第28話 ソの本領

◯ソの本領

 八太夫は、出立を日没後と決めた。ソはすぐにでも支度は整うと言う。

 ソは、十寸と封に充分澱を浴びさせた後、両手を泉につけ、目を閉じた。何かの力が両手から伝わっていく。澱が水面に向かって持ち上がって来る。上澄みが排水された後、澱は徐々に水気が抜けていく。洞穴内の湿気も失われていく。固く練られた団子のようになったものを十寸と封に搔き集めさせると、ソは更に意識を集中させた。乾くに従って嵩は縮み、団子にひびが入り乾いた粉状になっていく。

「こ、これが秘薬の正体……」と八太夫は思わず呟いた。澱を呑んであれだけの効果があったものだ。それが凝縮されたものにどれだけの効果があるかは、想像もつかなかった。

「おじい、それを」と、ソが縁石を指差す。泉は完全に乾いて、縁石だけが並んでいた。八太夫は、歯のように並んだ縁石を引き抜くとソの近くに積み重ねた。石は金属質だったが思いのほか軽く、十寸や封の銛と同じ素材と思われた。

 ソが縁石に両手で触れ、目を閉じると、じわじわと石は形を失い、泥のようになっていく。やがて、封と同じくらいの大きさの紡錘形の器になった。

「お……、おお……」

 思わず、八太夫が、声をもらす。お袖も絶句してこれらの様子を凝視していた。

「はあはあ……、これに澱…、粉を詰めて」とぐったりしたソが言う。

「抱えづらそうやけど、誰が持ちはるん」とお袖が、素朴な疑問を口にした。

「あ」

 お袖に言われて、ソは初めてそこに気付いたようだ。

「あ、ああ。ほんまやな。わしが背負いやすいもんならええが」

「封に抱えて飛んでもろて、目当ての場所に落としたら地面に突き刺さると思うとった」

 ソにとって原初的な「器」は、紡錘形の殻だった。一種の卵の殻にも見える多角形の紡錘形で造ったと言える。

「背負いやすい形ってどんなん」とソが訊く。

「そやのう、背負子、竹籠で蓋でもついとったら」と、八太夫が言うが、ソには今一つ伝わらないようだ。

「こんなんですかのう」

 お袖が、土に指で簡単な絵を描いて見せた。竹で編む文様も脇に描く。ソは小さく何度か肯くと、お袖ににこっと微笑み、

「おじい背中見して(見せて)」と言った。

 ソが再び、両手で紡錘形に触れ目を閉じると、じわじわとそれは形を崩し、竹籠のような形に変化した。竹で編んだかのような文様も入っているが、これは縁石と同じ素材の薄い金属板で造られたものだ。蓋も十寸が地下牢で見た蝶番の形が取り入れられている。


 早速、秘薬の粉をこの背負い籠に詰める作業が始まった。

 八太夫が知る限り、金属品づくりは、地中から鉱石を掘り出し、精錬した上で、坩堝で強く熱し溶かしてから型に流すか、槌で叩いて形を整えていく大変労力を要する作業だ。ソは、何か全く違う方法で地中から目当ての金属そのものを取り出し、形を与えている。秘薬でさえ、本来の効き目は途方もなく、瑞雲などの欲に駆られたものに知られれば大変なことになると改めて寒気だった。


