第47話 反撃の十寸

〇梅ヶ枝苗、見参

 苗は、陣屋の土塀から、水路脇の法面に飛び降りた。飛び降りざまに自らの頭巾と前垂れを剥ぎ取る。

 侍らは、新しい敵にざわめいた。

「梅本様、伊藤様!八太夫様よりの命で加勢に参りました。梅ヶ枝苗と申します!」


 二人は、この灰斎服装束の女が、先刻亜宮殿で火だるまになっていたとは想像がつかなったが、苗が、太刀を拾って、灰斎服のふところに斬り込んだ様子を見て、

「味方だ!」と全員に叫んだ。

 苗は小柄な体格を生かして体を沈め、高速で相手の足元を払うように攻め込んでいく。一騎討ちで同じ長さの武器の場合、手足の長い相手では不利になるが、直刀を太刀で攻め、多勢で攻めるため、相手はじょじょに体が浮き、手先で刀を出さざるを得ず、ついにその灰斎服は、直刀を跳ね飛ばされることになった。

 体を翻してとんぼを切ると、灰斎服は水路を飛び越え、土塀に駆け上がる。それをみてもう一体の灰斎服も逃げ出し、土塀へと駆け上がった。


〇通り庭

 お袖は、陣屋の表門をくぐった。声をかけても気配はない。庭に廻ると、ほのかに甘い匂いが流れてくる。水路側の土壁に沿った通り庭を進むと、ふんどし姿で槍を握った八太夫が立っていた。

「あ、八太夫さん!」

 お袖が駆け寄ろうとする。

「お、おうお袖!」

 思わず、八太夫も駆け寄る。抱き寄せようとしたお袖が笑顔で自分を見上げている。お袖の視線が更に上にずれ、恐怖の色を湛え、自分より遠くに焦点が合う。

 振り向きざまに、八太夫はお袖の視線の先をめがけて槍を突き上げた。


「どかっ」

 土塀を飛び越えた勢いで、懐刀を振り上げた灰斎服が、八太夫の槍に突き上げられていた。槍は灰斎服を貫き、中ほどで折れた。

 八太夫は、声も出せず全身から汗を噴き出した。その背中にお袖が抱き付いた。

「…っはあ!だ、だいじょうぶや、だいじょうぶ…」

 そう言って、お袖に振り返ろうとした八太夫の視界の隅に、最後の一人の灰斎服が、直刀を振りかざして飛び降りてきた。

 八太夫はお袖を全身で庇い、抱きしめて、目を閉じた。


〇帰ってきた十寸

「かっ!!」

 お袖と八太夫の足元に十寸の銛が、深く刺さっていた。次の瞬間、背後に飛来してきたはずの灰斎服は、肉片になって二人を飛び越え、背後にばらばらばらっと勢いよく四散した。


〇超精密神技

 最後の灰斎服は、土塀に駆け上がった。そこに、亜宮殿で瑞雲が対峙していた八太夫がいる。八太夫は、先に飛び掛かっていた灰斎服を槍で突き殺していた。ただ、その槍は折れ八太夫は丸腰になっている。灰斎服は、八太夫を餌食にすべく瓦屋根を蹴って飛び上がっていた。


 八太夫の背中を袈裟懸けに狙い、右手に持った直刀を振りかざした時だった。上空から、十寸の銛が灰斎服の右手首を吹き飛ばした。銛は、そのまま灰斎服の脳天を貫き、下顎を貫通して、左大腿骨を粉砕し、左足首の関節を破壊して地面に刺さった。異常なほどの精密さと脅威的な速度を持つ十寸にしかできない神技と言えた。


「おおっ、ま、十寸!!」

「十寸ちゃん!」

 見上げた二人に、空に漂う十寸が映った。飛嚢が風に流されて、その下の体がぶらぶらとしている。半呼吸ほど置いて、十寸の身体がぶるっと震えて魂が戻ってきた。ゆっくりと姿勢を整えると、十寸は二人に小さく手を振った。飛嚢は一つが破れ、右側頭部に大きな怪我をしている。

 十寸は、ゆっくりと旋回して、瑞雲に向かおうとした。

「あ、そっ、そや!!十寸ちゃん!」

 お袖が声を張り上げる。十寸が、お袖の方を振り向くと、なんとお袖の懐からソが顔を出して手を振っている。十寸は、ほっとしたような顔を見せ、ゆらゆらとお袖の手のひらに舞い降りた。ソが十寸の元に這い出す。

