第48話 上昇限界・封の鈦槌

〇上昇限界

 封は、上昇を続けていた。全身がびっしりと水滴まみれになる。更に上昇することで、水滴が蒸発し、全身が霜に覆われていく。

 遥か地上では、ついに瑞雲が稀を傍らに投げ出した。


〇稀、奪還

 十寸は、力を加減しながら瑞雲の真後ろから、左足の膝に銛を撃った。

「ぐあっ」

 堪らず、瑞雲は、稀を落とした。投げ出された稀は、よろよろと逃れようとする。稀を捕まえようとする瑞雲の背中に両側から、侍が斬り込んだ。

 瑞雲は、のけ反りながら、死中求活を放った。雷撃は稀のいない側全体に向けて広く発射され、再び全員が感電し、全身を痙攣させて転倒した。死中求活は一点に集中して威力を高めると、一撃で相手を発火させるほどとなる。一方で方位や範囲を広げれば広げるほど、威力は減少してしまう。

「があああああ!」

 瑞雲は、苛立ちと怒りで叫んだ。だが、それそのものが激しい快楽に感じられる。これらの負の高ぶりは、瑞雲自身が気づかないまま陰の壺にじわじわと吸い込まれている。陰の壺は、亜宮殿の薄闇の中でぼんやりと明滅していた。


〇十寸の罠

 瑞雲は、左膝を貫いている十寸の銛を引き抜き、投げ捨てた。両腕の拳を握りしめて、肉体を再生させる。青白く全身が発光した。

 十寸が力加減をしながら銛を放った理由はここにあった。十寸の「絶対当てさせたらなあかん」が、ここに実現する。


〇照準

「見えたっ」

 瑞雲の放った死中求活と、再生のための発光が、封には、地上に広がる同心円状の波動と中心点の目印の明滅として捉えられた。

 封は、ゆっくりと倒立しながら銛を両手でがっちりと抱えた。飛嚢の下弁を全開にする。瞬時に封は、降下を始めた。飛嚢が折り畳まれていく。だが、飛嚢はその降下速度と風圧により、激しく振動し折り畳みに適した形に戻ることはなかった。飛嚢は落下に対する強い空気抵抗になる。封は目標を見失い、激しく回転した。

「ぅあああああ!!!」

 全身が錐揉み状態になる中、封は意を決して、自ら銛から片手を離し、飛嚢を破り始めた。

「があ!があ!!!」

 繰り返し手を伸ばして、飛嚢を引きちぎる。破れ目がある程度を越えた時、一気に空気が入り、裂け目が広がって飛嚢を吹き飛ばした。


「どうん!!!!!」と、封という重りを失った飛嚢は、白い塊となって、上空に取り残された。突然無音になったような世界で、封は、再び銛を両手で掴み、体勢を立て直していく。

 足先を少し動かすことで、じょじょに回転が収まる。銛は、一気に加速していった。


〇封の鈦槌

 瑞雲は、稀も含めて全員を殺してしまいたい激しい衝動に駆られていた。

「稀を殺しても、まだ母がいる。稀も死んだとなれば、母も観念して沸魄散を差し出すに違いない」といった、理に合わない様々な考えが構築されていく。

 その時、亜宮殿で一度感じたぞくりとする熱い何かが、真下に向かっての強い「張力」とでも表現されるような感触で瑞雲を貫いた。前回とは比較にならない張力が働いている。上空から巨大な手のひらで押しつぶされるような圧力が働く。本能的に瑞雲は、そこから飛び退こうとして、一瞬身をかがめた。


 その瞬間、再び十寸の銛が瑞雲を貫いた。十寸の銛は、瑞雲の側面上空から左足大腿部の骨を砕き、貫通して、右足の脛を破壊した。

 瑞雲は、自らぐしゃりとつぶれるように崩れ落ちた。


 忠厚らは、どよめきに近い時の声をあげ、一斉に瑞雲に斬りかかろうとした。

「来るなーーーー!」

 先頭を切る忠厚の足元に、十寸の銛が突き刺さった。両足を踏ん張り足を止めた忠厚の目の前に十寸が降下し、滞空した。

「逃げて伏せとけ。…でかいの落とす」


 忠厚は、一瞬どう理解していいのか迷った。だが十寸の表情と右側頭部の怪我、そして、亜宮殿で岩山を貫いて、銛が瑞雲を貫いた記憶を蘇らせると、

「引けええええ!!」と叫んだ。


 次の瞬間、音速を越えた封の銛が、衝撃波を放ちながら瑞雲に命中した。

 封の銛は、轟音と共に瑞雲を貫き、地面を激しく吹き飛ばし、貫いた。そこにいる全員がなぎ倒され、十寸も吹き飛んだ。


〇司領泥失

「……どないや、べっちょないか…」「へえ」

 土塀に隠れていた八太夫とお袖は、互いの体を撫で確かめながら起き上がった。八太夫は、もう一度お袖を抱き上げた。

「ああっ!」

 そこには、亜宮殿に続く板橋の下詰めから道一杯と田の一部、水路をもえぐったすり鉢状の深い穴が開いている。

 八太夫らの位置では封らの様子は分からなかった。


 忠篤らは、気配を確かめると起き上がり、すぐに穴を覗き込んでいた。瑞雲はおろか銛の突端も見えない。すり鉢状の底は泥水が渦を巻いている。土が更に滑り落ちる。水路の水が辺りの土を崩しながら流れ込んでいく。

「見えん。どう判断したものか…」

 梅本と稀、数名の侍も穴の傍に立った。水路の法面側に地割れが広がる。みるみるうちに地割れは幾筋かに分かれ、土砂がずるずると水路に落ち、泥流となっていった。更に地割れは、水路を跨いで土塀に亀裂を生じさせていた。


 全員が後ずさりする。その時、足元が崩れて板橋が音を立てて崩落した。土塀の一部も崩れ、亀裂が広がる。じわりと土塀の基礎がねじれて沈み込み、陣屋の建物が、重苦しい軋み音をあちこちで立て始めた。

「お女中方、お逃げなされ!!」

 八太夫が叫ぶと、何人かの女中が飛び出してきた。

 封の一撃は、この泥湿地の底にあたる岩盤に達し、亀裂を生じさせていた。亀裂には水路の水が浸入・侵食を広げ、岩の隙間から亜宮殿の地下空間へと流れ込んでいく。

 低い地鳴りが続いている。それは、地下を泥流が侵食し、司家が開拓し埋め立てて来た土地全体に及びつつあった。


〇川が濁る時

 百間谷の滝の周辺でも異変が起こっていた。滝壺の水底あたりから、泥が噴き出している。澄み切った川の流れが、滝壺から先で泥流となっていった。


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