第14話 井戸の生首

「へ、へえ」と、空の銚子を持って立ち上がったお袖だったが、障子を開けようとしたところで、小さく、

「あ」と声をあげ、心細げに三人を振り向いた。

「なんじゃ、早ういてこんか」と庄屋が言う。

 お袖は、もじもじとしながらも障子を開けられない様子だ。

「あ、あの、うち恐ろしゅうなってしもて……」

「ほな、ここはわしが」と老猟師が立ち上がった時、

「このお離れにまた生首がふらふら飛んできよったら、うちどないしよて思い出してしもて……」と怯えた調子で続けた。

「何。生首?そんなものも出るのか」

 瑞雲が、お袖を見上げた。

「お、お前のは寝ぼけただけや。瑞雲様どうもこれはまだまだ……」

 庄屋は、苦笑いを浮かべた。だが、瑞雲は、

「いや、聞くだけ聞かせてはもらえぬか」と、真剣な眼差しを返す。

「へ、へえ。そしたら、お袖、ほれ」

「へえ」と、お袖は障子際から少し離れると老猟師と共に座った。

「お離れの先の井戸から……、な、生首が浮かんできて……」

「それで」と瑞雲が、身を乗り出した。

「気い失のうてしもて……」とお袖は、俯いてしまう。これまでも奉公人の間で笑われてきた。瑞雲ら三人も顔を見合わせて、ちょっと苦笑いした。これまでの化物の話と違い、空気が和らいだようだった。

「さっきの井戸かな。どんな首じゃ」

 瑞雲は、少しお袖の話につきあってやろうと思った。が、お袖の顔は青ざめ小刻みに震えている。

「ほっかむりしとって、どんな顔かはぼんやりでえ。せやけど、首から血がぼたぼたあって」

 お袖は、口元を覆い、また俯いた。

 瑞雲は、すっと立ち上がり、障子を開けた。日はちょうど暮れ、夕闇にぼんやりと井戸屋形が見える。

「この里は、山の谷間で日暮れも早い。こちらの離れは西向きだが、谷を挟んですぐに山。夜に入ればなおのこと。頬かむりに血の滴り、なぜそんなにはっきり見えたのだろうのう」と瑞雲は、お袖の方を振り向いた。

 庄屋は、年端もゆかない小娘の寝ぼけた話と思っていたが、瑞雲がかなり現実的にお袖の言い分を捉えようとしてやっていることに感心した。老猟師は、またこれが何かの手がかりに繋がるのではないかと危惧の念を強めた。

「あ!、お、お月さんでとった!うち、お楓さんの看病で女将さんについとって、縁の柱にもたれて居眠り……、月に照らされて手拭いが見えとったんですうう!」

 お袖は、初めて自分の言い分に拠り所があったように思えて、少し笑顔を見せた。

「あ、そ、それて、刈り入れの頃、うちの娘が病みつきよってこの離れに寝かしてた時のこと……、ああ確かに、『今宵あたりは居待月』言うてたな」と庄屋は、思わず老猟師の方を向いて言った。

「あ」と、老猟師は小さく声をあげた。庄屋が、病床の楓に十寸を見せてやってほしいと頼みに来た夜のことだ。十寸に繋がる話が庄屋の口から出てしまうのではないか。老猟師は一瞬青ざめたが、

「ああ、あの時の」と、動揺を気づかれぬようゆっくりと言葉を返した。

 瑞雲は、少し眉をひそめて老猟師を見た。継いで、庄屋に視線を移して口を開いた。

「なにか月の出を待たれておったのか」

 庄屋は当たり前のように、

「八太夫の家に提灯も持たんと行ってしまいましてな、月が昇るのを待っておりましたので」と、答えた。

 老猟師は、次に瑞雲が、

「なぜ子供が患っている時に、わざわざ山猟師の家に行ったのか」と訊くのではないかと、また、庄屋がうっかりと十寸のことまで話してしまうのではないかと、気が気ではなくなった。

 僅かな沈黙の後、瑞雲は、

「それで、次に目が覚めた時はどうじゃ」と、お袖に話を戻した。

 老猟師は、背中にぐっしょりと汗をかいていた。今後、庄屋や楓からどんな言葉が出るか分からない。一先ずは確実に十寸達を隠すこと、そして、早くどこかに逃がさねばならない。

 老猟師は、うわの空でその宴を過ごした。


〇錫杖隠れ

夜も更けて、老猟師が庄屋の提灯を借りて瑞雲を伊藤の屋敷に送ることになり、大戸から出て来たところ、

「おう、上手く行き会えたのう」と言いながら、暗闇から提灯を下げた武士が二人現れた。その後ろにずんぐりとした体躯の行商人風の男がついていた。

「これは、小泉様、梅本様。今、瑞雲様をこの八太夫に送らせようとしたところでございます」

 庄屋が慌てて数歩前に出る。

「いや、気にするな。ついでがあったまでのことじゃ。それ、この男、日も暮れて山中から現れ出で、里に入らんとした故捕まえたが、以前も迷うて近くの山で死ぬような思いをしたとか申し、こちらの庄屋も見知りとか。あながち嘘でもなさそうじゃ。我らの屋敷に泊め置くわけにもいかず、瑞雲殿の迎えがてら、お主に預けることにしたのじゃ」

 小泉は説明をすると、その男に前に出るよう促した。男は、ずんぐりした体をぺこぺこさせながら進み出る。

「おお、あんたは鍛冶屋の……、勘助やったかな」

「旦那、覚えて下さってましたか。これで一安心や。このまま野宿で、また生首のバケモンにおうたらどないしょうて思うてましたんや」

 老猟師は、はっとした。確か、十寸に使わせる銛をこの野鍛冶に打たせたのだ。瑞雲は、その様子を見逃さなかった。勘助と老猟師の顔をあからさまに見比べると、

「今の生首の話、面白そうだのう。よければ聞かせらもらおうか」と、言った。

「どなたはんでっか」と勘助が聞き返す。

「私は、石宬瑞雲と申す修行の者。つい先刻、生首が漂う話も聞いたばかりでな」

 勘助は、頷きながら小泉らの顔を見る。

「ん?ふん。申せ」

 小泉の許しを得て勘助は、木津川から迷い込み、入らずの山で囲炉裏端に浮かぶ生首と、囃し立てる餓鬼を見たことを述べた。言い終えて顔を上げた時、老猟師の顔を見て、

「そや、あのあとあんたの『生首封じ』でようけ儲けさせてもらいましたんや。ほら、出まかせちゃいます。この里ではお世話になりましたんや……」と勘助は、自分の身元を明らかにするつもりだったが、この一言に、瑞雲は強い反応を示した。瑞雲は、老猟師に向き直り、錫杖を握り直して、勘助に訊いた。

「その『生首封じ』とは?」

「へ、へえ、一尺の大針、返しのついた銛が欲しいて言うてきはりましたんです。『これを囲炉裏の灰に刺しといたら、生首が怖れて寄って来んて…、旅の行者が…持っとったんや』言うて……」

「山猟師!!」

 瑞雲は、体をずらすと錫杖を老猟師の喉元に突き付けた。それを見た小泉、梅本も、老猟師を取り囲むと、刀の鍔に手を掛け、そっと脇に提灯を置いた。


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