第26話 倒壊爆発
〇倒壊爆発
月は、西に大きく傾き陣屋の西側の山陰に隠れた。地下牢の石段を這い上がると、そこは、一部が広い板敷になった納屋の隅の辺りだった。地下牢は、納屋の地下を掘り下げてそこに梁を渡して造られていた。入口は、御役所の東側に面しており、篝火が焚かれている。
十寸が斥候となり、人の気配がない繁みにお楓とお袖を誘導する。その頃、地下牢の階段の脇で老猟師の指示を受けた封が一気に飛嚢を膨らませた。
石垣に挟まれた階段脇いっぱいに飛嚢が膨らみ、そこに渡された梁を押し上げていく、持ち上がった梁は、ほぞに隙間が生じ、やがて、
「がこっ」と鈍い音がして木組みが外れた。牢の柱と梁を繋ぐほぞも外れている。梁が斜めにずれ、継ぎ柱の一つが外れ、屋根を支える梁も下がる。
「今や。一気に畳んで逃げい」
封は、八つある逆三角錐の下端にある弁を全て開き、吐き出した。梁や組み木が外れた状態のまま、飛嚢によって押し上げられていた部分が空間に戻る。
釣り合いを失った納屋は、音を立ててきしみ始める。寝ずの番を申し付けられていた下役人が、音を聞きつけて納屋に駆けつける。手付の土田と三浦も松明を手に駆けつけた。
ばきばきと音を立てて、納屋がねじれるように崩れていく。内部で材木が落ちる音、きしむ音が響き、土壁が落ちて埃を舞い上げる。その隙に老猟師たちは、裏手門のそばまで来た。そこにも一人下役人がいる。先ほどの物音の方を注視している。
「地下牢が崩れたのではないか」「まさかそのような」
三浦が松明を納屋に向けた瞬間、
「どおおおおおん」と、大爆発が起きた。一瞬で納屋が吹き飛び、火の手が上がった。
爆発は、封が乳房の中に貯めた水から創り出した空に昇る息と、それを創る時の副産物である火を燃やす息が大量に地下牢内に充満して、そこに引火したためだったが、この時代はまだこのような自然の理は未解明であるため、老猟師たちを含め、そこにいるすべてのものにとって、何が起こったかわからなかった。
「四方を固めよ!何事じゃ」
塩田や瑞雲が、大声で警戒を命令している。
その時、さらに奇怪なことが起こった。
「ああ、あれをご覧くだされ!な、なにをしておる!!」
下役人の一人が、表門の上を指差した。全員の目がそちらを向く。そこには、月が沈んだ真っ暗な夜空を背景に表門の熨斗瓦の上に立つ、お楓の着物を着た封の姿があった。納屋の火事の明かりでほの暗く照らされた封は、夜半庄屋から牢に閉じ込めたはずのお楓に見えた。
「庄屋の娘だ!なぜあんなところにいる!」
「あはははははははっ、あはははははは」
封はけたたましく笑いながら、熨斗瓦を駆け出した。表門から南側に繋がる長屋造りの屋根をがしゃがしゃと駆けていく。狂気的な様子に全員が凍り付いた。その中で梅本が気づく。
「あ、あちらに落ちると、向こうは断崖!と、止まらんか!」
「あはははははははっ、が!」
封は、嬌声を上げながら、着物を乱して瓦屋根の南端まで駆け、闇の中に落ちていった。封は、飛嚢を広げ、谷間を音もなく旋回して川に降りていった。
水の音だけが、さわさわと辺りを満たしている。星明りの中、封は老猟師たちと谷の底で合流した。お楓は、途中から、老猟師に背負われていたが、背中から降りると封から着物を受け取った。
「う、うちあんな子と違うし」と、眠気の中にも憤慨した表情をしている。
〇悔恨と
疲れ果てたお楓は、老猟師の背中で眠っている。お袖も、澱の効能で蘇ったとはいえ、失った血液が戻っておらず、都度休んでは、老猟師に手を引かれて里への道を進んだ。
谷を挟んで、西側に陣屋がある。星空の下、納屋から上がった火がぼんやりと見てとれた。封は、十寸を抱いて一緒に歩いている。全員が無言で歩いた。
「のう、八太夫さん」
里に入る道のかかりに差し掛かったころ、お袖が言った。
「うちはどないしたらええかのう」
老猟師は立ち止まり、振り返った。
「旦那様にもお楓さまにも顔向けできんことしてしもうて。お詫びのしようものうて」
