時代、なんとなく孤立して居場所がなくて学校に行けなくなっていた主人公の八城志紋も高校二年になっている。

 六月、進路を決めなければならない時期に、同じように中学時代いじめられて学校に行けなくなっていた友人の明野にどうするか聞かれた八城は、就職は嫌だし、極めたい専門分野もないから大学進学を選ぶも、推薦は貰えそうにない。が、介護のボランティア活動で不真面目な兄も推薦を取っていたと聞いてやってみることに。先生に話すと、それぞれ別の場所で活動することとなる。

 介護施設で職員の加藤美乃梨の説明から、週に四回、八月二十五日まで一カ月、主に二時間のレクリエーションの手伝いをすることになる。

 挨拶すると、「まあまあシモン、どうしたのよぉ!」と小走り気味に歩いては手を握ってくる桜というお婆さんがいた。面識はなく、自分の孫と認識される。「もう元気やなくてもええわ。生きてるだけでええのよ。お父さんにも言うといて」傾聴が大事と教わったので、そうなんですね、わかりましたと敬語で受け答えすると、「そない他人行儀やとばあちゃん寂しいわ」という桜に、八城は対応に困って加藤を見ると「そうしてあげて」といったので孫のふりをすることになる。

 レクリエーション中、「しかしシモンくんも大変やな。桜の婆さんの、死んだ孫に間違えられるなんて」老人ホームにいる三山にいわれる。『シモン』のフリをしてもよかったのかと思いつつも、レクリエーションに頑張っては胸を張る桜の姿に「ばあちゃんはすごいなぁ」と返す。「そうやろ!」と、本当に本当に、幸せそうな表情を桜は浮かべていた。

 明野は子供のボランティアに行き、男子相手に疲れたという。

 電車内の空調に涼みながら「高校に行けるかどうかもわからなかったオレたちが、ボランティアだもんな」と明野がしみじみと口にする。「生きてればええんよ」といった桜の声が蘇る。学校に行けなくなったとき、学校に行けとしか言われなかったことを思い出す。

 レクリエーションで、桜は八城ばかり話しかける。友だちと遊んでいるか聞かれ、ほとんど毎日遊んでいると答えると、「それはよかった!」と破顔し、「心配してたんよ。学校も行かず、ずっと家におって。このままおらんくなってまうんやないか、って……そうか、友達と遊んでるんやね。よかったよかった」

 現実のシモンは自分に絶望して命を断ったのだろう。同じ名前の自分にもおなじような結末があったかもしれない。せめて桜の妄想の世界だけは守ってあげたいと、「実は夏休み明けたら、学校に行こうと思ってるんだ。友達もいるし」と口にする。

「そういえば、シュウマは元気?」と聞かれる。叔父らしいが、現実では亡くなっている可能性はあれど記憶の中でシュウマは生きている。「ああ、叔父さんね。この前父さんが面会に行って、元気そうだって言ってた」と伝えると「あらぁ、そう! わたしも老人ホームで、遠方やしでなかなか行けんくて心配しとってんよ。そうかぁ、よかったわぁ」と顔を輝かせ、「立派に大企業に勤めるのはええことやけど、母さんはあんたが生きてさえいればええんよ、って伝えておいて?」と、いつものことを言った。

 俳句の紙に『桜光代』と書いていたのを思い出し検索して調べてみると、『桜家一家心中事件の母・光代が語る』と書かれた五年前の記事を見つける。

 二〇一四年六月二十二日、午前二時。兵庫県神戸市兵庫区の一軒家で、火事が起こっているとの通報が兵庫警察署に寄せられた。近隣住民の家に燃え移る前に消し止められたが、駆けつけた消防団員がリビングで桜一家四人の遺体を発見。火は煉炭自殺を試みて発生したものだと特定された。専門家によると、桜家には福祉ニーズがあったのにも関わらず、支援に繋がれなかったことが事件の原因であると考えられている。

『全責任、つまり弟の行く末、息子の行く末、妻の行く末、そして私の行く末は私が負うより他にない』と遺書が残されていた。

 本事件の首謀者とされる桜英生さん(51)は、幼いころから重度知的障害のある弟・秀真さん(47)に寄り添い続けてきた。

 英夫の母・光代さんによれば、英生は遺書の内容から察する通り、責任感が強すぎるところがあったと言う。

 桜家が一丸となって探した施設に、秀真さんは養護学校(現・特別支援学校)を卒業してからずっと入所していたが、事件三年前に経営者が変わり、事件二年前に他害行為を理由とした長時間拘束及び虐待行為が発覚し、退所。代わりの施設を探そうと奮闘するも、秀真さんは最重度の知的障害がある上、強度行動障害なども見られることから受け入れ施設は見つからず、息子の志門は某名門中学に合格したものの中学一年生の五月から不登校状態となり、程なくして公立中学に転校するも一度も投稿できていない状況。事件当時は中学三年生。精神科に連れて行こうとするも、外に出ることもままならず高校進学の道も見えなかった。息子の不登校に気を病んだ母礼子はうつ病を患う。事件三日前、光代の元に英生からSOSの電話があった。なんとかしようと毎日電話で話していたが、「私が秀真の面倒をあの子に任せてなかったら、こんなことにはならんかったんです。無理矢理にでも、家事しに行っとったら。志門を私の家に呼んでたら……」と書かれてあった。

