第30話 死中求活

〇亜宮殿の儀式

 鍾乳石が篝火に照らされて揺れている。中央に傷だらけの古い金属製の壺が据えられ、太い三本足の炉台に支えられ、その下ではぬらぬらと火が燃えている。火が燃える炉台は、土で突き固められた祭壇に置かれ、祭壇の側面に太い柱が立てられている。柱には、壺の真上に向けて太い枝が伸びている。この枝に意識を失った裸の瑞雲が後ろ手で両足も縛られ、太い綱で吊るされていた。


 壺には、粘り気のある液体がぼこりぼこりと泡を噴いている。丿が指図をすると、暗闇から灰色の斎服で、灰色の頭巾、目だけを出した灰色の前垂れの者が薪をくべ、他の者が薬液を継ぎ足した。

 異臭と熱気が、瑞雲の足に絡みついて湧き上がってくる。

「っぐあっ」

 瑞雲が意識を取り戻し、身をよじって熱気から逃れようとする。異臭により目もまともに開くことができない。

「くく、石宬瑞雲、小賢しい若造が。煮られる前にようやく目が醒めたか」

「んぐ、こ、これはなんとしたこと!」

 瑞雲の声が、鍾乳石の洞窟に響く。

「己の愚かさがまだわからんか。甘い言葉に小躍りしおって。殿の書状は坊城家とも密約の上の真っ赤な偽物。全ては、お前の家族に秘薬の残りを持ってこさせるため。用が済んだら、この亜宮殿に引っ立て、壺で一緒に煮込んでやろう」

「つうぅ!騙したな!うぐ、ごほごほ」と瑞雲は、丿を睨んで大声を上げようとしたが、異臭と熱気にむせ、激しく咳き込んだ。

「お前は、家族を騙して秘薬を持ち出させ、それを賂(まいない)に仕官を図ろうとした下衆な男と噂されよう」

「くそうくそう!た、ごほごほ、叩き斬って、ごほごほ」

 丿の合図で灰斎服達が、瑞雲を煽るように笑った。


〇陰の壺と万障沸魄散

「くははは、わめけわめけ!憎しみを募らせ、怒りをたぎらせてこそ、この陰の壺の糧となる」

「ごほっ、な、なに!陰の壺!」と、瑞雲は顔色を変えた。

「えせ山伏でも知っておるか。陰の壺とは、仏法や陰陽道伝来の遥か以前、上古より帝をお護りせし、呪詛の壺。長きに渡り獣同士を噛み合わせ、その獣を毒蛇毒虫に襲わせ、飢えさせ、痛めつけ、人をも贄とせし人蠱の壺。それもっと呻くがよい。それそれ」

 丿は人をいたぶり、苦痛を与えることに喜びを感じていた。それも瑞雲のような剛直な若者をもてあそぶことに酔いしれている。

「な、なんと非道な!許さん!許さんぞ!」

 瑞雲は縛られた体で身を震わせるが、じわりじわりと壺へと引き下ろされていくしかない。激しい怒りや後悔、恐怖が全身にみなぎった。そこを見計らい、丿は、「膝」と号令をかける。

 綱が下げられ、瑞雲は両膝までを煮えたぎる壺に浸けられてしまった。

「ぎゃああああ」

 瑞雲は、激しく叫び、全身を痙攣させた。跳ねるように膝を壺面からあげようとするが、足首・膝・腿・腰それぞれが縛られている。三方から引っ張られ、いくらもがいても逃れようがなかった。丿は瑞雲の苦悶の表情をいかにも愉快気に覗き込んだ。

