第45話 撃墜・泥濘(ぬかるみ)の剣戟
〇撃墜
岩山の直上に滞空する封と、その腕に抱かれた十寸が、瑞雲を再度発見した。十寸が、その魂を封の銛に移した瞬間、瑞雲の「死中求活」が封の銛を貫いた。
「どおおおおおおぉぉんん」
封は一瞬で燃え上がり、飛嚢は空に昇る息が引火し、大爆発を起こした。爆風が一帯を襲い、そこにいた全員がなぎ倒された。陣屋の瓦は吹き飛び、辺りの雲は、爆圧で水蒸気が圧縮され、細かな雨となって降り注いだ。
「封!!!!!!」
封は、自らの銛と共に炎をあげながら墜落していく。十寸は、触雷の瞬間、封が感電して手を離したため、雷撃から免れたものの、爆圧と爆風によって吹き飛ばされていった。
〇愛の自覚
お袖は、こっそりと田代の役宅を抜け出そうとしていた。おろおろと不安な表情を募らせながら、ソの指図で怖々と行動している。
その時、木戸を小さく、ただし世話しなく叩く者があった。
「わ、わしや、八…六じゃ六。お絹…」
「へ、へぇ」
床板を慌ててはめて、お袖は木戸の戸を開けた。裸の八太夫は、背中に自分の着物を巻き付けた焼け焦げた焼死体を背負っている。
「ひぃ」
「す、すまん。脅かしてしもたな。前言うた女の灰斎服や。瑞雲めが恐ろしい技で、こんなこと…、おお、それより、ソよ。ほんまに勝手なこと頼むが、また少し澱を分けてくれんかのう」
お袖が、そっと床板を上げる。ソは何も言わず、小さく頷いた。澱に両手を浸して目を閉じると、上澄みと澱の分離が進んでいく。水気が飛び、団子状になったところで、竹徳利に詰めるとお袖に持たせた。
「こ…、こんなに、ええんか」
ソは大きく頷き、
「おじいに…、任す」と言い、小さな顔は笑顔になった。
八太夫は大きく頷くと、お袖にも大きく頷いた。
「わしは、この苗を、陣屋に届けんといかん。お袖…、ほんまにすまんのう。百間谷までいけるか」
お袖は、小さく何度も頷いた。
「必ず、行く。そこで待っとれ」
お袖は、小さく、更に何度も頷いた。八太夫も、繰り返し頷きながら、長屋門を飛び出していった。
ほんの束の間だったが、お袖は八太夫と気持ちが通った気がした。もどかしいのに高鳴るような、はっきりしないのに嬉しいような不思議な気持ちが湧いている。「手伝どうて」という、ソの声で我に返るまでお袖は、余韻に浸っていた。
ソは、団子になったものをそのまま、粉状になるまで水気を抜いた。お袖と二人でついに高純度な万障沸魄散となった粉をかき集めた。
「何?これ」
お袖は、粉の山の中から一本の見慣れない銛を摘まみだした。
今まで取り出してきた銛とは違い、色は白く薄い緑が何筋も帯状に滲み出している。
「カビ。盥と床下で増えたん」と、ソはいたずらっぽく笑った。
「……、も、もう、こんな時…、でもあんた軽口やてんご(冗談やいたずら)もすんねやん」とお袖は、少し笑顔になった。ソも笑う。お袖は、力が入って硬くなっていた身体を緩め、少し背中を丸めながらもう一度笑った。
〇ソの決断
轟音と地響きが伝わる。お袖が、
「な…なんやろなぁ、怪我せんといてほしいなぁ」と零すと、ソは、
「怪我は、澱で治るで」と穏やかに、また、少しお袖を気遣ったように言った。だが、お袖は、顔を赤くして、
「ううん、もう!!怪我自体ようないの!」とソを叱った。ソは小さく肯いた。
二人はもう一度、小さく笑った。
板戸を少し開けて、お袖は様子を伺った。手にソを抱いている。ソはお袖の肩に登る。田代の役宅の母屋の屋根越しに陣屋の大屋根がある。その背後の岩山の上空に白い逆三角錐が浮かんでいるのが見えた。
「封…が飛んでる。銛撃ったんや」
「あ、ほんまや。あんたちっこいのによう見えるなぁ」
しばらく様子を見ていると、長屋の外を凄い勢いで何人もの男が走っていく音がした。
木戸をもう一度閉めようとした時、岩山に稲妻が光り、封が爆発した。