 本当に忘れることができているのかと思いを馳せ、全部忘れて、孫は学校に行って息子ふたりは幸せに暮らし、礼子さんもうまくやっているという幻想の中で暮らしていてほしいと願うのだった。

 ボランティア八日目、八城は桜に二人の息子の思い出話を聞く。秀真は一歳くらいのとき重度の障害がある可能性を診断され乳児院に預けようかと夫と話していたとき英夫は「そんなんあかん、僕の弟やのにそんなんせんといて」といってから、英生は可哀想なくらいずっと秀真と一緒にいて面倒を見ていた。本当は自分がするべきだったのに。

 神戸に出てくるまでは奈良に住んでいて、英生が秀真の手伝いをよくしてくれたおかげで家族で吉野の桜を見に行けた。行ったらじろじろ見られ、せっかくの花見を邪魔すんなって酔っ払いに言われて、こんなこと言われるようなところに連れてきてごめんなって秀真を抱きしめたら、言葉を話した「さくら」と。

「私らが『これが桜やで、綺麗やろ』『私らの名前には、みんな桜の字が入ってるんやで』って言うたの、聞こえてたんやって。そしたら、この子を産んでよかったなぁって、しみじみ思えてんよ」。

 それくらい嬉しかったと話した桜は翌日、夜中に心筋梗塞で亡くなったことを伝えられる。

「シモンくんに、もう一度ありがとうって伝えといてって、退勤直前に伝言されたから、伝えておくね……」

 加藤の言葉に「桜さんが『シモンくん』って言ったんですか……?」ときけば、「『シモンくん』からだよ。……たぶん、どこかで八城くんが孫じゃないってことはわかってたんじゃないのかな」といわれる。

 孫の振りをして、相手を癒すつもりが傷口に塩を塗っていたのか。ずっと『八城です』といっていればよかったのではないのかと考えていると、「桜さんはありがとうって言ってるんだよ。遺言に残すくらい、本当にそう思ってたんだと思う。……孫のフリをするのは、そりゃ客観的に考えればあんまりよくないことなのかもしれないけどね」「桜さんがシモンくんと話すとき、ご家族の話をするとき、わたしたち職員にシモンくんとの話をしてくれるとき、本当に楽しそうで、嬉しそうだった。シモンくんが桜さんのそういう感情を引き出した、ってことは覚えてて」と加藤さんに言われて、ふと「生きてさえいればええんよ」と桜の言葉が鮮明に蘇るのだった。

 

 三幕八場の構成で作られている。

 一幕一場のはじまりは、高校二年の夏休みに大学入試の実績作りのために介護ボランティア先で、桜というおばあさんに孫だと思われている。二場の主人公の目的は、高校二年の六月、友人の明野に進路を聞かれ大学進学を選ぶも推薦は難しい。が、ボランティア活動で実績を作れば推薦が取れると聞く。

 二幕三場の最初の課題では、担任の先生に話し、説明を受けてボランティア先へ行き、レクリエーションの手伝いをすることになる。

 四場の重い課題では、桜というおばあさんに孫のシモンと認識されてしまう。しかも孫は死んでいることを聞かされ、シモンの振りをしてよかったと悩む。

 五場の状況の再整備、転換点では、初日が終わったあと、桜さんのこと、孫はどうして死んでしまい、いつから忘却したのか質問したいことは山のように会ったが、これからもボランティアは続くので、「明日のレクリエーションについて、予習しておいたほうがいいものってありますか」とだけ問う。帰りに明野と再会し、互いの活動先の話をしながら、自身たちが中学時代は学校に行けていなかったのによく高校に進学できたものだと振り返り、桜お婆さんの「生きてればええんよ」が思い出される。

 六場の最大の課題では、孫は学校に行けずにいて心配されていたことを知る。叔父のショウマのことを聞かれ「ヒデオに伝えてぇや。ほんまにシュウマのことで迷惑かけてごめんな、ありがとうって」と言われ、伝えておくと答える。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、桜光代のことをネットで調べると二〇一四年の『桜家一家心中事件の母・光代が語る』の記事を見つけ、重度知的障害のある弟の秀真を面倒見続けるも支援されず、不登校になった息子、鬱になった母、すべての行く末を負うように桜一家が練炭自殺をしていた事実を知り、全てを忘れることができているのだろうかと思い、桜に思い出話を尋ねる。

