第27話 決断の一夜

〇大混乱

 陣屋では、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。納屋といえ、年貢や武具を始め様々なものを納めた御倉の一つとしても使われていた倉の焼失は大問題になった。高温で燃え上がり、厚く積もった灰もかなりの熱を持っており、地下牢の捜索は難航が予想された。

 また、火災発生後表門の上に現れ、長屋造りの熨斗瓦を走り抜け、南側断崖に落ちていった異様な娘の姿が混乱に拍車をかけていた。炎にゆらゆらと照らされた姿は、庄屋の娘お楓と思われたが、狂気じみた笑い声と長い髪や着物を振り乱して駆け抜けた様子は、その場にいた全員を凍り付かせた。当地のヒノシシや多々羅雉の伝承に結び付けて考える者も多くいた。どちらも爆発的な火を伴っていたことや前日庄屋宅離れに百貫を越える大石が降ったことも合わせて様々な憶測を呼んでいた。


〇伊藤忠厚

 納屋の爆発時、代官の息子伊藤忠厚は、手付の一人として陣屋の警備を指揮しており、爆発の現場近くにいた。忠厚は、父一厚を起こしに行かせ、自らは手代二人と御役所への延焼防止に奔走していた。

「忠厚様、忠厚様!」

 忠厚が振り向くと、父の元に使いに行かせた手代が戻っていた。手代は、緊張した面持ちで忠厚に耳打ちをした。


〇瑞雲捕縛

 この里は、南から北に流れる布目川によってできた東西の谷からなっている。陣屋のある西側に朝日が当たろうとしている。瑞雲は、黎明にくすぶる煙を見ながら庭に立ち、下役人に焼け落ちた柱をどかせるよう命じていた。

「瑞雲殿、この惨状、爆発といい、あの火の手といい、どうお考えか」

 瑞雲のすぐ左後ろから、納屋を眺めつつ忠厚が近づいた。瑞雲の左隣に並ぶ。

「むっ。考えも何も、一刻も早く……」と瑞雲が忠厚のいる左を向いた瞬間、右脇に小泉がぴたりと寄り添った。

「それっ」

 左右から、二人が瑞雲のそれぞれの腕を背後から手を廻して抱える。すかさず、瑞雲は体を沈めて体重を二人に預け、その隙に両足蹴りで二人の頭部を狙おうとしたが、体を沈めんとする間を与えず、真後ろから土田が半身で腰を沈め、左手で瑞雲の帯を掴み、動きを封じた上で、右腕を首に廻し、襟をがっちりと抱え込んだ。

「な、何をする!」

 瑞雲が怪我をした右手を護摩刀の鞘にかけるが、忠厚の左手が鞘尻を握り、刀を抜かせない。

「落ち着かれよ」と忠厚は短く声を掛け、腰の下げ緒を解き、護摩刀を鞘ごと抜き、下役人に持たせた。

「捕縛せい」

 跪かせた瑞雲に手代二名が駆け寄り、縄を掛けた。更に懐を探らせ、懐剣や銛などを奪った。

「どういうことだ!」

「言わずと知れたこと。妖しげな術で我らを惑わし領内を乱さんとしたること、許し難い」

 高手小手に縛られた瑞雲は、引っ立てられていった。


 手代が忠厚の周りに集まる。

「領内を騒がし、山怪を陣屋に引き入れるなど、以ての外。こんなことが御公儀に知られる前に収拾をつけよとの殿のお達しじゃ」


◯柳生藩の使者

 里と陣屋の谷間を流れる布目川は、柳生藩領興ケ原に注ぎ、そこから北進し、木津川に流れ込む。

 深夜の爆音は、興ケ原に住む柳生陣屋の手付の一人から直ちにもたらされた。即座に数名が山側と川側から物見として遣わされた。明け方には柳生藩より里の陣屋に使者が出された。


 布目川沿いの道を進んでいた馬上の使者は、川が大きく曲がるところで三ツ石と呼ばれる大岩に引っかかった赤い絣の着物を発見した。着丈から子供用と思われ、また、新しく傷みもないことから、誰かが流されたかと案じ、その着物を携えて陣屋を訪ねた。


 陣屋の表門で応対を受けた使者は、絣の着物を見て明らかに動揺する下役人から昨夜の出来事の一切を聞いた。使者は、玄関で出迎えた忠厚から、ただの失火で死者も出なかったと聞かされ、返って怪異について隠そうとしている印象を得た。失火場所を案内もされたが、納屋とはいえ、木組みそのものが残っておらず、強い火勢で灰になったことが窺われた。