「ふ…、封が…。バーンって飛ばされてしもうて、瓦で俺も飛嚢とここ…」

 十寸は右側頭部を押さえた。右目もよく見えないようだ。ソがお袖の襟を引っ張る。

「お袖、お水…」

「おっ、おう!わしが!」

 八太夫が飛び上がるように駆け出す。先程の庭の池には見渡しても水を汲めるものがなかった。八太夫は、手のひらを器にして精一杯掬った。


 八太夫が戻る。十寸とソは、手のひらの僅かな水をちゅうちゅうと吸った。水はすぐなくなる。

「んー、んー」

 二人が八太夫を見上げる。八太夫は、頬をいっぱいに膨らませていた。

 十寸とソは、八太夫に口付けて、水を吸った。ソが両目を閉じて意識を集中させていく。お袖の手のひらを泉にみたてているようだ。背の臍から、僅かな量の澱が流れ出した。十寸は、澱を両手に掬いごくごくりと飲み干した。右目と飛嚢がじわじわと元に戻っていく。頭部の怪我までは思うように元に戻らないようだ。


〇稀の略取

 灰斎服が撤退したことで、瑞雲は雷撃に躊躇がなくなった。稀が死なない程度の死中求活を放つと全員がその場に倒れてしまった。にやりと顔の片側で笑うと、瑞雲は稀の元に歩きながら、ちらりと陣屋に目をやる。陣屋は、しんとしてなんの気配も動かない。

「おかしい……、刀、槍。何か手にすれば戻ってくるはず。一人はなおのこと…」


 瑞雲は、悠々と侍らの間を抜け、稀の胸倉を掴むと強引に立たせ、左肩に担ぎあげた。

「お前には亜宮殿でゆっくり訊いてやる。そのうち、灰斎服にもしてやろう」


〇封を知る者

「封……は、まっぺん(もう一度)飛びよった。『……当てる手はある……』っちぃてのう」

 十寸は、無表情で八太夫の言葉を聞いていたが、やがて、小さく頷いた。

「な、なんや、わかるんか」

「あいつ、なんぼ高こう上がっても、落とすだけやからそれるねん……」

「せやから、十寸が封の銛に乗り移るんやろ…」

「うん、せやから…、せやから…、あいつ、銛と一緒につっこむんや」

 八太夫とお袖は絶句した。

 十寸は、ゆっくりと背中を開き、飛嚢を膨らませた。

「ど、どないするんや」と訊く八太夫に、

「俺は、封のとこまでよう上がらん。よう止めん。そしたら…、絶対当てさせたらなあかんやろ」

 十寸は、決意のにじんだ強い表情を返した。続けて、

「それも取って」と、地面に刺さった銛を指差した。

「お…おう…」

 八太夫が、十寸の腰に結わえる。その様子を見たお袖が思い出したように、

「あ、ソちゃん、あれ、あれ渡さなな」と袂を探って、白い銛を差し出した。

「絶対、瑞雲を滅ぼせる。封の銛でもあかん時使こて」

 ソの言葉に十寸は肯き、八太夫に結わえ直してもらった。

 ふわりと、十寸は浮かび、少し振り向くと、小さく口を動かして、何か声にならない言葉を喋った。


 十寸は、空に上がった。

「あれなんて言うたん?」とお袖が立ち上がりながら、ソに訊いた。ソはお袖と八太夫を見て、もう一度十寸を目で追った。

「後は頼む」


〇反撃の十寸

 瑞雲の目の前を、小さな影が走り抜けた。

「むっ」

 瑞雲は、立ち止まり、空を見渡した。十寸は、瑞雲の視界の隅から背後に廻るように滑空した。

「う、上手い。早速足止めよった。あ、稀様…」

 八太夫が土塀越しに顔を出した。

「み、見えへん…」

 お袖が、八太夫のそばで背伸びをしながらうろうろする。八太夫は、お袖を抱き上げた。

「ひゃっ」

 お袖は頬を染め、八太夫にしがみついた。

「ほれ、肩に担ぐとそっち側がよう見えん。十寸はわざとそっちから近づいとる。ほらまたや。今に稀様をおろしよるで」

「うん…」

「低くう飛んどるやろ。あれも知恵使こてる。上がり過ぎたら、目で追いやすい」

「うん…」

「低くう廻って、ほれ背中で向き変えよった。担いでるんがますますえろなる(負担になる)で」

「うん、うん…」

「ほれ、足元がお留守や……。おい、聞いとんのかいな」

「うん、うん、もっと…、もっと聞かして」

 お袖は、一通り頷くくせに、見つめているのは八太夫の顔ばかりだった。八太夫は、そんなお袖の顔を見て腹の奥が急に熱くなった気がして目をそらし、

「も、もうすぐ、足を…撃ちよるで…」と、話を続けた。


「う、上手い!あいつ、足止めして振り回してるぞ。稀様を降ろしたら、一斉にかかるのだ!広がれ!広がって的を絞らせるな!!」

 忠厚が、懸命に声を出す。侍らは、動ける者から次々と田や水路わきの法面に広がって瑞雲に近づいていく。

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