 一度だけ家族で吉野の桜を見に行けたとき、ショウマが「さくら」と言葉を発した。『これが桜やで、綺麗やろ』『私らの名前には、みんな桜の字が入ってるんやで』と話したのが聞こえていて、「この子を産んでよかったなぁって、しみじみ思えてんよ」と嬉しそうに話す。

 八場のエピローグでは、その夜心筋梗塞で桜は亡くなったと、翌日ホームを訪れて教えられる。「シモンくんに、もう一度ありがとう」と伝えられ、孫でないことはどこかでわかっていたのではと教えられる。ふと、「生きてさえいればええんよ」という声が蘇るのだった。

 

 プロローグは介護ボランティアをはじめて一週間後の様子が描かれている。主人公の八城が桜に二人の息子の思い出話を聞くのが八日目。

 時系列だと、プロローグの後、帰宅してから桜一家のことをネット検索して調べ、八日目を迎える流れなのだろう。

 八日に思い出話を聞き、その夜に心筋梗塞でなくなり、翌日の九日目がエピローグである。


 ボランティア活動を勧めてきた友人の明野は、主人公よりしっかりしている。

 兄がいるせいかもしれない。

 年下は、年上のやるところをみては自分の人生に生かすところがある。主人公の八城は一人っ子かもしれない。


「何も社会経験しないまま、大学生になって急に給料もらうことになるんだぜ? 無給だったらやさしい注意で済んでたものも、そうじゃなくなるだろ。ああ怖いね」

 大学時代にアルバイトをすればいいのでは、と思う。

 バイトだけでなく、それこそボランティア活動をすることで社会経験できる。「大学生になって急に給料もらうことになる」わけではない。中には、そういう人もいるだろうけれども。


 大学入試の総合型選抜や学校推薦型選抜の出願資格の一つに、ボランティアの活動実績を部活の大会実績や海外留学、英検などの資格と同様に課外活動の実績のひとつとして評価対象に取り入れている大学は増えている。

 一般選抜ではチャンスのない大学にも、これまでのボランティア活動の実績や活動でのプレゼンテーション経験があれば、総合型選抜で合格できる場合がある。

 ただし、受験のための実績づくりを目的としたものなら、大学側もすぐにわかってしまう。

 どんな問題意識を持って、なぜボランティア活動に参加したのか、また参加したことでどのような貢献ができたのか、そしてどのような学びを得ることができたのかを活動ごとに整理してまとめておくことが大切である。

 また、活動実績を条件にしている場合、一年以上の継続的な活動を求めていることもあるので、よく調べる必要がある。

 アピールできるものがある人が総合型選抜には強い。学力だけでは合否は決まらないから。


「桜家が一丸となって探した施設に、秀真さんは養護学校(現・特別支援学校)を卒業してからずっと入所していたが、事件の三年前に経営者が変わり、事件の二年前に他害行為を理由とした長時間拘束及び虐待行為が発覚し、退所」とあり、介護現場で起きる虐待は増加傾向にある現実と繋がっていると感じた。


 厚生労働省の「令和三年度『高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律』に基づく対応状況等に関する調査結果」では、令和三年度の虐待発生件数は過去最多を記録。同様に、相談・通報件数も増えている現実がある。

 兵庫県だけではないけれども、兵庫県の介護施設というのも現実味を感じる。実際に、兵庫県内の高齢者向けの施設や住まいで、介護職員が高齢者に対して殴る蹴るなどの虐待をし、逮捕されるという事件が相次いで発生しているから。


 強度行動障害の支援が難しく、「どこの施設も、入所のみならずショートステイの予約すら拒否されることが当たり前だった。受け入れ可能な施設も、朝から待機しなければままならない状態。時には朝から電話をかけ続けてもショートステイの予約が難しいときもあるという」

「受け入れ可かつ環境のよい入所施設もあったが、そういった施設は待機人数が多く、すぐには入所できなかった。五十人待ちは普通で、百人待ちということもザラにある」

 ニーズがあっても現状が伴っていないことはよく聞く。

 結局は家族で面倒を見なければならなくなる。


 昔はどこの家庭でも、高齢者だったり病気持ちの子は家族で面倒をみていた。

 でも、この場合の昔とは核家族ではなく大家族で、兄弟親戚の助けも借りられて、多くの人が面倒を見る人がいた。それでも面倒を見ることになるのは嫁の場合が多く、家族の助けがもらえるとはいっても、負担を押し付けられることが常ではあったが。

 現在は殆どが核家族で、祖父母とは別々に暮らし、両親が共働きをしなければ生活できない状況にある。

 施設に預けるにもお金がいる。

 家族がつきっきりで面倒を見るのは難しい社会になっているとはいえ、施設の人手不足や入居者数にも限りがあり利用できるとは限らない。施設で働いている人間がストレスから暴力を振るう問題など、様々あるのが実社会の課題でもある。


