第15話 剣戟(けんげき)・錫杖隠れ

「ちょ、ちょっとこれは、どない……」と、おろおろしながら庄屋が訊く。庄屋の傍に控えた数名の奉公人やお袖が後ずさりする。

「最初から、どうも頭に引っかかっておったのだ。お主が何か訳知りであれば合点がいく。ふふ、ヒノシシ、多々羅雉は、よく知らんとは言うくせに、その実、『生首封じ』の武器も知るほどの事情通でありながら、生首のことは一言も触れずであったろう。続きは、お主の口から聞きたい!『旅の行者』とは、兄上のことか!!」

 錫杖の先が、乾いた金属音を立てた。

「ひっ捕らえろ!」と、小泉も叫ぶ。梅本が正面から老猟師に掴みかかった。梅本は、右手に提灯を持ったままの年寄りなど簡単に身動きを封じられると思った。梅本は、老猟師の左肩と左腕を掴もうとした。老猟師は、左腕を掴ませたまま、左足を梅本の股間に滑らせ、左斜めに体を沈めながら梅本を前のめりにさせると、そのまま自らの頭突きを梅本の鼻の下、人中と呼ばれる急所に打ち込んだ。

「げふ」と、微かな声をあげて、梅本は弾かれるように真後ろに倒れた。周りには、梅本が老猟師を引き倒そうとして、勝手に顔を頭にぶつけて昏倒したように見えた。老猟師にとって、これはほとんど条件反射のようなものだった。

「梅本!」

 梅本は、顔を両手で押さえながら、その場で全身を震わせ、転がったままになっている。

「ちっ!」と小泉は歯を剥くと、刀を抜いた。その刀が正眼の構えとなり、左手が柄を握る直前、老猟師は、右手に持っていた提灯を小泉の顔めがけて投げた。小泉から見て、左下から切先の手前を越えて顔に提灯が飛んでくる。小泉は、思わず上半身を反らし、左手で提灯を払いのけた。小泉の視界は一瞬提灯の明かりで一杯になって、それを払う自分の動きで、視線は顔ごと左に動いた。その間に老猟師は、小泉の右下に回り込み、両足の間に背後から右足を滑り込ませ、腰に乗せて左手で後奥襟を掴み、後ろに引き倒した。受け身を取れぬ体勢のまま、後頭部を打ち付けるところ、小泉は左手を強く引き、浮かされた体を強引に左向きにねじり、そのまま右手に持っていた刀を振り抜いた。

 老猟師から見て、体をねじって転がる小泉の真下から刀が振り上げられてくる。老猟師は、そのまま真後ろに体勢を崩した。そこに瑞雲が、錫杖を打ち込んだ。老猟師は、右に転がり錫杖をよけた。瑞雲のニ撃目が撃ち込まれる。さらに老猟師は、右に転がり、今度は体を右にねじったところで強く反転し、錫杖の上に体がのしかかるように動いた。錫杖に重みがかかり、瑞雲は、反射的に踏ん張る。老猟師は、その錫杖を両手で抱えるように掴むと、強く反動をつけて両足で瑞雲の前腕を思い切り突き上げた。

「つぁ」と、声をあげ、瑞雲は錫杖を奪われた。よろけた瑞雲が体勢を整ている間に、老猟師は、真上に蹴り上げた勢いで、ふわりと立ち上がった。瞬く間の立ち合いで、小泉も倒れ、瑞雲は錫杖を奪われたのだ。

「や、山猟師、貴様!何者だ!」

 瑞雲は、護摩刀を抜き、八相の構えをとってじわりと近づいた。老猟師は、錫杖を中段に構える。

「つ、強い。お侍が二人瞬く間に……」と庄屋が呟いた。鉄砲を手放してから急に穏やかになり、今では村入りし、堂守として里の者にも馴染んできているが、生来気が荒く喧嘩になれば、いや、喧嘩にならぬほど一瞬で勝負をつけてしまう。長い年月の数々の場面が思い起こされた。そんな八太夫が穏やかになったのは、すべてあの一尺ばかりの小さな子供を世話するようになってからだ。

 ここまで考えて庄屋は、「あ」と小さな声をあげた。今目の前で行われていることが少し繋がったような気がしたのだ。


「たまげもしますな。これは、十寸と書いて『ますみ』だか『まそ』っちゅうて山の精気が長けたもんらしぃて。しばらく前に旅の行者が見えられて、言うてられました」


「あぁ、それで合点が。…雉ならなんとか。ただ一つ、十寸のことだけは、一切他言は無用に願います」

 あの子供が、瑞雲の求めるものに関わるのではないかと庄屋は考えた。また、この瑞雲に老猟師を関わらせてしまったことが強い後悔になった。

「の…野鍛冶には、てんごで(からかって)、言うただけじゃ」

 老猟師は、あの時の軽い噓を後悔しながら、この場を乗り切るための言い訳を必死に考えていた。

「嘘をつけい!鍛冶屋!申してみよ。山猟師は、ほかに何を言うておったのじゃ」

「へ、へえ。全部で五本作れて。そんだけ打ったげましたで」

 野鍛冶の勘助が答える。瑞雲はほくそ笑み、老猟師は唇を噛んだ。

「からかうだけで、五本も打たせるものか。何に使こうた!どこで使こうた!白状せい!」

 瑞雲は、若武者らしく威勢よく言ったが、同時に、この老猟師が一尺の銛五本を隠し持ち、こちらに投げてくるかも知れないと考えた。小泉が起き上がる。梅本も後ずさりした後、よろよろと立ち上がって、瑞雲の両脇から老猟師を取り囲んだ。

 老猟師は、瑞雲らが錫杖の間合い以上に距離を開けることに気づいた。銛を恐れているのだ。中段の構えをじわりと横一文字にすると、右手をするりと懐に入れた。無論、銛は持っていない。そう見せかけたのだ。


 三人に取り囲まれて立ち合う場合、討ち果たすなら最も強い者を狙い、逃げるなら最も弱い者を狙う。前者は瑞雲であり、後者は梅本だった。

 老猟師は、左手に持った錫杖で梅本に打ちかかる振りをした。梅本が半歩引き、体を沈めて刀で錫杖を受けようとする。老猟師の体が梅本の方を向き、小泉に背を向ける格好になった。その背中に小泉が切りかかろうと刀を振りかぶった時、老猟師は、右手を懐から勢いよく振り抜き、銛を撃つと見せかけた。

 小泉は、最も振りかぶった状態から銛をかわす動作に入る。老猟師は、錫杖の先を梅本との間合いの半分辺りに突き立て、杖尻に飛び上がり、そこから一瞬で庄屋の屋根に飛び上がり、気配を消して、闇に隠れた。

 三人の中央に逆さになった錫杖だけが立っている。老猟師が一瞬で消えたようになり、そこにいた誰もが唖然とした。

 瑞雲は、大きく息を吐く。庄屋に向き直り、護摩刀を鞘に納めながら、

「ただの年寄りと油断いたした。庄屋殿には、あの男について詳しくお聞かせ頂かねばならんようだな」と、口調は穏やかながら強い殺気を抑えきれないままで言った。また、野鍛冶に老猟師に作ったものと同じものを拵えるように命令した。

 伊藤の屋敷への使いが出され、母屋で梅本と小泉の手当てが行われた。

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