第29話 籠絡・司陣屋

〇護送駕籠

 田代が従者に馬を引かせている。後ろに瑞雲を乗せた護送駕籠が続き、警護に土田と三浦が付いていた。

 一行は、布目川の西側の街道を南進し、入らずの山を大きく迂回して行く。岩屋寺に向かう橋を渡り、真東につけられた切通しに入った。登りが小半刻ほど続き、やがてくねくねと蛇のようななだらかな細い下り道の果てに田畑が急に開けたところに出た。司家の所領に入ったのだ。

 司家の家臣が二人、人足も二人連れている。土田たちは田代の指図でここで護送駕籠を引き渡して引き返した。二人は、道を戻りながらこの切通しが強固な防衛目的で造られていることに気づいた。このつづら折りは、道も狭く両側の山から弓で狙われ放題で、道の頂上辺りが最も狭く、寄せ手が停滞し、やはり、的になる。それ以前の布目川からの道もじょじょに道が狭くなる造りで、両側から射かけられたらかなりの被害が予想される。

「司領へは、こんな道ばかりじゃ。まさに砦じゃのう」と土田と三浦は、話しながら戻った。


〇籠絡

 瑞雲は、白洲に引き出されていた。ただ、建屋は屋形に板塀を高く巡らせた珍しい造りで、板塀の隙間から入る光が瑞雲の厳しい表情を浮かび上がらせていた。瑞雲は、三寸縄で足首も強く縛られて、小砂利に直接正座させられていた。

「司家…、といえばわかるのう。ここは司家陣屋の白洲じゃ」と、田代が少し威圧的に言う。

「こ、こんなことをしておっては逃がしてしまう。早くお解き放ち下され」と、瑞雲が声を荒げるのに被せて、

「誰が逃げる」と田代が返した。

「そ、それは。失礼だが、貴殿は」

「これは申し遅れた。拙者、司家用人、田代幸盛」と田代が言ったところで、吟味所の襖がすっと開いた。瑞雲より少し年上らしき、痩せた神職と思しき男が現れた。無表情で瑞雲を見下ろしている。

「なにか喋ったか」「いえこれからで」とぼそぼそとしたやりとりが聞こえた。

「丿紫丸(へつむらさきまる)と申す。お主の身柄、坊城からは買い受けた」

 瑞雲が言い返そうとした時、廊下にもう一人が現れた。こちらは、侍装束の初老の穏やかな面持ちだ。紫丸が、

「これは、司千勝(つかさかずまさ)様。こちらが今朝買い取りました石宬瑞雲でございます。一刻も早う追っ手を掛けねばなりません。早速のお仕度、叶いましょうか」

 丿紫丸は、恭しく頭を下げた。司は、「うむ」と頷くと、続きの間の廊下に控えていた下役人に目配せをした。

「つ、司様と言われたか。拙者、坊城家に所縁のもの。何卒主家にお知らせ頂き…」と訴える瑞雲を軽く手で制して、二人はゆっくりと吟味所の畳に座った。田代も白州の階段脇に控えた。

「知っておる。坊城から三百年ほど前に分かれた遠縁も遠縁、まともに盥の水替えすらできず、秘薬を逃がし、坊城家はもとより我ら両家に多大な迷惑をかけた家よのう。その頃より坊城の名は畏れ多いと石成と名を変えた者。その子孫、瑞雲であろう。山伏石宬瑞雲と名乗り、この辺りの杣山の里や寺々を嗅ぎまわっていたこともとうに御見通しじゃ。秘薬探しに成果があれば、今ここで報告するがよい」

 司千勝は、穏やかだが毅然とした口調で話した。

「昨日のこと有り体に申せ。全てはそれから」と丿が、少し優しい口調になった。

「十寸に深く関わる山猟師を捕らえ、その折手先として使っていた奉公人と、十寸に関わる庄屋の娘を陣屋の地下牢に投獄いたしました。その夜、激しい火災にて地下牢のある納屋が崩壊したのです」

「実物の十寸を見たものは何百年振りか。庄屋の離れはいかがいたした」と丿が訊く。

「百貫以上はある大石が降り、倒壊いたしました。あれは、十寸の仲間がやったと思われまする」

「ほう、見たのか」

 丿は、司千勝と顔を見合わせた。

「十寸のおよそ三倍ほどの大きさでございました」

「なるほど、それほどのものとは。それから」

 丿紫丸は、関心があるような言い様ながら、どこか淡々としている。瑞雲は、そこに違和感を持ち、

「それから、と申しますと」と、訊き返した。丿は司千勝の顔を伺い、

「そこまでなら我らが伝家の巻き物にあること。訊くに及ばず。その先、その奥が必要じゃ」と、冷たく言った。

「ぬ…。これ以上、存じ上げませぬ」

 瑞雲は、小さく震えて俯いた。その様子を見下ろして、二人は少し訝しい顔をした。

「…お主、この探索にどんな準備をして参った」と司千勝が訊く。

「や、山伏に身をやつすため最小限の知識と、装束を一式、坊城家に探索出立の許可……」

「そんなことを訊いているのではない。探し物についてじゃ」と丿は、投げかけた。「澱」とも「秘薬」とも言わない。これは、瑞雲がどこまで核心について知っているか疑わしくなっているからだった。

