第32話 人蠱の壺

〇邂逅

 朝餉を終え、瑞雲は、田代を伴い表に出た。陣屋の前には手付らしき二名と十名程の領民が集まっていた。田代は声を潜め、

「瑞雲殿、これより亜宮殿にご案内致す。丿をお継ぎになるからにはご同道の上、その目でお確かめになるが良策と存ずるが……」

 瑞雲には、これが「意に添わぬ丿の生き残りがいれば自ら抹殺されよ」と聞こえた。

「確かに。それにしても、田代殿」

 田代が、黙って瑞雲の顔を見た。瑞雲は、本当のところ田代が誰の命を受けて自分に助言をしているのか確かめたくなったが、それを訊いても真実が返ってくることがないと感じ、その先の言葉を呑んだ。

 瑞雲は、田代の訝し気な顔から目を逸らした。その時視線の端に、頭を下げながら行き過ぎようとする親子連れが映った。


〇六とお絹

「おい」

 八太夫とお袖は、びくりとして固く身を強張らせた。八太夫がそっと手先でお袖達を先に進ませ、自分は深く頭を下げながら振り向いた。お袖も数歩遠ざかったところで震えながら頭を下げている。


 二人は、役宅のほんの数間手前で瑞雲らが出てくるところに気づいた。

 その異様な形相と、何より目の前に瑞雲が現れたことに思わず声を上げそうになる。ただ瑞雲に恐怖を覚えたのは、領民も同様、声を上げるものもいた。

 瑞雲らが、こちらに構わず話している隙に通り抜けようとした所を見咎められたのだ。


「おい。土地の者か」

 八太夫は、答えを用意していなかった。とっさに、

「い、いやわしは…薬売り……の担ぎ人足(荷物運び)で……ございます」と、幼い頃に見た薬売りを思い浮かべて出まかせを言った。

 瑞雲は、

「ふん、どうでもよい。力はありそうだ。田代殿、こやつも……」と言いかけて、八太夫の顔を改めて見た。

「どこかで見たような……」と、訝しい顔になる。わずか数日山歩きを共にした顔の上、三十歳以上若返り体格も違えば、想像がつくはずもなかった。しかし、ちらりと瑞雲の目がお袖に向いた時、それは違和感から大きな恐怖になった。自分がつい昨日まで操り、弄び、腹を刺して絶命させたと思っていた少女が成長して目の前に立っているのである。

「お袖!」と短く叫ぶと、瑞雲は、多々羅を踏むようにがくりがくりと思わず後ずさりして腰に差した太刀に手をかけた。この場にいる全員には、瑞雲が陥った恐怖の訳を知る由もない。領民の怯えの顔を見て、田代は軽く瑞雲を制して言った。

「女、名はなんと申す」

 お袖はこの問いから、瑞雲は自分を疑っているのではなく、自分を殺した罪悪感を強く感じ、恐怖しているのだと直感した。いや、悟った。お袖は小さく息を呑み、瑞雲を見据えて言った。

「お、お袖は……、昨日ご陣屋に召されたうちの妹でぇございます。うちは、お、お絹、言います」

 もともとお袖は素朴な心根の娘である。その心を弄び、取り返しのつかない事態に招いた男への復讐心に火がついていた。

「すると二人ともあの里のものか」と、田代が確認する。お袖は、その素朴さ故にやや大胆に嘘をつくことができた。

「へえ、うちはこの人……、六さんと干鰯に混ぜる肥料を運んで行き来をしよります。昨日夕暮れ、親元に泊ったもんの、詳しゅうはなんもわからんまま。お役人様ご存知なら、どうぞお教え下されませ」

 お袖は、八太夫の袂に掴まり、ゆっくりと頭を下げた。もとより瑞雲は、お袖を盾にして突き殺したなどと大勢の面前で言うことはできない。一瞬歯を剥くと目を背け、

「早ようご案内を願おう」と陣屋に歩き出した。

 田代は、余計な者を背負い込んだ気がしたが、顔の片側を少しゆがめると、下役人に目配せをし、

「六とやら、荷物を預けてついてまいれ。お前の女房と子供はわしの役宅で預かる。誰か、連れて行ってやれ」

 八太夫は、お袖と封らを田代の役宅に預け、瑞雲と共に陰の壺の洞窟「亜宮殿」に向かうことになった。


〇人蠱の壺

 司領の陣屋は、北側の岩山と断崖を利用して東西南の三方に掘を巡らし、岩山と堀の西側に水路を切り通してある。水路には、細く長い橋が架けられている。そこから幅二尺余りの細い石段が続き、岩陰から内部に入ることができた。

 田代は、役宅の戸板を外して亜宮殿内に運ぶよう命じている。

 門番の下役人が、入口の重い扉を開く。石を削ったり、埋め込むなどして整然と造られた内部の下り石段は、先ほどより広く三尺余りある。場所によっては一間ほどもあり、真っ直ぐ続いている。先導役が石壁に打ち付けられた燭台に火をつけて進み、ほの明るく、歩きやすい。ただ、油が焼けたような臭いが立ち込めていた。