 使者は火事場の片づけや当座の物入りについて助力を申し出たが、忠厚は丁重に断った。


 使者は、谷をいったん降りて東側の里を抜けて帰った。庄屋の表に人だかりがあった。事情を聞くと、昨日大石が降り、離れが倒壊し、中で死んだとされた庄屋が母屋の床下で発見され、共に役人に連れていかれたはずの娘も見つかったというのだ。また、奉公人の少女が山伏に刺されて血まみれになったこと、陣屋の侍に両足を射られた堂守の話も聞くことができた。

 使者は、もっと詳しく事情を聞こうとしたが、手付の小泉と土田がやってきたことから、その場を引き上げ、柳生藩に戻った。


〇翡翠洞穴の誓い

 入らずの山の池に二人が着いた。一面緑の水面をお袖が不安げに見下ろしている。

「こんな池の中に」とお袖が言いかけた時、緑の水面一杯に白い膜が広がった。

「ひっ」と思わず、声が出た次の瞬間には、白い膜が、水面から丸く大きなあぶくのように膨れ上がり、はっきりと逆三角錐の飛嚢の形となって、見上げるほどになり、真っ白い裸体の封が現れた。水を弾き光るような神々しい出現に、お袖はただ茫然とその様子に見とれるだけだった。

 水面に足先がつくかどうかというところまで浮き上がり、封は音もなくお袖に近づき、そっと指先でお袖の顎を撫で、襟を掴むと、そのまま後ろに下がり、飛嚢を一瞬で折り畳んだ。

「あれえ……」

 お袖は、池に引き込まれ、そのまま洞穴に連れていかれた。

「げほげはっ」

 お袖は、すぐ後ろから洞穴に上がってきた八太夫に背中をさすられてようやく人心地をついた。

「た、たまげた。うち死ぬかと……、は!、ここなんなん」

 お袖は、翡翠色に円形に並んだぼんやり輝く縁石と透き通った泉、その光に照らし出される洞穴を茫然と見渡した。

「ここが十寸らが住む洞穴なんや。すまんのう。封、脅かしたらあかんやろう」

 八太夫にたしなめられると、封は少し目を伏せて、思い出を懐かしむように、

「おじいも、侍たちも、うちに見惚れる。お袖もそやった」と、くすくす笑った。封は、自らの神々しさを自覚し、心を奪わんばかりに見惚れさせる喜びを感じていたのだ。八太夫は苦笑いし、十寸は腹立たし気に小さく足踏みをした。お袖は、その感覚がよくわからず、戸惑った顔をした。


 八太夫は、腰を上げると泉の方に進み、ソを指差した。

「お袖ちゃん、これがソや。十寸も封も、この子から生まれたんや」

「えっ」

 泉の中央にある小さな石像のようなソが、ゆっくりお袖を見上げ、少し手を上げる。十寸がふわりとソの後ろに回り込んで泉に降りた。切り溝の水を徳利で受けるとお袖に手や顔を洗うよう促した。封も水を汲みにゆく。

「ソよ、澱のおかげでお嬢様とこのお袖ちゃん助けられた。礼を言うで。ただ、わしもこの体をよして(治療して)もろたが、これはどないなっとるんや。治っただけやないのう。これは若返りの薬なんか」

 ソは、泉の中をゆっくり八太夫に向かって近づいた。八太夫の顔を見上げて穏やかに微笑み、いつもの笛のような声で、

「ほんまによかった。塗れば外の傷、飲めば中の傷が治る。ようけ飲んだら、一番……、気も体も満ちて溢れるところまで戻る……」と言った。

「ほ、ほうか、ほんでお袖ちゃんは…、その…、背も伸びて」

 八太夫は、そう言うとお袖を振り返った。お袖は、おずおずと八太夫の隣りに座る。十四歳だった少女は、美しい大人の女性に成長していた。

「もう、もう飲まなあかんて思うたんや。おじいは、体ようなってどうや」

 十寸は、心配そうな顔で、八太夫にも徳利の水をかけてやった。十寸にとって「おじい」の年齢と体の具合は、大きな気掛かりだった。両方が解消したことになる。

 八太夫は、無言で肯いて、そっと十寸の頭を撫でた。

「わしの迷いも晴れた。追手の届かんとこまで、一緒に行くで」

 十寸は、笑顔で頷いた。封も頷きながら、お袖の髪についた泥をすき落としてやっていた。

「ソはどうじゃ。出立は一刻も早いがよいと思うがのう」

 ソは、小さく頷くと

「落ちてきた時はうち一人。けど今は、十寸に封、おじいもおってくれたら、なんも怖ない」

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