第46話 陣屋奥庭・庭池の場

〇苗、二度目の九死に一生

 陣屋は、表門も無人でがらんとしている。八太夫は、「お怪我の灰斎服の方をお連れ申しました。ご陣屋の方は…」と声を出しながら、大広間に通り、畳の上に苗を横たわらせた。女中二人がやってくる。

「あ、いつぞやの…」

「田代様にご厄介になっておる六っちぃます。灰斎服の方をこちらへと…」と、平伏した。女中は、それぞれに布団や手当の道具を取りに戻る。僅かな時間が生まれた。

「苗、まだ息あるのう」

「…は、はい…」

「よっしゃ。心も死んでへんのう。ほれ舐めるんや」

 八太夫は、指先に盛った万障沸魄散を口の中に突っ込んだ。反応が始まるまでの間に、八太夫は耳元で何事かを早口で囁いた。

 数名の女中がやってくる。

 「焼けた斎服を脱がせます。ここからは我々が…」「ははっ」

 八太夫は、そのまま畏まって大広間を下がった。苗が激しい回復の力で、体をねじり大声を上げ始める。その声を背中に、八太夫は、庭に出た。


 岩山の上空では、まさに瑞雲の死中求活が空を貫き、封が爆発した。


〇陣屋奥庭・庭池の場

 陣屋は、爆風によって瓦や建具が吹き飛び、全ての部屋が搔き廻された状態になっていた。未の刻(午後2時頃)あたりでほぼ煮炊きの火を落とし、また灯りが必要な時刻でもなかったことが幸いし、火事には至らなかったが、女中らは念のため、手分けして火の元と怪我人の確認に屋敷内を廻ろうと相談を始めていた。


 陣屋北側には、岩山を借景に取り入れた庭園がしつらえられている。庭園の至るところに落下物が散乱している。

 池に一際大きな塊が落ち、複数の水柱をたてた。

「ひっ」

 驚いた女中達が庭園や池に目をやった時、激しく火焔を噴き上げながら裸体の少女が墜落してきた。火焔は、体の内側から噴き出しているように見えた。体の様々な部分が裂け、そこから炎が噴き出している。飛嚢そのものは、燃え上がっておらず、燃える身体を覆いながら、風や炎に扇がれて、波打っている。身体は激しい熱量により、少しずつ反り返って、見るからに恐ろしい状態になっていた。


「御免!」

 八太夫は、長押に掛けられた槍を手に庭に飛び出した。自らの火傷を顧みず、炎に取りつく。石突を封の体の底に差し入れ、跳ね上げるようにして、封を庭園の池に落とした。

 激しく、体の炎と水が蒸発音を上げる。もうもうとした水蒸気と少し甘みのある匂いが辺りに漂う。

 立ち込める蒸気の中、八太夫は池に飛び込んだ。

「封!封!」

 もうもうとした霧の中で封の体を抱き寄せると、体の裂け目がめくれ上がり、ばりばりと崩れる。内部が激しく焼けていて、裂け目から入った水が、沸騰し激しく蒸気を噴き上げる。

「う!うう!」

 八太夫は、高熱の蒸気から顔を背けては、体のあちこちを水に沈め、温度を下げようとした。


「お………、じぃ……」

 微かに口が動いている。だが、封や十寸は口から音を発する構造になっていない。口から息を吸い込み、声帯がわりに全身の気道のようなものを通して、背の臍から声に相当する音を発するのだ。

 ほんの微かな、声帯だけの震えが八太夫の耳に届いていた。

「い、今、飲ませたる!!」

 八太夫は、竹徳利に指を突っ込み、指につけた澱を封の口にねじ込んだ。口からこぼれる澱は顔中に塗り付けていく。しだいに封の体内では再生の反応が始まっていく。燃え尽きた部分が多く、再生速度はもどかしく感じられる。ひゅうひゅうと音をさせながら、じわじわと封は全身を再生させていった。


 もうもうとした蒸気が少しずつ風に流されていく。そこには下半身を水に浸けた裸体の少女が立っていた。飛嚢は折り畳むことができず、池に布を広げたようになっている。八太夫から受け取った竹徳利を隅までほじくり、水でゆすいで何度も飲み込む。裸体の少女は、真っ白な肌をつやつやと輝かせ始める。豊かな乳房がたわわに揺れている。