お袖は、肩を震わせている。お袖にとって今回の出来事は、騙され、裏切られた初恋と、帰る家も無くし、これまでの恩も裏切るようなことだった。
老猟師は、お袖の肩を引き寄せた。
「そんな気持ち、背負とったんやな。つらかったやろ」
お袖は、老猟師にしがみついて声を殺して泣いた。
「その気持ちを持っとるんが大事や」
老猟師は、少しかがんで、お袖の顔を見た。わずかに黎明の気配がする時、お袖は少しくっきりと老猟師の顔を見上げた。
「……あれ、八太夫さん、その顔」と言いながら、お袖は半歩体を引いた。十寸と封も改めて顔を見る。
老猟師の顔は、老年とは言えない顔立ち、体の肉付き、肌の艶、髪。まるで老猟師の年の離れた弟だ。
「なんじゃ、どないなっとる」
老猟師は、いや八太夫は、自分の顔をぺたぺた叩き、手や足をかわるがわる見つめた。十寸と封も驚いた顔で八太夫を見ている。
「こ、これはどうなるんじゃ」
十寸は、封と顔を見合わせて首を傾げた。
「人も治すて話してたんや……、ソに訊かんと…はっ!」
十寸は、お袖を凝視していた。その様子を見て全員がお袖の方を振り向き、小さな声をあげた。
「えっ、う、うち、な…なんぞ?あ!」
全員の視線を浴びて無意識に胸の前に合わせた両手が、柔らかく跳ね返された。お袖の胸は、豊かな張りのある乳房へと成長していた。お袖は、強く恥じらい慌てて襟元を押さえる。だが、豊満な胸は隠しきれず、お袖は全員に背を向けて縮こまった。白い澱の力は、お袖にも強く作用していたのだ。
八太夫は、たちまちのうちに妙齢の美女に成長したお袖に呆然としていた。
「…、あっ!ああ…」
間の抜けた拍子で間の抜けた声を漏らした八太夫を首を傾げながら十寸と封が見上げていた。
いつの間にか、空が白々と明けようとしている。陣屋の火事は収まっていた。立ち昇る薄い霧に煙が混じって流れていく。
「ひとまず、お嬢ちゃんを連れて戻らんとのう」
八太夫自身、事態の変化に気持ちや考えがついていかない。疲れも溜まったまま、庄屋に向かった。
表は、下役人が一人立っていた。お楓を起こし訳を話すと、裏の杉林から半壊した離れのそばを周りこむ。母屋の床下を覗くと、果たして縮こまって眠る庄屋がいた。
「父様…」「しっ」
◯鳥の声
お楓は、離れが倒壊した時に損壊した母屋の雨戸の隙間から中に入った。昨日の騒動のためか、まだ起き出す者はおらず、あたりはしんとしている。
お楓は、殊更に昨日と違う色目の着物に着替えると、着物を二着持って八太夫らのもとに戻った。
「それぐらい違うたらよろしいですやろ。ほな、旦那のそばにおってもらえますか。後は言うとったように…」
「はい……。これ、お袖の着換え。それと封ちゃんにも着てもろて」
お袖は、改めて自分が着ている着物を見た。脇腹近くに裂け目が残り、そこから下は血まみれで、どす黒く乾いている。また、身長が伸びて丈が合わなくなり、膝が露わになっていた。
八太夫が、考えた筋書きは以下のようなものだ。
原因不明の納屋の倒壊と爆発に巻き込まれて、老猟師とお袖は死亡。遺体は焼失。陣屋に連れていかれたはずのお楓は、離れで瑞雲の前に連れてこられた時から、誰か得体のしれない山怪がすり替わっており、深夜の火災時に、奇声を上げながら、表門と長屋造りの塀の熨斗瓦の上を駆け抜け、南側の断崖から落ちて消えた。
八太夫は、今回の一件をこの里に稀に起こる怪異の一つにしようと考えたのだ。
お楓には、お袖に連れ出された直後から記憶がないふりをするよう、また、庄屋にも瑞雲に理不尽な目に合って以降の記憶がないふりをさせるよう頼んだ。また、瑞雲の暴虐ぶりを訴えることも付け加えた。
「わしらは、幸い探索されにくうなります。このまま十寸らと行きますで」
お楓は、お袖と抱き合い声を抑えて泣いた。鳥の声が徐々に大きくなる。長い夜が明けた。
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