月光

月光

作者 春野カスミ

https://kakuyomu.jp/works/16817330662883428561


 ベートーヴェンが作曲したピアノソナタ第14番嬰ハ短調作品27ー2『幻想曲風ソナタ』、通称『月光』に囚われた僕と彼女は、互いに相手のピアノに影響を受けながら特別な演奏をし、コンクールで僕が入賞した満月の夜、彼女は自殺。一週間後に音楽室で再会し、「生きる理由がわかった」と答えた彼女は二度目の自殺をし、自分のピアノでは救えなかったと激しく泣いた僕の話。


 数字は漢数字云々は気にしない。

 狂わせるのは月光か才能、それとも恋愛か。

 無力さを思い知らされるほど、辛いものはない。


 主人公は、男子高校生。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 主人公の僕は小学三年生のとき、初めて参加したピアノコンクールで彼女と出会い、彼女のピアノ、月光が好きになった。音粒は、はっきりしているのにどこまでも繊細で、鮮烈な光の中にいるような月光は短調の曲のはずなのに、彼女のピアノは軽やかな音を放つ。

 彼女もまた、主人公の月光を聞いて魂が震え、聞いたことのない音色に泣いた。ピアノのなく声に感じ、自分の演奏がつまらなくて仕方がなかった。何かが決定的に欠けているのに、それがなにかわからなかった。

 高校生になったいまも、二人は月光に心を奪われ、囚われたままだった。

 入賞を果たせばメディアに取り上げられる可能性も高いコンクール演奏を終えた彼女に向かって「お疲れ様。今日もいい音だったよ」と声をかけた主人公。「私の演奏を褒めるのは結構だけど、まずは自分の演奏に集中すべきじゃない?」

 主人公は激励として受け取っておくと答えると、彼女はやれやれという様子で肩をすくめ「ちゃんと、聞いてるからね」その場を後にする。

 主人公は入賞し、「死にたくなるくらい、素晴らしい演奏だったよ」と彼女に祝福されたが、素直に受け取れずにいた。彼女の演奏のほうが入賞にふさわしいと思ったからだ。

 その日、満月の夜。学校に忍び込んだ彼女は音楽室の窓から飛び降りて死んだ。

 一週間後、教室の机の中に彼女からの手紙が入っていた。『今夜十二時、音楽室で待ってる』と書かれてあり、彼女は夜中の零時を夜の十二時ということから、彼女からの手紙だと知り、先生の目を盗んで深夜の学校へと忍び込み、ピアノの前に座る彼女と会う。

 なぜこんな時間にこの場所に呼び出したのか問いかけると、彼女は「“月光“は、どんな曲だと思う? 君の意見を聞きたい」と聞かれる。「あれは絶望や、恐怖の類の旋律だ。あるいは、底知らぬ恨み」と答えると、「答えを聞いているんじゃないの。私が聞きたいのは、君がこの曲を聞いて、何を感じたか、だよ」とさらに聞かれるので、「“月光”を弾くと、ピアノが泣く。あの音色は、ピアノの泣き声なんだ。どうしてかは分からない。だけど僕は……あれはピアノのアリアであり、号哭だと思ってる」と応え、彼女の考えを尋ねる。

 主人公のピアノを初めて聞いて魂が震えたと彼女は涙を流す。自分には何かが足らないと感じ、コンクールで自分の音、人生という存在まで壊れたと告げ、自殺する前に月光を弾いたとき、「もし“月光”が、明日への希望を綴った旋律なら。暗い毎日からの脱出をテーマにした曲なら? そうしたら、月光は未来への明るい道筋になる」と気づいたという。

 他の人とは違うピアノを弾く主人公の才能に息苦しさを感じ、特別になりたかった彼女に「君は、死についてどう思う?」と尋ねると、「生きる意味が知りたくて、死んだんだ」と返す彼女。「死こそ、生命の営みだと思う。生きているから死ぬ。死とは、生の象徴だ。後ろめたいことなんか、何もない。死んでみて、やっと分かったんだ」泣き止んでスッキリした顔をしていた。

 主人公は「……僕は、君が好きだった。僕は、君のピアノが好きだった。君の笑う顔とか、怒る顔とかが好きだった。君の“月光”が好きだった」と告白する。「君の“月光”は、誰のものとも違うよ。僕は初めて聞いた時、衝撃を受けたんだ。君のは、短調なのに、全然その悲しさを感じさせない。君の意見を聞いて、やっとその理由がわかったよ。君はすでに、答えを見つけていたんだ。自分の中で、“月光”がどんな曲なのか。その答えを、見つけていたんだ。だからあの演奏ができた。あの演奏は、“月光”に希望を見出した、君にしかできない演奏だった」