 傾斜がなだらかになるにつれ、天井には鍾乳石が目立ち、足元にも石筍を割った跡が目に付くようになってくる。

「おい、一人いたぞ。見てやれ。それ、他にもいるはずじゃ。かかれ」

 田代が、指を差す。全身に火傷を負った男が、物音に気付いてうごめいた。灰斎服の生き残りだった。男は、瑞雲に気づくと声にならない声をあげた。

「くくくく。なんだ、このような声が心地よいとは思わなんだぞ」

 瑞雲は、目の奥に怪しげな光を帯びて笑った。男が怯えて震える様をしばらく味わった後、噛み締めるように

「ここにいるものはすべて秘薬『沸魄散』と陰の壺を用いた脱魂存魄の秘法によって命を果たすことのみの者。よし、今後は私がお前の主人だ。丿の家は私が継ぐ。私に服従するのだ」と命じた。


 瑞雲が、新しい命令者が自分であること、丿の名を出したことで、男は瑞雲に服従する者になった。男の怯えは、火から降ろした湯の沸騰が収まるように静かになる。

「石宬の家から、ほどなく秘薬『沸魄散』が届けば、ほんのひと振りでこんな傷すぐ治してやる。我が不死の下僕として仕えるのだ」

 瑞雲は、この男も戸板に乗せて運び出させた。八太夫も全身が焼けただれて隅に倒れている者を見つけ、まだ息があることに気づいた。細かく痙攣を起こしている。すぐ戸板を持った者を呼ぼうとしたが、思いとどまり、耳元で囁いた。

「ええか、今後は、わしがお前さんの主人じゃ。わしの言うことに従うんじゃ。瑞雲に従うふりをせえ」

 八太夫は、領民の一人を呼び止め、戸板に乗せて担いだ。戸板を運ぶ列に合流し、来た道を引き返すと陣屋の大広間に運び、寝かせる。八太夫は、

「お前さん、名前は」と訊いた。

「梅ヶ枝……、苗」

「お、女!」

 八太夫は、思わず訊き返した。苗は小さく肯いた。改めて見ると、他の黒焦げの男達よりひと回り小さく、手足も華奢だ。全身の火傷でただれた皮膚が痛々しい。

「早ういかんか!」と、下役人の声が飛ぶ。

「へ、へぇ」

 八太夫は、小走りでその場を後にした。

 篝火で照らし出された洞窟の深部は、祭壇に近づくにつれ、惨状を極めた。洞窟内の建物は、灰化するほど激しく焼け、多くの人間が中心部から放射状に吹き飛ばされたように倒れ、炭化している。

 灰をかき出していくにつれ祭壇の中心部に、倒れた大きな壺が現れた。壺はたくさんの傷がついていながらも白っぽい金色に輝いている。昨夜の惨事による陰の気を吸って輝いているのだ。

 瑞雲は祭壇を掃き清めるよう言いつけると、燭台の火を近づけ、中身を覗き込んだ。自分を煮込んだ毒汁は、どす黒く壺の中にこびりついていが、そこからは、とても低い、息遣いのように強弱する振動のようなものが伝わってくる。それは瑞雲の体の肉を搔きむしるように引き寄せ、吞み込もうとしてくる。

 瑞雲は、自分の中の陰の壺と一体化したものが引き寄せられていることに気づいた。自分の体そのものが自分をその壺に落とそうとしているのだ。

 瑞雲は、弾かれたようにそこから飛び退き、全身から汗を噴き出した。

「いかがされた、瑞雲殿」と、田代が近づいてくる。目立たぬように様子を見ていた八太夫も、他の領民と共にそろそろと近づく。

「いや……」

 肩で息をし、あえぐ瑞雲の血管が明るい紫色に光っていた。体のあちこちがほの暗い洞窟で深海魚のように光り、脈動するかのように明滅していた。

「の、呪いと毒の壺め。わしを喰おうとしおった」

 瑞雲の呟きを、田代が訊き返す。

「なんと言われました」

 瑞雲は、少し間を置き、息を整えて口を開いた。

「いや。なにもござらん。田代殿、焼けた死体を一つこちらへ」

 田代は、訝しい顔で頷くと、戸板に乗せられた死体を祭壇に運ばせた。


「それをこの壺に入れよ」

 瑞雲の命に領民は耳を疑ったが、改めて強く命じられて恐る恐る従った。

 壺は、底から暗く鈍い赤い光を発し始める。

「おおっ」

 その光は、溶けた鉄のように赤味を増し、じゅわじゅわと焼死体を溶かしながら取り込んでいった。辺りに焼けた金属と不純物の混じった油脂が蒸発する臭いが広がる。瑞雲と田代は、思わず中を覗き込んだ。

 壺の底面にどろりとした液体が溜まり、鈍く光っている。瑞雲は、悪魔じみた目で口元をゆるめる。田代は、人間としての禁忌に触れたような罪悪感を顔に浮かべていた。

「もっと、持ってこい」と大声を出す瑞雲の声が、洞窟に響いた。

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