第21話 大石落とし

 瑞雲は、優しくお袖をかかえ、起き上がらせると、少し乱れた髪やねじり上げた肩のあたりをことさらに優しく撫でた。半ば抱き上げるようにして縁に連れ出すと、耳元で囁く。

「よくやった。よくやったのう。痛かったであろう。幾重にも詫びねばならん。これもお前が庄屋に疑われぬためなのだ。最後まで私に脅され、服従させられたふりをすれば晴れてお前を連れてゆけよう……。わかっておるのう。やり遂げるのだ」

 瑞雲は、お袖をしっかりと抱きしめた。お袖はうっとりとされるがままになっていた。

 瑞雲は余韻を残して手を解き、次の命令を与えた。


〇悔いと恋の涙

 お袖は、奥の間に向かった。そこでは、女将やほかの女奉公人とお楓が、身の回りのものを大小の行李に詰めていた。縁側の襖が開いている。お袖はそこに膝をついた。

「お、女将さん、あの…、瑞雲様と旦那様が、お楓さんを連れてこいっちゅうて」

 そこにいる全員の顔が曇り、女将は、持っていたものを傍らの奉公人に渡し、立ち上がろうとした。

「あ、誰も離れに来さしたらあかんっちゅうて。きつう言われとってぇ。なんか、誰の口からおかしな噂になってもかなんっちわれました」

 お袖は、誰にも目を合わせず、俯いて話した。また、右手でねじられた左肩を何度も撫でさすった。

「お袖、なんかあったんか」と、女将が訊く。

「へ、へぇ。瑞雲様にえろうきつうお叱り受けまして。ほなお楓さんお連れします」

 お袖は、瑞雲に言われた通りやり、そこにいる奉公人達の表情を見て、初めてどういう狙いがあったのか気づいた。ここのところ、瑞雲の世話を冷やかされ、浮かれているとも言われていた。庄屋一家の敵側についたようにそしる者もいる中、瑞雲の手先のように、お楓を連れて行こうとしている。そんな中自分が責めを受けて酷使されているようにすれば、誰も瑞雲に逆らわず、また、自分は同情される。人を敵に回さず、瑞雲が思うようにことを進めることができるのだ。

 瑞雲の意に従うことは、これまで長年世話になった庄屋や奉公人仲間を裏切ることになる。お袖には強い葛藤が湧いていたが、すべては、愛しい男について宇治の公家に入るためであった。

 心配げについてこようとする女将を、「怪我をするから」と押しとどめて、お袖はお楓の手を引いていった。

「お袖、大丈夫?」

 お楓も、心配な顔でお袖を見上げた。お袖は、後ろめたさに涙を溢れさせていたのだ。これから連れて行く離れには、父親が縛られ、口や目をふさがれている。そのような酷いところに連れて行こうとしている自分に激しい罪悪感が湧き溢れていたのだ。

「すんまへん、すんまへん」

お袖にももう後がなかった。


◯百貫落とし

 離れの植え込みの中には、お袖が庄屋を呼びにいく前から、老猟師、十寸、そして封が潜んでいた。

 十寸は瑞雲が、

「娘をここに…」と言った瞬間、飛び出そうとしたが、老猟師に抱きとめられた。

「いかん、お前らは上からしか銛打ちできんやろ。わざと屋根の下におるんや」

「そ……、そしたら!」

 十寸が歯ぎしりをしている。

「わ……わしももう許せん。ええか……」

 老猟師は、十寸と封に、一計を授けた。

 お袖が、涙を拭き拭きお楓を瑞雲のもとへ連れてゆく。

「瑞雲様…」と言いながら、お袖が障子を開けた時だった。

「お嬢様!」と老猟師が叫び、飛び出した。

 思わず二人が振り返った刹那、老猟師は、二人を両肩に担ぎ、飛び下がった。

「おおっ!」

 瑞雲は驚き、思わず縁に飛び出した。

「ははっ!出たな山猟師」

 瑞雲は護摩刀を抜こうとした。

 その瞬間、轟音とともに離れの屋根と天井を突き破って、大きな石塊が落ちてきた。石の塊は、封が上空から撃ち込んだものだった。もうもうと土煙が舞う。

 瑞雲は、庭に転がり、きっと空を見上げた。そこには、遥か上空に浮かぶ白い多角形が今しも暮れようとする西日を片側にだけ受けて、まるで半月のように輝いている。瑞雲は、思わず腰が抜けたように呆然と尻をついた。

