第31話 丿(へつ)の家を継ぐ者
〇簪
数段の板葺きの階段の先にはめてある板を外すと、書院の床の間の掛け軸の裏に繋がっている。
行燈の灯の中で、女中二人が不安気な顔で宴の片付けをしている。掛け軸の裏から現れた姿に一人は腰を抜かし、一人は叫び声を上げて逃げていった。
瑞雲は、怯える女中に給仕を命じ、櫃に残った白米やおかずと覚しきものを綺麗に平らげた。
「お代わりをくれんか」
瑞雲の形相は、かなり収まったとはいえ、全身紫の裸体に赤い血管が浮き出している。それが左手で握り箸を使い、白米を掻き込んでいるのだ。
どたどたと、田代が数名の手代を連れて戻って来た。既に刀を抜いている。
「あ、お主、その形相は……」
「ふはははは。先ほどは、少々酒が過ぎ、酩酊致した。しかし、『沸魄散』なる良いお薬を頂戴し、この通り本復致した。いや誠に爽快爽快」
田代は、手勢を扇形に配置し、
「『沸魄散』を!丿殿は?その姿はいかがいたした?」と早口で訊いた。
「お騒ぎめさるな!箸しか持たぬものに、太刀六本。何を大層な。丿殿はお戯れが過ぎたご様子。郎党連ねて涅槃の境地とお察しいたすが。どこでどうしておられるか、その目でお確かめなされよ」
瑞雲は、わざとらしく箸を振り回し、箸先を掛け軸に向けた。
「くぅ、それ!」と、田代は、合図をし、二人に様子を見に行かせた。
「ず、瑞雲殿、その姿は?」
「拙者、陰の壺にて丿一族の脱魂存魄の秘法を身をもって授かり、沸魄散も全て頂戴致した。仔細は不明なれど、毒汁を全身に浴びつ秘薬の力で肉体を再生せし決着がこの姿。釜茹でにされた理由はこちらが知りたいわ!」
瑞雲は、女中の簪(かんざし)を抜くと、庭の細い立ち木に向けて撃った。
「っぐぐぅあああ!死中求活…死中求活!」
瑞雲は、あの絶体絶命の瞬間を想起した。全身に焼けつくような痛みが走り、同時に体内の沸魄散が再生力を極端に発動させる。両者が拮抗した瞬間、
「ばああああん」
瑞雲の体から雷光がほとばしると簪を直撃し、立ち木が一瞬で火に包まれた。瑞雲の雷光は、田代や手代達の太刀も感電させ、全員が強く痺れ太刀を落としてしまった。
「き、貴様!かような妖術をも使うか!」と、田代は痺れる体で後退りしながら言った。
「あっはっはっは、何を申される。この力こそ、丿様が私にお授けになったのだ。たまさかでござろうがな。あっはっはっは」
瑞雲は、洞窟での悔しさの仇を討つように、わざとらしく笑った。その高笑いは、書院に続く廊下の奥に現れた司千勝にも聞こえた。そこからは、燃える立ち木も見えている。
「こ、この上は何が望みじゃ」と田代が訊く。
「仕官の話、正式にお進め願いたい。丿様のお屋敷、お役目、陰の壺ももらい受け申す。秘薬探索のご助力も頂ければ充分でござる」
「な、なにを……」と田代が言いかけた時、「面白い!」と司千勝の声が聞こえた。司は、瑞雲の様子を眺めながら、敢えて悠々と書院に入った。
「その申し様、痛快じゃ。紫丸亡き今、丿の家を継ぐ者も必要。お主には、丿の養子となり紫丸の妹と祝言を上げてもらう。御公儀に正式に届けることが条件じゃ」
瑞雲は、自分を見下ろす司千勝に不敵な笑みで応えた。
「謹んでお受けいたす」
〇出奔
下弦の月が、更に遅く空に出ている頃、八太夫一行は洞穴を出た。池の水は完全にひき、土は乾いてさえいる。入らずの山は獣の気配もなく、月明かりを頼りに八太夫がもと住んでいた家からヤマノクチへの分かれ道を逆を選び、里境を東に進んだ。
一行は、奇しくも瑞雲のいる司領に入ってしまったのだ。