「は……、ぁぁ…」

 女中らは、霧の晴れた庭園の池に天女が舞い降りて水を浴びている様を目にした。先程激しく燃えながら落ちてきた少女が見るも美しく再生しているのだ。

「ほ……、鳳凰の化身?ああ、ず、瑞雲を懲らしめにお遣かわしになられたのよ…」

 誰いうとなく、女中らが口にし、手を合わせ拝み始める。

 封は、にっと強く笑った。

「な…なんや、ど、どうするつもりや」

「もう一度、撃ったる……」

 封は厳しい表情で、ゆっくりと周りを見渡している。

「ま、十寸がおらんと、狙いが定まらんやろ」

 封は、一瞬意味を捉えあぐねた様子だったが、やがて、ぎょっとした表情で、八太夫の顔を見つめた。八太夫は、俯いて首を少し横に振って、

「わ、わからんねや。あの爆発で……、どうなったか」

 封は、きっと唇を結んだまま、ほんの少し考えた。

「……当てる手はある……」

 封は、足元に何かを探り当てた。それは、封の銛だった。再生された体が円滑に動かず、ぎこちなく、両手に一本ずつを抱える。


 その時、がしゃがしゃと何かが走り抜けた。封と八太夫が振り向く。灰斎服が陣屋の土塀の瓦屋根を駆け抜けていったのだ。


「せいてきた(事態は急を要する)わ」

 封は、もう一度八太夫を見つめて、少し目を細めるような顔をした。そして、声にならないような言葉を何か喋った。


「え…、なんじゃ、なんて…」と、八太夫が訊き返そうとした瞬間、封は、強くいきんだ。

 一瞬で逆三角錐の飛嚢が膨らむ。ぐんっと上昇力が働いたかに見えたが、封の体は、じわりと浮いただけだった。爆発によって破裂した飛嚢のいくつかは完全に再生しておらず、完全に膨らんだものが限られている。

「重い……」

 封は更に強くいきんだ。新たな飛嚢が膨らむ。


 水面から、体が浮き上がる。封は、痛みを堪えるような表情をした。ぼろりと、左手の銛が落ちる。その左手を瞬時に右手に添える。


 音もなく、封は上昇を始めた。


〇苗の出撃

女中らが空に向かって手を合わせているのを背中にして、八太夫は、物陰に隠れた。既に封は雲に隠れて見えなくなっている。十寸やお袖らが気になる。様々なものが散乱した通り庭を歩いていると、

「八太夫殿」と、声をかける者がいた。真新しい灰斎服に着替えた苗だった。前回より大量に濃い沸魄散を摂取したためか、蜘蛛の巣状のみみず腫れや赤いただれが、ぐっと薄くなり、頭髪までうっすらと生えている。

「えらい目におうたのう。体はどないや」

 苗は、少し畏まったように頭を下げ、

「もう…、存分に動けます…」と、短く答えた。

「瑞雲は、灰斎服を使こうて、稀様を捕まえようとしとる。侍衆も手を焼くほどの手練れが三人じゃ。お前さん、刀の腕前は?」

 苗は、無言で強く頷いた。

「よっしゃ、そしたら…」

 苗は、聞くが早いか、庭に飛び出し、陣屋の外壁から飛び出していった。


〇永村忠進

 しんとした田代役宅の表門から、お袖が出てくる。きょろきょろと辺りを伺いながら、亜宮殿に向かう陣屋西側の道を走っていく。そこには、遠巻きに斬り合いを眺めている領民の姿があった。

 お袖は、恐る恐る人だかりの隙間からその光景を覗いた。


 一人の灰斎服を五人が取り囲んでいた。その脇には腕や腹から血を出して息絶えた者、他の侍に手当を受けている者もいる。

 一人が、上段から斬りかかる灰斎服の直刀を側面から払いあげた。灰斎服は軌道を変えられたまま、逆側面の侍に突きかかろうと腕を伸ばした。その腕めがけて、背面にいた一人が太刀を振りぬいた。


「っぐばっ!」

 灰斎服は、短い声をあげて、左上腕部から血を噴き出した。ぼとりと直刀を握った左腕が落ちる。後ろに跳ぼうとした灰斎服を待ち構えた一人が脇腹を真一文字に斬った。

「どかっ!!」

 動きの止まった灰斎服の心臓に、永村忠進が、全力で深く突きを打ち込んだ。永村は、血しぶきを浴びながら、瞬き一つせず、灰斎服を睨み据えた。太刀が貫通した背中からも血を噴き出しながら灰斎服はずるりとその場に崩れた。

「おおおおっ!!!」「やったぞ!」「おっ、お見事ぉ!!」

 歓声があがった。


「あれぇ、お絹ちゃん。子供のそばにおらんでええんかえ」

 陣屋や役宅で何度かあった領民の女が、お袖を見つけて声をかけた。お袖は、司領では八太夫と共に身分を隠してお絹と名乗っている。

「へ、へぇ…」

 お袖は、返事に詰まってしまう。女は、その顔を見て言った。

「あ、六さんかえ。六さんが心配で来たんやねぇ」

「あ、へぇ、ええ、ええ」

「六さん、怪我人運んで陣屋にいきんさったで」

「あ!ああ、おおきに、ほないてきます!」

 お袖はぺこりとお辞儀をすると、道を引き返した。

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