 しかも、桜一家には息子の不登校問題もある。

「某名門中学に合格」しても、頭のいい人ばかり集まるし、足の引っ張りあいもある。彼にはきっと友達がいなかったのだろう。

 学校は勉強をしにいくところで友だちを作るところではない、と割り切って、目的のために勉強をしていく考えに切り替えなくてはならなかったかもしれない。

 そういう目的がなかったなら、みんなと同じようにはじめから公立中に通ったとも良かったと考える。

 でも、公立中に転校したも一回も登校してない。

 小学生のときからいじめにあっていたのかしらん。


 また、小児心療内科の予約も取りづらい状況がある。

 全体的に精神科やメンタルクリニックの需要は年々増加傾向にあるが、病院の軒数や医師数は少なく、需要に対して供給が十分ではないのげ実状。 結果として予約が取りにくい。

 息子を病院へ連れて行く前に、まず予約を取らなければならない。果たして予約はとれたのだろうか。


 彼は家にいてなにをしていたのだろう。

「秀真さんの介護は積極的に手伝っていたそうだが、何もできずにぼうっと天井を見ている日も多かった」とあるので、手伝いはしていたらしい。

 不登校になったのは秀真が原因ではないので、叔父に八つ当たりすることはないのだろう。

 息子の不登校に気を病んで母親が鬱になっているけれども、家に秀真を引き取って世話をしていたのは母親のはず。

 英生も世話をしているだろうけど、働きに行っているから。

 とにかく、家族が疲れてしまったのだろう。

 環境の変化はストレスをもたらす。

 たとえそれがいいことであっても。親も、子供の成長の変化はストレスとなる。費用面はもちろん、年齢的身体的に負担がかかりやすい年令になってくる。

 それに加えて、叔父の問題が重なり、その後も問題が続けばストレスは継続され苛立ってくるし、塞ぎ込んだり落ち込んだり、鬱になってしまうのは当然である。

 桜の親戚や、亡くなった夫の親類はいないのかしらん。

 たとえいたとしても、遠方に暮らしていて、物理的に手伝いに行けない状況かもしれない。


「せめて秀真か志門だけでも私の家に来たほうがええんやないかって言っても、『高齢のおかんにそんな負担かけられへんわ』って返されたんです」

 英夫は、一人で抱えすぎだと思う。

 負担はかけられないかもしれないけれども、すでに負担に押しつぶされそうになっている人間が言っても、説得力がない。

 簡単にいえば、英夫は使命感だけで行動している。

 助けて、が言えなくなっていたのかもしれない。


 桜お婆さんは、いつから主人公が、孫ではないと気づいたのだろう。

 最初に、「八城志紋です。よろしくお願いしますっ!」と挨拶に「まあまあシモン、どうしたのよぉ!」と声をかけてきたときは、勘違いしていたのだろう。

 だから「婆さんはやたらと感激している様子で、俺のほうまで小走り気味に歩いてきて手を握ってきた」と反応したのだ。

 昔を忘れても、家族に会いたい思いは持っていたのだろう。

 そんなときに孫のシモンが現れたと思えば、嬉しくなるのは無理からぬこと。

 叔父を引き取ってから英夫は、母親の助けを断っているので、長らく孫の顔も見ることなかったと推測する。

 孫の顔を最後にみたのは小学生くらいではないかしらん。

 それからかなりの歳月が過ぎて、高校生の八城志紋を見、孫が大きくなって会いに来てくれたんだと思ってもしょうがない。

 ボランティア八日目に、楽しかったことを思い出して語ったときに、孫のシモンじゃないと思い出したのかもしれない。

 別れ際に、「本当に、ありがとうね」と言葉をかわしたときは、八城志紋にお礼を言っていたと思う。

 だから、職員の加藤さんに「シモンくんに、もう一度ありがとうって伝えといて」と、言伝を頼んだのだろう。


 読後、タイトルを見直す。一家心中して亡くなってしまった息子たちに向けての、桜お婆さんの思いだろう。八城志紋の桜お婆さんに対する思いでもあるかもしれない。

 祖父母をはじ、高齢者は子や孫に「元気ならそれでいい」「達者が何より」と口にすることがよくある。

 年長者としては、年の若いものが自分より先に逝かれると堪えてしまうから。

 若くないので、体力のないところにご不幸の話は心身に負担となりやすい。

 なにより順序が違うと思うだろう。

 八城志紋にはさらにボランティア活動を続け、経験からどんな学びがあったのかをまとめ、大学入試の総合型選抜や学校推薦型選抜の出願資格として合格を目指してがんばってほしい。

 

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