八太夫は更に若返り、精気溢れる二十四、五の青年になっていた。がっしりした体躯がぼろぼろの着物からはみだしている。その背には、ソが拵えた大ぶりな籠を背負い、いかにも力自慢の人足に見えた。お袖は匂い立つような十八、九の娘になっていた。お袖も小振りな籠を背負い、そのお袖が布で顔を隠した封を連れている。封は十寸とソを人形のように抱いている。
獣道を下り、領内にはいる。水田が広がっている。司領は広い盆地のようになって田圃が広がっている。盆地の中心にうず高く山城のような陣屋があり、盆地の周囲から集まった水が陣屋の掘に合流し、背後から川となって盆地の西側から流れ出していた。
「このまま目立たん道抜けていこう」
八太夫が、言った時、遠くに見える陣屋の背後の辺りで、
「ぐわっ、ばっばっばっ」と、爆発と雷光が瞬いた。陣屋中に火が灯され、番所らしきところや、民家にもぽつぽつと火が灯る。
「なにごとじゃ。こ、これはいかん」
八太夫達はおかしな嫌疑を避けるため、鎮守の社に身を潜めることにした。
〇籠を背負った家族連れ
明朝、田畑に人が出た頃を見計らって、八太夫達は歩き出した。この道は伊賀と柳生を結ぶ間道でもあり、人がわずかながら歩いている。庄屋らしい屋敷に馬で乗りつけた侍が人を出すように命じていた。
「昨日なんぞあったんかのう」「火事ですかのう」
二人は、昨夜の倒壊爆発を思い出していた。八太夫は、ほんの少し前までの孤独な暮らしと十寸との穏やかな暮らしが幻のように懐かしく思えた。お袖は、これまでの穏やかな暮らしを自らの浮ついた心で自ら失い、取り返しのつかない強い後悔を感じていた。
「足、痛い」
封がすねたように言う。八太夫とお袖は、現実に急に引き戻された気がして、思わず笑いだした。
「よっしゃ」
八太夫は、右腕で封を抱き上げた。封は、思いのほか軽い。勢いがつき過ぎて、一瞬投げ上げるようになり、封は「きゃ」と小さく声をあげた。
田に出ている百姓が、八太夫達の姿を見あげて笑っている。八太夫は少し照れて、お袖の手を掴むと足を速めた。
この道は、陣屋に向かって伸びている。近づくに連れて、ぽつりぽつりと家屋敷が増えてくる。わずかながら人の出入りもあった。
〇朝餉
田代の役宅では瑞雲が、勢いよく飯を掻き込んでいた。昨夜紫色に変色し血管が浮き出ていた形相は、かなり収まっていたが、首筋や頬骨、眉間に薄紫の不均一な斑模様となり、太い血管も幾筋か顕わになったままだ。
「昨夜は、よくお休みになられたようですな」と、田代は、瑞雲の平らげた膳の具合を眺めて言った。
「ふふ、深夜の来客もなく熟睡致した。ところで少しでも早く探索を始めたいが、具体的にどのような御助勢を頂けましょう」
瑞雲は、片手で女中にもう少し飯とおかずを持ってくるよう合図をする。田代は、自分の膳を瑞雲の方に向け、女中に促した。女中は、慌てて田代に一礼すると、瑞雲の膳に取り分けていった。
「今日は、亜宮殿の捜索、遺体や怪我人への対処、丿家に了解を得られれば、紫丸様の妹、桔梗様にこれまでの経緯をお伝えせねばなりません。丿家に入る以上、手順は踏んで頂きとうござる。秘薬の探索はその上となりますことをご承知おき下され」
瑞雲は、少し不満気な顔をしたが、次の膳に箸をつけながら
「もう、慌てる必要はあるまい。この地で仕官が叶い、この身中に陰の壺と隣り合わせとはいえ秘薬『沸魄散』もある。いたずらにどこに行ったかわからん十寸を追うあてどもない暮らしに戻ることはないのだ」と、今更ながらに気づいた。また、「おお、そうか」と右手にこれまで巻いていた布や膏薬を剥がす。右手は毒液と沸魄散の力で回復し、傷痕にとげのようなものが生えていた。
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