〇司家の使者

 柳生藩の使者が陣屋を去るところを見定めて、一頭の馬が引かれてきた。既に鞍をはじめ馬装束が据えられている。塩田が、これも準備を整えた土田に一通の書状を渡した。

「殿直々の坊城家への書状、一刻も早う返事をもろうてまいれ」

「はっ」

 土田は、両手で書状を受け取ると懐に納めた。表門に馬を出しまたがろうとしたところ、先程とは違う使者らしき侍が、従者に馬を引かせながら現れた。

「お取込み中失礼致す。拙者、坊城家よりの命を授かり、司家より参った田代幸盛と申す」

 田代は、中肉中背で、がっしりもしていないが丸みのある白い顔と細い目、その相手を射すくめるような威圧的な眼差しが一種公家方の風格を帯びていた。司家は、坊城家と共に後醍醐天皇に付き従ったが、一旦吉野に向かった後、この里のすぐ東側に天領の一部を拝領し移り住んでいた。坊城家が薬師の家柄であるのに対して、司家は呪詛を司る家として、国家鎮護の裏側で存続してきたものの、性質上都からは遠ざけられてきた。一方で坊城家は、司家が呪詛を行う上で使う様々な薬品、毒を供給しており、強い繋がりがあった。伊藤家には、坊城家を主君筋としての五代に渡る関わりがあり、司家もその名前自体が一定の重みを持って捉えられていた。


「こ、これはこれは司様のお使者殿。失礼致しました。早速、お取次ぎ申し上げます」

 塩田は、土田に一旦馬を戻すよう命じ、自らは田代を御役所の使者の間に通した。程なく田代は座敷に呼ばれた。上座には代官伊藤一厚、脇に伊藤忠厚、その下座に塩田が控えていた。

 一通りの挨拶と両家の近況の話の後、田代は、


「此度の石宬瑞雲による庄屋・奉公人への所業、坊城家におかれては、預かり知らぬことなれど、いやしくも当家に仕える者の不始末、司家にて預かり処断致すゆえ、お引渡し願いたいと申しておりまする」と、書状を差し出した。塩田が受け取り、一厚に差し出す。

 一厚は書状を開きながら、苦い顔をした。昨日の今日の出来事だ。書状をしたためての使者の来訪など手回しが良すぎる。書状と田代の顔を交互に見ながら、一厚は、

「あまりの手回し、何か種明かしもご披露下さるか」と、ちくりとつついた。

「今は徳川の御代。過ぎし源平鎌倉の霊薬などに頼る世ではござらん。あの者は、没落の家筋、ありもせぬ秘薬探しに固着妄執しておったのでござる。兄も見限って家を捨て、それがゆえ弟瑞雲が追い詰められての薬探し。主家が不始末を心配して、我が司家に目を配るようご依頼なさっておられたとご理解願いとうござる」

「そ、それでは辻褄が合いませぬ」

 脇に控えた忠厚が、思わず口を出した。若く剛直な忠厚の至極全う(真っ当)な言い様ではあったが、今、伊藤と田代は、事を納める辻褄そのものを申し合わせようとしていたのだ。一厚は、

「だまっておれ」と、目だけで伝えたが、その様子を田代は見逃さず、

「怪しげな山伏に身を落とした者が、小手先の術で騒動を起こしたと思われますな。これは、あくまでも火災のお見舞い。我が殿よりでございます」と、紫の袱紗に包んだものを差しだした。塩田が持ち上げようとする。ずしりと重みがある。伊藤が中身を改めた。中身は二十五両包が四つだった。

「先程、拙者と入れ違いになったは柳生の使者とお見受け致した。ことによれば大坂城代、幕府より聞き取りがあるやも知れませぬ。伊藤様は、公家方よりお預かりの当地のお代官。忠厚様に無事にお役目を引き継がれますためにも、余計な者は他所にやられた方が賢明かと思いまする」

 田代は、一厚の性格をよく踏まえていた。忠厚は、自分が引き合いに出されたことにむっとしていたが、一厚に強く目で戒められ踏みとどまった。

「田代殿、坊城、司ご両家にはくれぐれもよろしゅうお伝えくだされませ」

 一厚は塩田に小さく目配せをした。

 塩田は、自ら田代を瑞雲を幽閉している座敷牢に案内した。

「田代殿、あの若山伏、いかがされるおつもりで」

「おお、何かよい料理法をご存じの様子。一手御指南……」と田代は、塩田の追従めいた言い様に乗ってみせた。

 塩田は、先に見抜いた瑞雲の弱点を田代に告げ、これを機に司家、田代と懇意になろうとしていた。田代もそんな塩田の腹の内を読み、あえて繰り返し礼を述べた。


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