 自分だけの月光があったことを知って、彼女は涙し「ありがとう」と礼を言う。そんな彼女に「改めて言うよ。僕は、君が好きだった」と告白する。

「君の意見も教えてよ。君は死をどう捉える?」

 彼女に聞かれ、死は終わりであり、救いでもあり、最高の逃げ道と応えつつ、彼女が「生きる理由が知りたくて死んだ」真意を尋ねる。彼女が死を選んだのは、主人公のピアノに絶望したからではなく、「君のピアノに、もっともっと近づきたいって思ったからだよ。やっと分かったの。“月光”の、本当の顔」と語る。

 本当の顔について、教えてはくれなかった。が、「私の“月光”だから。君のものとは違う。さっき、君が教えてくれたことじゃない。私の“月光”は、希望の音。君のは絶望。何もかも違う。だから教えない。私は分かったよ、生きる理由が。だからもう一度、始めるの」といって、最後に主人公の月光が聞きたいというので、承諾して弾き始める。

 彼女は涙し、胸が痛くなる。ピアノも泣いて「お前のピアノじゃ、彼女は救えない」と言われている気がして第1楽章で演奏を止める。彼女の姿はなく、窓の下、数十メートル離れた地面に血溜まりがあり、二度目の自殺をしていた。

 音楽室を出て帰宅後、自宅のレッスンルームに入り、弟の金属バットでグランドピアノをめちゃくちゃに叩き壊すのだった。

 

 ベートーヴェンが作曲したピアノソナタ第14番嬰ハ短調作品27―2『幻想曲風ソナタ』。

 通称、月光と呼ばれる楽曲は、静かで神秘的な第一楽章、可憐で可愛らしい刹那的な第二楽章、情熱的で激しめの第三楽章からなる。

 ベートーヴェンが発表時につけていたタイトルは『幻想曲風ソナタ』であり、月光ではない。

 当時、カリスマ音楽評論家であり詩人でもあったレルシュタープが第一楽章を聴き、「まるでルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のようだ」と発言したことが広まり、『月光』と呼ばれるようになった。

 

 ベートーヴェン自身がつけた「幻想曲風ソナタ」というタイトルからも、「ソナタ形式に縛られずに自由に作ってみた」という意思が読み取れ、当時は第一楽章がソナタ形式ではないことが非常に珍しかったという。

 この曲は発表当時、付き合っていた伯爵令嬢のジュリエッタに贈られている。ベートーヴェンが友人に宛てた手紙には、彼女への想いが綴られている。

「私の人生はいま一度わずかに喜ばしいものとなり、私はまた外に赴いて人々の中に居ます。この二年の間、私の暮らしがいかに侘しく、悲しいものであったか信じがたいことでしょう。この変化は可愛く、魅力的な少女によってもたらされました。彼女は私を愛し、私も彼女を愛しています。二年ぶりに幾ばくかの至福の瞬間を謳歌しています。そして生まれて初めて結婚すれば幸せになれると感じているのです。しかし不幸にも彼女は私とは身分が違い、そして今は、今は結婚することなどできやしないのです」

 手紙をふまえて楽曲を考えると、静かで神秘的な第一楽章では、

だんだんと聴力が衰えていく不安の中、彼女によりどころを求めるも育ってきた環境が違うため、すれ違いは否めなかった。

 惹かれあっているにもかかわらず、想いを伝えられないもどかしさ、気持ちをさらけ出せない恋愛初期のよう。

 可憐で可愛らしくも、刹那的な第二楽章では、束の間の現実逃避。恋愛において最も楽しい時期であり、あっという間に終わってしまう。

 情熱的で激しめの第三楽章は、恋愛のドロドロした感情をすべてさらけ出しては、ぶつかったり求めあったりしている。実際、ベートーヴェンが曲を贈った直後、ジュリエッタは別の爵位を持った作曲家と婚約、結婚している。

 そんな『月光』をモチーフにして、本作のストーリーも展開されていると考える。


 月光には、前奏曲と最終楽章はないので、プロローグとエピローグという意味合いかもしれない。


 前奏曲の書き出しは、彼女のが弾く月光に希望を感じたところから始まっていて、主人公の僕が『幻想曲風ソナタ』が好きなことと、彼女との出会いが書かれている。

 月光に希望を感じたのは、第一楽章か第二楽章からの印象ではないかと思う。

「“月光”は短調の曲のはずなのに、彼女のピアノは、どうしてこんなにも、軽やかな音を放つのだろう」と思う主人公は、高校生になっても彼女のピアノに心を奪われたままだった。

