第33話 お袖・心の揺らぎ

〇困憊と恐惶

 西に傾いた強い陽射しが洞窟の入り口を照らしている。田代は領民に緘口令を敷き、帰宅を命じた。へとへとに疲れた領民が、一人ひとり無言で出ていく。八太夫も全身に沁みついたような穢れを、わずかながらにもすすぐつもりで西日にさらし、重い足取りで石段を下った。

「おい、六とやら」

「へぇ」

「お前の家族は我が役宅に預かっておる。お前もそちらに帰るがよい。ただ、瑞雲殿もお泊りじゃ。お前たちとは相性が悪そうじゃ。なるべく顔を合わさず、くれぐれも粗相のないようにな」

「へえ、あ、あのぉ、わしらは明日早うにでも出たいと思うとりますがのう」

「うむ。担ぎ人足には、稼ぎにも響くであろう。すまなんだのう」

 田代は、明日の出立を許した。田代にとっては、突然隣藩に罪人の譲り受けの命が降り、その罪人が一夜明けると自分の主人格になっているのだ。なにより、それは化物じみて雷を撃ち、禍々しい儀式を行っている。無関係の余所者に構っている暇はなかった。


〇お袖の心根

「ごめん下され。こちら田代様のお屋敷で……」

 八太夫は、くぐり戸から役宅に入ると、すぐ脇の長屋に行くように言われた。お袖は、空き部屋になっていた長屋でただ待つよう言われていたが、掃除や水汲みを買って出て、役に立っていた。


「ああ、八……、そや、六さん!」と自分で名付けた名前を思い出しながら出迎えたお袖は、けらけらと笑った。屈託のない笑い声に、八太夫は、今日一日の穢れが拭われる思いをした。十寸達は、いくらか摘んできた柏の葉に澱の粉を盛って少量の水で練り戻し、食べている。三人の様子も思いの外穏やかで八太夫を安心させた。


 井戸の水を汲み、体を洗っている時、田代と瑞雲が帰宅した。血管の光は収まっていたが、ある種の妖気が滲み出ている。二人は、玄関で田代の奥方と女中に刀を預け、消えていった。


 しばらくたって、女中がお絹(お袖)を呼びに来た。晩飯を取りに来るようにと告げる。

「どうせ夜もえらい召し上がるやろうで、あんたらがよけめ(多いめ)にもろといてもお叱りは受けんやろ。朝の分ももろといたらええ」

「へえ、おおきに」

 お袖は、その足で女中についていった。厨に向かいながら女中は、

「あんたの亭主、六さん言うたねえ、ちょっとおええ男やねえ。羨ましい」と、冷やかした。

「えっ、あっ」と、お袖は赤くなり俯いた。

「なん赤うなっとんの、もう子供も拵えといて。二人めも入ってんの」と、冗談めかして、そっとお袖の腹を撫でた。

「う、う、うちらはそ、そ、そ、そんな」と、耳の端まで赤くしてお袖は、その場に立ちすくんでしまった。女中は、お袖のあまりにおぼこい(幼い、初心な)様子に声を抑えて笑った。


〇娘心の揺らぎ

 「ただいま。お膳もろうてきました。火も始末(節約)したら、使こうてええて」

 お袖は、白米を盛った椀と菜を煮たものに漬け物までを盆に乗せ、いかきに熾火までもらって戻ってきた。八太夫は、慌てていかきを受け取り、囲炉裏に熾火を伏せ、柴の細いところを乗せて火を起こした。ぼんやり部屋が明るくなる。土間に置かれていた柴や薪はよく乾いており、煙を出さずによく燃えた。八太夫の精悍な肉体と顔が浮かび上がり、お袖は、今しがたの女中との会話を思い出し、慌てて目を逸らした。

「えらい手間かけてすまんのう」と八太夫が言う。お袖は、その口ぶりが以前そのままの年寄り臭い口調なことに、がっかりしたようなほっとしたような気持ちになった。

「まあちっと(もう少し)若い衆らしい言葉にせんとあきませんぇ」

 お袖に言われて、八太夫は笑った。その笑い声は若々しく、お袖はなにか矛盾するようなものを感じて笑顔だけを返した。


〇魂と経験の意味

「ゆんべの爆発やが、陣屋の裏の深い洞窟の底でようけ人死んどってな……」

 八太夫は、今日の出来事を話した。 四人は黙って聞いていた。

「ソの澱で作った粉、粉薬、『沸魄散』て言うとったが、あれと呪いの壺のせいでばけもんのようになったんやろうかのう……」

 八太夫は、もう少し言いたげだったが、言葉が続かなかった。しばらく全員に沈黙が続いたが、十寸が口を開いた。

「それ、巻き物になんか書いたあるんちゃう」

「お、おお、そうやのう」

 八太夫は、小さな十寸が考え、案を出したことに驚きと喜びを感じた。早速、籠の蓋を開く。蓋の内側に革袋が結わえ付けられていた。ここには同じ敷地に瑞雲がいる。八太夫は、光が外に漏れぬよう蔀戸を下ろし、正面の板戸の戸締りを確認した。