「な、なんだあれは。あんなところから狙ったというのか…」

 瑞雲にとって、初めてこの目で見るものである。逃げることも忘れ呆気にとられていると、背後から近づいた老猟師に、腰の護摩刀を抜かれ、首元に突きつけられた。

「旦那や役人、女子供までたぶらかしよって。もう勘弁できん。おのれだけは、許さんぞ!」

「だまれ、あれは我が坊城家のもの。正しく使ってこそ天下国家の役に立つ。独り占めなどもってのほか」

「己が懐、肥やそっちゅう汚い腹は見えとんねや。往生せえ!」

 老猟師は、護摩刀を持つ腕に力を込めた。

 その時、

「瑞雲様!」

 お袖が、老猟師と瑞雲の間に飛び込んできた。

 思わず刀を引く老猟師に一瞬の隙ができた。


 瑞雲はニヤリと笑い、体を沈めると同時に懐に持った小刀を抜き、老猟師に向けて一気に突き上げた。

「はうっ」

 お袖の体が、わずかに持ち上がった。お袖は、何が起こったのか分からない顔で瑞雲を見た。パクパクと口が動くが、声にならない。

 やがて、その顔は苦痛で歪み、真っ青になって、ぐったりとその場に崩れた。

「お、お袖ちゃん」

 思わず老猟師は、お袖の体を抱き起こそうとする。

 瑞雲は、お袖の体で死角になった真下から、小刀を引き抜き老猟師の脇腹めがけて突き上げた。小刀は、老猟師の無防備な脇腹を浅く突いていた。

「っぐ!」と小さく呻いて、老猟師は、飛び退いた。

 瑞雲は、その機を逃さず、大量に出血するお袖を盾代わりにしたまま、老猟師に向かって突き飛ばした。

 老猟師が、お袖を受け止めようと思わず膝を落とす。再びお袖の体を影にして、瑞雲は小刀で斬り込んだ。


 その切っ先が、お袖を抱きとめた老猟師の腕に刺さろうとした瞬間、

「ブッ」

 瑞雲の右手の甲を十寸の銛が貫き、そのまま真下の右太腿に突き刺さった。小刀が地面に落ち、瑞雲はその場に崩れた。

 瑞雲は、地面に転がりながら、銛が飛んできた上空を見上げた。そこには、先ほどの半月よりもっと小さな白い三角形が浮かんでいる。それは、次の銛を構えた十寸だった。

「一匹ではないのか!」

 瑞雲が十寸に注意を向けた隙に、老猟師はお袖を地面に寝かせ、体を変えて立ち上がり、瑞雲に斬りかかろうとした。その瞬間、

「ぶっ、ぶっ」

 老猟師の左右の太腿に矢が命中した。

 離れの庭からはぐるりと母屋に続く通り庭があり、外側は板塀に囲まれている。庄屋の大戸の庇が深く伸び板塀が切れてわずかに表通りから見えるところがあった。梅本は、二十間以上の距離から二本の矢を立て続けに射て、老猟師の足に命中させたのだ。

「お、お見事!」

 瑞雲は、転がるようにその場を逃れ、梅本の方に後ずさりする。梅本は、弓矢を構えたまま、庇の下を回り込んで瑞雲のそばに近づいた。

 老猟師は、護摩刀を落とし、がくりと膝をついた。足に刺さった矢を引き抜く。血が溢れ出し、苦痛に顔が歪んだ。

「に、逃げよ、十寸!」と叫ぶと、老猟師はその場に崩れた。

 離れの破壊時の轟音に気づいた里の者や、小泉、三浦らが集まってくる。

「いかん、上には敵がいるぞ」


 梅本が大声を出すが、実際に上空からの攻撃などその目で見たことのない小泉、三浦は、屋根や庭木の枝辺りを確認しながら、刀を抜き、老猟師を取り押さえた。その様子を見て、梅本はそろそろと庇の下から出て、空を見渡し、

「おらん。本当に逃げたと見えますな」と言った。


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