「ほうれよおく見るのじゃ。我らが元にもほんのわずかながら秘薬がある」

 丿が指先で合図をすると、跪いていた灰斎服の一人が三宝に載せた白磁の小瓶を差し出した。瓶の口の紙封には「沸魄散」と記されている。

 瑞雲は、荒い息遣いで呻きながら小瓶に向けた目を見開いた。

「引き揚げよ」

 丿の声と共に、瑞雲の体は引き揚げられた。膝から先は真っ赤にただれ、毒の成分が肉を溶かし、見るも無残な状態になっていた。

「くっくっくっ、この秘薬『沸魄散』の効果はお前ごときでもわかっておろう。ほんの耳かきいっぱい、いや四半分で両膝は元通りじゃ。飲ませて欲しいか」

「よ、よこせええ。うぐあああ」

 瑞雲は、体をねじって叫んだ。膝から下の激痛に加え、毒がじょじょに上半身に伝わってくる。身悶えるほどに毒が全身に廻っていく。

「それ」

 丿は、『沸魄散』の紙封を破り、ごく少量を瑞雲の舌に載せた。

「ぐっ……、うああああ」

 微かながらも、秘薬の効果が毒と拮抗していく。また、膝下の爛れがわずかに回復し始めた。

「浸けよ」

 合図と共に、灰斎服が再び綱を下げ瑞雲の膝までを壺に浸した。

「ぎゃあああああ」

 瑞雲の体内で、熱によるただれと、毒の痛み、痺れ、同時にそれを回復させようとする真逆の働きが生まれ、激痛は倍のものになった。


〇脱魂存魄の秘法と存う者

「どうじゃ。再生しようとするが故、痛みは倍増、その上、感覚がなくなることもなく延々と続く。これ以上に人蠱に相応しきものなし!!」

 丿のかすれた笑い声が洞窟に響いた。叫び続ける瑞雲に、丿は高らかに続けた。

「およそ人には魂魄と言える根本が存在する。魂は精神、魄は肉体の礎となる。人は死により魂と魄が離れ、魂は昇天し、魄は地に戻る。呪詛を越えた我が一族の脱魂存魄の秘法、陰の壺により、精神を死に至らしめ、魄のみにて存う者(ながらうもの)を創ることで、命(めい)を与えられるままに受け入れ、常に我が命に忠実に従い、命を果たすことのみの者となるのじゃ!それ腰まで沈めてやれい」

 灰斎服達は命令と共に、無表情のまま瑞雲への拷問を続けた。ここに居並ぶ数十名の灰斎服の全員は、既に存魄の者となっていた。丿は、叫び声に勝るほどのけたたましい嬌声をあげ、この洞窟の支配者として酔いしれていた。

「それそれ、もう少しだけ沸魄散を飲ませてやろう」


〇死中求活

 瑞雲の足首を縛っていた縄は強い毒の酸によって既に溶け、腿や膝を縛り付けていた縄も脆くなっていた。瑞雲は更に叫び、壺の中でのたうち回った。何度も毒が壺の縁から跳ね上がり、しぶきとなって腰の縄にも繰り返しかかり、黒ずんでいく。

 下半身を縛っていた縄が溶け千切れ、一際大きく瑞雲が身を捻じった時、大きく跳ねあがったしぶきが、丿紫丸の右手と額に掛かった。

「ぎゃっ」

 丿は思わず、身をのけ反らせ、反射的に左手でしぶきを掃おうとし、沸魄散の小瓶を取り落してしまった。

 その瞬間、瑞雲が渾身の力を振り絞って小瓶に噛み付いた。

「がぼっ」

 小瓶は砕け、瑞雲の口は破片で血まみれになる。しかし同時に小瓶に残っていた沸魄散が一気に口に入ったのである。

 瑞雲は、破片と共に沸魄散を飲み込んだ。咥内に激痛が走る。激痛と同時に沸魄散が吸収され、再生が急激に進んでゆく。

「ぐあああああああ」

 丿は祭壇を転がり落ちながら、灰斎服たちに命令を出そうとした。

 その瞬間、瑞雲の中で沸魄散の再生の力と陰の壺の毒液による破滅の力が、極限で強く真逆の方向でぶつかりあった。

「どおおおおん、ばりばりばりばり」

 目も眩む強烈な閃光がほとばしり、雷が洞窟内を貫いた。洞窟内は、放電と熱により赤紫色に発光し、瞬時にそこにいた全員が感電死した。香ばしい臭いが充満し、陰の壺は真っ赤に焼け、瑞雲を縛っていた綱はことごとく炭化し、霧散した。

 ぐったりと瑞雲の力が抜け、陰の壺に寄り掛かり、壺が倒れた。瑞雲は、壺から這い出す。毒で溶け落ちたはずの両足が再生されている。その場に立ち上がった瑞雲自身が紫色にぼんやり輝いている。

 洞窟内は、感電死した者共から燃え上がった火でぼんやりと照らされている。紫色に輝いていた瑞雲の体は、血管が浮き出て赤紫に変じていた。

 両手には、放電され残ったであろう電離された気体が、ぱりぱりと光を放っていた。

「こ、これは、い、雷。っく、くくく、くはっ!はっはははは。死中求活とはこのこと!これなら、これなら勝てる、勝てる!」

 瑞雲は、火のついている手近な木片を掴み、出口を探して歩き出した。洞窟は、膨大な年月をかけて要所要所を削り、道として整備されていると思われた。長く細い登りの末、徐々に飛び石を配置した石段らしい体裁が整っていく。下りの枝道の存在は確認したものの、登り勾配の石段を選ぶと、光がぼんやりと漏れているところにでた。

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