第25話 楓と封

「お…、おふうさま?」

 石壁に月明かりが反射して届くわずかな濃淡の世界でお袖が意識を取り戻した。

「お袖、お袖ぇお袖ぇ」と、お楓はお袖の胸にしがみつき、泣き臥した。お袖も事態が脳裏によみがえり、ぼろぼろと泣き出した。

「う、うちは取り返しのつかんことを……、お、お、お許しを、いえ、うちは許されんことを……」

「ど、どういうこっちゃ。話してみ」

 お袖は促されるままに、瑞雲に優しく扱われ、褒められ、宇治についてこい、自分についてこいと誘惑され、体も許し言いなりになっていたことを明かした。また、庄屋が離れで縛り上げられているところに、お楓を連れてくるよう命じられて、自分が赤ん坊のころから世話をしてきたお楓を裏切る真似をしようとしていたことを白状した。

「ええっ、そしたら、父様は!」

 お楓が驚きの声を上げた。老猟師も目を閉じて、口惜しい思いで、歯ぎしりをした。お袖も後悔の念で一杯になり、ぼろぼろと涙を溢れさせた。

 十寸が、ふわりと浮かび上がり、お楓の肩に降りた。

「大丈夫や」

 慰めなどではない、毅然とした十寸の言葉に、三人は驚きの声をあげた。

「えっ」

「おじいが瑞雲を縁に寄せて、封が石を撃ち込む前に、全部解いて逃がした。母屋の床下でじっとしとけ言うた」

「おお、べっちょ(別状)ないんか、生きとるんか」

「うん」

 三人は、それぞれに救われた気持ちで一杯になった。それぞれに安堵のため息をついた。

「けど、十寸ちゃん、『ふう』って。うち石なんかよう撃たへんで」

「それ、うちのこと」

 全員が牢の格子の方を振り向くと、わずかな石壁からの光に半身を反射させて封が立っていた。


 封が牢の前に立っている。横顔にわずかな光があたり美しい顔が浮き上がる。艶のある裸体がぼんやり輝いているようにさえ見えた。長い真っ直ぐな緑の黒髪も艶やかに光っている。神々しいほどの様子にお楓やお袖はうっとりと見惚れてしまった。

「待ちきれんで来た」

 あっけない庶民的な話し方に、神秘さが打ち消されたようで、お楓とお袖は気をそがれ、小さく笑った。

「おまえ空で待っとれ言うたやろ」と十寸が返す。

「いつまでもかかるからや」と封が応酬した。

 まるで兄弟喧嘩だと、三人は苦笑いした。老猟師は二人をなだめ、ここが陣屋であることや上に誰もいなかったかを確かめた。

「子供と、死にかけやと思うて油断しとるな。じゃがあの弓の手練れや、瑞雲も陣屋におるに違いない。この体で見つかってしもうたら、余計に追われ続けるだけじゃ」

 老猟師は、思案を巡らせた。


「あの…、十寸ちゃんのお友達?」と、お楓が訊く。お袖も瀕死の状態から蘇ったこともあり、目の前に現れた十寸や封の姿に既に驚き疲れている。

「俺の家族。封」

 短く十寸が答える。老猟師は、意を決して、二人に話し出した。

「もう一人おってのう。この子ぉらが、瑞雲の探しとる秘薬の正体なんや。わしやお袖ちゃんが助かった澱を作れるんや。けど、瑞雲は自分の欲のためだけに、この子ぉらを閉じ込めて澱作らせようとしとる。どないしても逃がしてやりとうてのう。ほんまは、この子ぉらは、わしらとは違う、全然違うとこで暮らしとった生きもんなんや」

 お袖は、しばらく理解が追いつかない顔をしていたが、やがて、大きく頷いた。


〇妙案

「なんとか、わしらとお袖ちゃんは雲隠れする。お嬢ちゃんは、旦那のとこへ戻れるようせんとならん」

 老猟師は、しばらく考えをめぐらしていたが、妙案は浮かばなかった。

「こないしてても、夜が明けたらどうにもならん。まずは逃げ出す算段…」と言って顔を上げ振り向くと、お楓が脱いだままになっていた着物に興味深そうに袖を通している封が目に入った。

「あ、うちの着物」

「お、お前は何をしとるんじゃ」

 老猟師は、緊張感をはぐらかされたような少し呆れた気持ちで言った。

「うちも、十寸みたいに着物欲しい」

 封は、指先で袖をつまんでくるりと楽し気に回ってみせた。お楓は、この初めて見た神々しい少女が少し身近な存在に思えて、微笑んだ。

「うん、また合う着物あげるよ」と言いながらお楓は立ち上がり、封に帯を締めてやった。二人の背丈は、お楓が少し高い位で、振り分け髪なところなどどことなく似てはいる。

「はっ」

 老猟師にある考えが浮かんだ。

「封、お前の飛嚢は、どのくらい丈夫なんや」


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