 巻き物を開く。お袖が、囲炉裏から火のついた小枝を取り、巻き物にかざした。物珍し気に覗き込む。

「後で詳しゅう話すが、この巻き物と帳面も瑞雲が探しとる。けして言うたらあかんで」

 八太夫に言われ、お袖は黙って肯いた。

 十寸が、巻き物の上に上がり込む。

「これこれ」と八太夫が言いかけるが、ソも巻き物の上で一心に文字を読もうとしている。

「ふつ……、ふつ……、あった。これや『沸』!」

 十寸とソが指差し、八太夫を見上げる。そこには「万障沸魄」とあった。

「よろづのさわり……、ふつ、しろ……、これはたましいとちゃうか」と、十寸が呟き、ソが頷いている。

「十寸、字ぃ読めるんか」

 十寸は、顔を上げてにっこりと笑った。

「楓に教せえてもろたんや。まんしょうふつはく」

「お、おお!ばんしょうふっぱく!どんな『さわり』も治すっちゅうようなことやな」

 巻き物と帳面の解読は、もどかしくも意欲高く進んだ。


 気が付けばお袖は、八太夫にもたれて寝息を立てていた。八太夫は、部屋の隅に積まれた薄いむしろを広げ、お袖を寝かせた。

 帳面は、巻き物を読み解いたものであることがわかり、魂魄の違い、沸魄散の用法、沸魄散が肉体の再生であっても、精神を再生させるものではないこと、死の間際に魂が離れて魄のみ再生されると精神を失った「ながらうのみの者(存魄の者)」となってしまうことが記されていた。そして、これらが、ソに当てはめられて書かれていた。即ち、ソは魂の者、十寸と封は存魄の者であると結論されていた。

「どういうこっちゃ」

 八太夫は、少し混乱した。瑞雲や焼き殺された者たちが精神を奪われたことはどうにかわかった。しかし、なぜ十寸や封が同じ存魄の者となるのか理解が及ばない。ソもじっと見つめていたが、

「二人とも、ほんまはうちが生やして卵から孵して、うちが最初から生きていくために、自由に動き回れる体を造って……、うちの思うようにやってもらう。けど、十寸はおじいが色々教せえてくれたから、おじいの考えや里のことも知った魂が育ったんかも知らん。封は、そんな十寸やうち、おじいに教わってきたから、そんな魂が育ったかも」と、ゆっくりと言葉を確かめるように話した。

「そ、そうか。十寸も何回も作れる言うとったな。ただ、作るだけやとそれは、『存魄の者』。誰とどう暮らすかで魂も育つっちゅうことか。あ、ほんだら……」

 八太夫は、思わず声を詰まらせた。今日思い悩んだことを思い出したのだ。

「なに?」と、十寸と封が八太夫の顔を覗き込んだ。

 八太夫は、思い切って言った。

「昼間の洞窟で、深手は負うたがまだ死んでへんもんがおってのう。迷うたんやが、また人間らしゅうなるやも知れんねやったら救うてやれたらと思うんや」


 十寸は、八太夫の膝から手のひらに飛び乗った。自らの老いや怪我にも関わらず、澱の秘密を洩らさないために、ぎりぎりまで澱を摂らなかった八太夫だ。十寸は、それも知ったうえで、地下牢で現状突破のための最後の切り札として澱を勧めた。我欲を持たない八太夫の生き方が現れていた。そして、それが知らぬ間にソや封に影響していることを互いに知る由もなかった。

「俺いくで」

 十寸は言い出しづらかったであろう八太夫の心情を推し量って自ら申し出た。八太夫の手元にあった湯呑みの水を一気に飲み干す。

「うちも」「かさ高いからあかん」「うちの方が早い」「お前雑やから見つかったら…」

「あぁ、二人とも静かにせえ。そしたら、封は十寸の護衛や。空高こうで見張りや。ほんでな……」と、八太夫は陣屋の大広間や、梅ヶ枝苗の見分け方などについて細かく説明した。


 封は、この瞬間を待ち望んでいたように勢いよく着物を脱ぎ捨て全裸になった。土間に飛び降り水ガメの蓋を開き、柄杓で何度も水を飲んだ。胸がたわわに膨らみ豊かになる。

 後ろから飛嚢を広げた十寸が持ち上げる。二人は煙出しから飛び立った。

 囲炉裏の火を落として蔀戸を開け、二人を見送った八太夫にソが言う。

「巻き物のここ。うちらは泉に浸からんと、覚えたことを共有でけへんの」

 ソの指の先には、盥とソの描かれた絵があった。

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