「は、恥ずかしながら、当家の巻き物は、一子相伝。私は、巻き物をちらと見た程度に過ぎませぬ。また、兄が書き記した帳面を盗み見たことが数度。しかしながら、兄はどちらも持ち出奔。私は、これまでの知識、兄より見聞きしたことを繋ぎ合わせ、兄の痕跡を追って参りました」

「な、なんと。これは驚いた。噂程度で、あの里に目星付けるは上々のこと」と丿は、ここまで瑞雲がどう推論を立て、行動してきたかを詳しく喋らせた。瑞雲は、先ほどまで誇りを傷つけられてきた。そこから手のひらを返したように、持ち上げられたことに気づいていなかった。瑞雲の得意が頂点に差し掛かった時、司が言った。

「お主は、若輩なれど不世出の傑物。どうじゃ、お主さえ承知するなら、十寸の探索への充分な準備と後ろ盾、助勢も致そう。石成として家督を継ぎ、当家に仕え、命を捧げると誓うのだ」

「な…、なんと」

 瑞雲にとって、これまで決して手に入らなかった後ろ盾と、家督を継ぐ名誉まで実現するのだ。瑞雲は大いに誇りをくすぐられた。

「あ、ありがたき幸せ、司家に命懸けにてお仕え申し上げます!」

 瑞雲が平伏すると、

「よく言った!それ」と、丿が合図をすると、田代が縄を切った。

「よくぞ申された。石成殿」と、言いながら田代が瑞雲の両肩をがっちりと抱き、階段に腰かけさせた。

「田代、石成に湯をつかわせ。その間に身分に相応しき着物を用意せよ。我らは坊城家に正式な召し抱えの書状を出す。後でお主も家族を急ぎ呼び寄せる書状を書くようにのう。秘薬も全てお主のもとに密かに運べと申し伝えるのじゃ」

 司千勝は、田代と瑞雲に声をかけた。

「は、ははっ」

 瑞雲が姿を消した直後、司千勝と丿紫丸はほくそ笑み、奥へと続く廊下へと消えていった。


 半刻ほど後、湯を浴びて、剃刀をあて髪を結い直し、装束を整えた瑞雲は、書院に通されていた。田代が下役人に硯を準備させた。

「石成殿、ひとまずお主は司家のご陣屋手付の一人として召し抱えると仰せじゃ。特にお主は秘薬に関わる重責を担うことになる。お役目を果たせばどんな暮らしも思いのままよのう」

 瑞雲は、田代に促されるまま家族への書状をしたためた。

 夕刻になり、書院に灯りが増やされる。廊下や庭のそこここにも行燈が配置され、火が灯された。田代の元に下役人が耳打ちする。

「殿のお越しじゃ。さあさ」

 田代は、下座に来るよう瑞雲に手招きした。二人は平伏して司千勝を迎える。司は二言三言、瑞雲の男ぶりを褒めて、自らが書いた坊城家宛の書状を見せた。田代を介して書状を見せられた瑞雲は、言葉を失い先程以上に平伏した。瑞雲も自身が書いた家族への書状を見せた。

「探索方手付頭……、お主には、役目を果たすだけの支度を与えて遣わす。存分に働くがよい」

「ははっ」

「書状は、明日朝のうちに坊城に届くようにせよ」

 田代は、平伏すると書院を出ていった。瑞雲は何度か新しく仕える殿から盃を受けた。田代が戻り酒宴はしばらく続いた。

 瑞雲は、相変わらずよく食べた。代わりの膳が運ばれ、女中達が飯を盛ったり酌をしているうちに、瑞雲は、酩酊し、その場に昏倒した。女中達が瑞雲の口を拭くふりをして何かを染み込ませた手拭いを押し付ける。瑞雲は何度も振り払うが、代わる代わる押し付けられ、やがて、意識を失った。

「せっかくの着物が汚れなんだか。それさっさと剥いてしまえ」

 田代が指図をする。頃合いを見計らって、丿紫丸が黒地の斎服で現れた。数名の神職を従えている。

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