 つまり、小学三年生の時から彼女の月光に恋をしたのだ。

 主人公にとって彼女は希望であり、彼女を好きになった。

 コンクールや大会に出場すると、必ず同年代の子と顔を合わす。

 何年たっても変わらないから、その分、思いも積み重ねていったのだろう。


 第一楽章では夜の学校に忍び込んで音楽室で、彼女が弾く月光を聞く場面になっている。主人公が呼び出されたことがわかる。

 第二楽章では、月光についての考えを互いに語り、主人公は絶望を、彼女は希望を見出していることを告げ、「そのために、君はあの日、この窓から飛び降りたのか?」と問う。

 第三楽章では、主人公が入賞したコンクールの夜、彼女は音楽室から飛び降りて自殺し、一週間後、幽霊となって目の前に現れて「生きる意味が知りたくて、死んだんだ」と答える彼女。主人公は彼女に好きだと告白し、月光に希望を見出した君にしかできない演奏だったと伝える。

 最終楽章では、死の考えを彼女に聞かれ、死は全てが終わるけど『生きる理由が知りたくて死んだ』といった意味を問いかける。主人公のピアノに近づきたいと思い、月光の本当の顔がわかり、「生きる理由が。だからもう一度、始めるの」といって月光が聞きたいと言うので弾くと、途中で彼女は自殺。主人公は自宅に帰ってピアノを叩き壊す。


 彼女は、主人公の月光に近づきたいと思って自殺したのは、「死にたくなるくらい、素晴らしい演奏だったよ」と伝えるほど絶望の月光を弾いたからだろう。

 死にたくなったのだ。

 でも彼女は、月光には暗い毎日からの脱出をテーマにした曲、希望を見出していたし、主人公もそんな演奏をする彼女に惹かれたのだ。

 つまり、互いに互いの演奏に惹かれあった結果、彼女は死に、主人公は彼女を失ったのだ。


「君のピアノに、もっともっと近づきたいって思ったからだよ。やっと分かったの。“月光”の、本当の顔」と彼女がいった本当の顔とは、主人公の顔かしらん。

 絶望した彼の顔を。

 でも、彼女にはそれが希望だったのかもしれない。

「私は、この世界が息苦しかった。君の才能が、私の才能を覆い隠してしまうから。君のピアノは、他の誰とも違う。私も、誰かとの違いが欲しかった。特別になりたかった。私が私という一人の人間なんだって証明するために──」といっているので、主人公の彼にコンクールでも勝ちたかっただろう。

 悔しがったり失意に落ちたり、そんな彼の顔を見たかったのではと邪推する。

 だから彼女は、二度も自殺をしてみせるのだ。


 主人公としては、彼女を失いたくなかったのに、自分の演奏で死に追いやり、救うこともできない。やりきれず、ピアノを叩き壊したくもなるだろう。


 彼女は死んで幽霊になっているのに、「生きる理由が。だからもう一度、始めるの」はたしかにわからない。

 死んだ者が死ぬと、生き返るのかもしれない。

「生まれ変わって、彼女はまた、ピアノを弾くんだろうか」と考えているとおりなのかもしれないけれど、誰にも一生わからない。


 主人公は絶望の象徴で、彼女は希望の象徴だった。

 主人公は希望の象徴である彼女を救うことで、自分自身を幸せにしたかった。

 同じように彼女も、自身の絶望の象徴である主人公を排除することで幸せになろうとする考えの元、自殺を図る。

 あらゆる災いの詰まったパンドラの箱に残った希望こそ、人間の一番の災いではなかったのか。希望という病はときに人々を惑わせる。

 そもそも主人公が絶望の月光を弾いたのはどうしてなのだろう。

 彼女のピアノに魅せられた、つまりこのとき絶望したのだ。彼女のようには弾けないと絶望し、希望にすがろうとしたけど希望である彼女は消え、再び目の前に現れたのに救えず失ってしまった。

 だから元凶であるピアノを叩き壊す。

 誰しも絶望を抱え経験している。でも、その乗り換え方は、それぞれ違う。彼女は彼女の乗り越え方を選んだように、彼は彼の乗り越え方をすればいい。

 

 読み終えて、月光を改めて聞きたくなる。

 私だけでなく読んだ人は、作品に込められた想いを汲み取ろうと、注意深く演奏に耳を傾けるだろう。

 

 

 


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