第23話 地下牢

〇月が南中する時

 十寸と封は、木々の頂上辺りを飛び、陣屋に三人が連れていかれるところを確認した。

 やがて月が南中を迎えた。十寸の銛が鈍く反射している。

 二人は一旦里と陣屋の間にある川に降りた。月の光を受けて、岩に跳ねる水しぶきがほんのわずかな光を反射している。小さな二つの影が水辺に近づく。

 ごくりごくりと十寸と封が水を飲む。封の両胸が豊満になっていく。一方、十寸は、量は飲めない。

 封は、緊張した面持ちで十寸を抱き上げた。十寸も、決意に満ちた顔で封を見つめて言った。

「おじい助けるで」

 封は、にこりと微笑んだ。軽くいきむと肩甲骨の間に当たる部分がぱくりと開き、一気に飛嚢をいっぱいに膨らませた。十寸のそれとは桁外れに大きな逆三角錐が八つ膨らみ、一つの大きな逆三角錐を形作った。同時に一瞬で二人は、夜空高く舞い上がった。

 薄い雲が掛かっている。封は雲の上にいた。封の緑白色の裸体と逆三角錐が、月光を受けて輝いている。大きな三角形の影が、雲に落ちている。

「待っとってくれ」

 十寸の言葉に、封は少しだけ不服そうな顔をしたが、小さく頷いた。

 封の細い指からこぼれるように、十寸が、飛び降りた。わずか一尺の体にぴったりと銛を握って、落下してゆく。ほぼ無音で、十寸は陣屋の大屋根の直上に迫り、自らの飛嚢を一気に膨らませた。

 一瞬で十寸の落下が止まり、陣屋の大屋根に音もなく着地した。煙出しの格子から天井を伝い、陣屋の部屋を巡った。

「おじい……、楓……、いない」

 十寸は、地下牢などというものの存在を知らない。一部屋ずつ調べた挙句、見張りの役人達の目を盗んで地下牢に辿り着くころにはほとんどの水分を使い果たしていた。


〇涙の力

 暗い地下牢は、冷たく、お楓は小さな体を強張らせて、恐怖と寒さに震えていた。

「ぼとり」

 突然、小さな塊が牢の前に落ちてきた。

 楓の体がびくりと震える。振り向いた格子の外には、湿気で鈍く月の光を反射している石壁を背にして、よろりと小さな影が立ち上がった。

「ま……、そちゃん……」

 楓は凍えた体が強張り、微かな声しか出なかった。十寸は、格子の隙間を抜け、楓に飛びついた。

「俺が……助けたる。助けたるぞ」

 冷え切った楓の体には、小さな十寸の体ですら暖かく感じられた。十寸の体をそっと抱き締めて、楓は声を殺して泣いた。大粒の涙が溢れ出る。

「楓の涙……、俺にくれ」

「えっ?」

「楓の涙が力になるんや」

 十寸は、楓の涙に口をつけ、飲み込んだ。両目に溢れる涙を交互に飲む。

「待っとれ。おじいと逃げる」

 十寸は、涙の水分で再び浮かび上がった。

 隣の牢には、既に虫の息のお袖が転がっていた。ぐったりと冷たくなっている。十寸は、目を逸らすと老猟師の牢に辿り着いた。

「お、おじい」

 老猟師は、両足の付根に布をきつく巻かれ、血は止まっていた。だが、長時間の止血で足先は青黒く変色している。

 十寸は、鋭く尖った銛の切っ先で布を切り裂いた。後ろ手に縛られた縄も切り解く。

 縛めが解かれ、老猟師は意識を取り戻した。

「ま、十寸」

 老猟師の右目が十寸を見つける。十寸は小さく頷く。

「わ、わしはもうあかん。ほって逃げ…」

「楓が閉じ込められてる。どうやって助ける」

「こ、こんなところに子供を……」

 老猟師は言葉を詰まらせた。老猟師の心に、申し訳なさと、悲しみ、そして、両足を射られて、身動きがとれない自分に激しい悔しさが沸き上がった。

「十寸…、すまん。こんな体、どうにもならん」

 老猟師の目から涙が滲んだ。十寸が再び涙に口をつける。

「おじい、もう楓に返事したんや」

「ま…、十寸…」

 老猟師は、再び力なく目を閉じた。十寸は、じっとその姿を強い目で見つめた。

「すぐ…、戻る」

 十寸は、一気に息を吹き込み、後ろから息を噴き出して、地下牢を飛び出そうとした。

 階段にゆらりと光るものが動いた。十寸は慌てて、地下牢の天井近くに飛び上がった。梁に掴まると身を隠す。牢番が様子を見に降りてきたのだ。

「なんやぶつぶつ話しとったみたいやけどな……」と言いながら、階段をぎしぎし音をさせて降りてくる。

「やめとけ。気色悪いだけや」ともう一人の声がする。

 燭台の火を翳しながら、牢番が牢屋を一つひとつ見て回る。一番奥の老猟師の牢の前に来て覗き込む。

 老猟師は、身動き一つせず、薄目を開けてその様子を眺めていた。

 牢番の背後に音もなく、十寸が飛嚢を膨らませながら降りてくる。ちょうど腰の真後ろに漂う。梁の埃が音もなく落ちた。

「ふわっ!、なんやもう…」。振り向きながら、牢番はこぼすと、だらだらと階段に戻っていく。十寸はその帯に掴まって、くっついていった。


 お楓もその様子を覆った手の隙間から覗き見ていた。十寸が小さな手を振っている。お楓も指先だけ少し振り返した。


「どないや」

「べっちょない」

「ほやろが、わざわざ……」

 声が遠ざかっていく。

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