「ひぃ!!!」
お袖は腰を抜かし、その場に尻をついた。爆風が巻き起こる。お袖は、ソを両手に抱えると、床下に飛び込んだ。
激しい、爆風と爆圧が突き抜けていく。吹き飛んだ陣屋の瓦が激しく降り注ぐ音が聞こえ、長屋の屋根や壁にも激しく打ち付けている。
物音が落ち着き、気が付くと、お袖は沸魄散まみれになり、尻だけを突き出した形になっていた。
「いたたた……、ソ…ソちゃん?あんたどない?」
お袖が見上げると、ソは、根太に立っている。板戸が外れ、庭中に吹き飛ばされてきた瓦や枝などが散乱している。
「大変な…こと、起こってる」
「えっ」
雲さえも吹き飛ばされた岩山の上空に、封の姿はなかった。
「封ちゃん…、封ちゃんが…、あれ、ほんま、何?」
お袖は、少しずつ目の前で起こった現実が理解できるに従って、恐ろしさと不安でいっぱいになってうずくまってしまった。かちかちと歯が鳴っている。
お袖の耳元で、ソの声がする。
「お袖…、お袖…、お袖…、お袖…、お袖…、お袖!」
「はっ!!」
お袖は、我に返った。息を整えながら、ソを見つめる。
「あぁ……、ご、ごめんなぁ。あ、あんたの方が悲しいのに…」
お袖は、そっとソの体を撫でた。ソは、穏やかに首を横に振った。
「封は…、封は、またつくる……。せやけど、あいつは、ずうっと追いかけてくる…」
「ず、瑞雲……」
「これ、十寸に渡して」
〇泥濘の剣戟
「あっはっはっは!! 灰斎服!!逃げ道を塞げ!!稀を探すのだ!沸魄散をどこに隠したか聞かねばならぬ!!」
瑞雲は、全身に汗をかき、肩で息をしている。片膝をついて息を整えながら、陰の壺の周りにいた灰斎服を走らせた。
亜宮殿の扉から、三人の灰祭服が飛び出してゆく。灰斎服はいずれも背中に直刀を括り、まるで狼のように水路越しに続く陣屋の土塀の瓦屋根を駆け、逃げる侍らの背後に廻った。
瑞雲は、両手の拳を強く握り、肉体を回復させた。洞内が青白く輝く。一歩ずつ確かめるように歩き始める。じょじょに足取りを早めながら、石段を登ってゆく。
灰斎服は、直刀を抜いた。一方、数十名の侍らは抜刀に躊躇があった。死中求活による雷撃の恐れがあったからである。水路と雨によってぬかるんだ田に挟まれて、じりじりと間を詰められていく。一人が叫ぶ。
「う、このままでは我ら同士で動きが取れんぞ」
「お!いや、構わん。抜刀されよ。今雷撃すれば、共倒れ。斬り合いになれば、雷撃できんはずじゃ!」
忠厚が叫ぶ。侍らは勢いづき一斉に太刀を抜いた。中央の一群が稀を守り、後詰めが瑞雲を警戒し、先頭が灰斎服に対峙する体勢が忠厚の指揮のもと確立されていった。
直刀と太刀では、特殊な状況でない限り、太刀が有利である。しかし、振りぬく速度、撃ち合う重さ、刀を返したり体を反応させる反射、全てにおいて、灰斎服は異常なほど優れていた。灰斎服は、心を失い、本能的に人間が持つ限界を無視して闘うよう鍛えられている。あっという間に、二人が切り伏せられ、田と水路に倒れた。忠厚は、
「なんという…。そ、そうじゃ、一人に五人、いや十人でかかられよ!!」
多勢で取り囲む体制によって、ようやく形勢は互角になった。一人の侍が、灰斎服の背後を取ろうとして水路側の法面に廻り込んだ。その瞬間、瑞雲の死中求活が侍を貫いた。群れから離れたところを狙い撃ちされたのだ。
「ず、瑞雲だ!出てきたぞ!!脇にそれるな!!灰斎服を取り囲め!!」
瑞雲は、封を撃墜したことで、上空からの攻撃という脅威を解消し、堂々と洞外に現れたのである。灰斎服の戦闘を見ながら、ゆっくりと橋を渡る。じわじわと相手に不安や恐怖を搔き立て嬲り殺しにするという嗜虐心を沸き立たせて迫った。
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