第19話 手練手管

〇老猟師と十寸の思い

 翡翠色の光に満たされた洞穴では、切り溝から流れ出る水が、小さく軽やかな音を立てている。

「……下っていった。もうおらん」

 ソが傍受した会話を聞いて、老猟師は顔色を失っていた。庄屋と家族の身に何かが起ころうとしている。

「す、すんまへん……、旦那」と、老猟師は項垂れた。銛と生首の話、そして庄屋を責めつければ、やがて十寸のことを話してしまうかも知れない。その存在が確かなものになれば、大掛かりな山狩りに至るかも知れず、一刻も早く逃げねばならない。一方で唯一の友人であり、世話になってきた庄屋のことが強い気がかりになっていた。ただそれが瑞雲の思惑であることも頭では理解できていた。

「ガシャ」

 老猟師の背後で、小さな金属音がした。振り向くと、十寸が自身の銛を二本持ち上げていた。

「どないしたんや」

「楓、見てくる」

 老猟師が庄屋を案じていたように、十寸は十寸で唯一の友人であり世話になってきた楓のことを強く案じていたのだ。

 老猟師は、迷った。庄屋親子の話が事実かどうかも定かではない。確かめに行くことが、罠ともわかっている。一方で十寸の心情は自分のそれと酷似して軽んじることもできない。十寸を引き留めることは自分を説得することにも思えた。

 老猟師は、深く頷き、

「よっしゃ」と、言った。老猟師が、残り三本の十寸の銛を拾い上げようとした時、それを封が制し、自らが一纏めに掴み上げ、

「うちも、楓、見てくる」と言い、先頭に立って水に入り始めた。

「お、おまえのは意味が違うやろう」と、呆れ顔になった老猟師に封は振り向き、

「うちの銛は置いていく。うちも見たい」と言った。


〇餓鬼が棲む家

 瑞雲は、野鍛冶勘助を連れて道を下った。入らずの山を出て、更に途中に登りでは気づかなかった分かれ道があった。老猟師のもといた家に繋がる細道だった。

「こちらの道は、案内された記憶がない」

 瑞雲が、慎重に道を進むとほどなく、萱葺き屋根が見えてきた。周囲に人の気配はないが、草にまみれてもいない。人が定期的に手を入れていることが伺えた。また、新しい足跡が屋内に及んでいる。手付達が踏み込んだ跡に間違いなかった。

「そうか、ここが山猟師の住んでいた家……」と、瑞雲が呟いた時、勘助が小さな声をあげた。

「ま……まさか」

 勘助は、震えながら家を飛び出し、庭に廻った。

「いかがした」

「こ、ここは、血まみれの生首と、餓鬼がおった家!」

 勘助は、ぐらりと腰砕けになって、その場に崩れ、真っ青になって這いずるように逃げようとした。

「待たんか!くぅ、どういうことだ」

 瑞雲は、勘助の後ろ襟を掴むとそのまま引きずってその場に据えた。こまごまとその時の状況を思い出させ、様子を見た位置から見た目の大きさを特定した。

「どうやら間違いないな」

「そしたら、山猟師はんは、ほんもんの餓鬼!」

「愚か者!そちらは見当違いじゃ」

 瑞雲は、生首ほどの浮くものがいた形跡がないか探し始めた。人が入れない隙間やちょっとした物陰や棚の上を覗き込んだ。


「ん、これは、足跡か」

 粗末な家ながら、押入れ代わりの納戸のようなところに棚がこしらえてある。その最も上の、埃が被ったところに点々と一寸にも満たない足跡が残っている。それは棚板の端で消え、少し離れたところからまた始まっている。

「この距離を飛んだのだ」

 瑞雲は、納戸の棚に足を掛け、鴨居に手を掛け、天井裏を覗く。そこにもいくつかの足跡があった。瑞雲は、埃だらけになりながら、梁に登り、そこでも、煙出しへと続く足跡が見つかった。

「う……む、間違いない」

 瑞雲は、勘助を急き立てるように山を下った。


〇甘言蜜語の罠

 瑞雲は、里に戻る途中手付の三浦に行き合った。

「御家中一の弓の名手をお貸し頂きたい。また、庄屋の娘のお屋敷入りでござるが、明日にとお伝え下され」

 三浦と別れると、瑞雲達は庄屋に戻った。離れの井戸で手足を洗っていると、お袖が手伝いに来た。瑞雲は、勘助を下がらせると、

「うむ、いつもすまんな」と、わざと顔を見て笑顔を作った。お袖は少し顔を赤らめながらも沈鬱な顔で瑞雲が脱いだものを受け取った。

「いかがした。様子が違うな」

 瑞雲は、お袖を見上げるように覗き込んだ。お袖は、少し頬を染めると背中を向けた。

「お楓さまはまだ八つやのに、あんな急に行儀見習いに出せぇて、えらいお辛いこと。旦那様も女将さんも泣いておられました。うちかて……」

「そうなのか」

 瑞雲は、あえて行儀見習いのことを詳しく知らないようなふりをした。

「えっ」と、お袖が振り向く。

「塩田殿が、庄屋の負担を下げ、娘の行く末にご配慮をされてのことと聞いておるぞ。また私は、お袖がお役目を失くして庄屋から家に返されてしまうのを案じて、私の世話係に是非と頼んだのだが、それも不満か」

 瑞雲は、巧みに話をお袖の話題にすり替えた。純朴な少女はそんなことに気付かなかった。

「ええっ、うちを案じて」

 お袖が言い終わらぬうちに、体自体をお袖に向け、真正面からお袖をじっと見上げる。

「おうそうじゃ。いや、なにより、お前は豆に働き、仕事が丁寧じゃ。なによりお前に盛ってもらった飯は格別に美味いからのう」

 お袖は、反射的に体の向きを変えたがそのままの位置で頬を染め俯いた。瑞雲は、一瞬「にっ」と笑って真顔に戻り、声を潜めて続けた。声が小さくなり無意識にお袖も耳を傾ける。

「この件が片付いたら、私は宇治に戻る。お前も行儀見習いに我が屋敷についてきてはどうじゃ」

「う、うちが、お武家のお屋敷に」とお袖が、思わず聞き返そうとした時、瑞雲はお袖の手を取り、ぐっと引き寄せた。柔らかく抱きしめてお袖の耳元に囁く。

「武家ではない。格は低いが、当家は公家じゃ」

「お公家様!……」「しっ」

 瑞雲は、そっと手を緩めて耳元で続けた。

「このことは奉公先、親兄弟、誰にも口外無用じゃ。言えば無用の妬みや嫉みとなり見苦しき争いの末、二人で宇治の屋敷に行けなくなる。二人だけの秘密じゃ。わかったのう」

 お袖は真っ赤な顔をして、小さく頷いた。瑞雲は、年端も行かぬ少女を甘い罠にかけてしまった。これも一族に伝えられた、小者を懐柔しあしらう手練手管だった。

 それからおよそ半時後、お袖は小走りで母屋に戻っていった。

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