第13話 ヒノシシ・多々羅雉

「はじめは、里中に響くような猪の叫び声やったと。ほんだら次は入らずの山に聞いたことない見たことないような、爆発と煙で、みんな腰抜かしたっちゅうて」

「爆発に煙……、聞いてはおらんが、そんなことも起こすのか」と、瑞雲は思わず溢した。老猟師は、箸を置き、畏まって二人の話を聞いている。お袖まで手を止め話を聞きだした。

「そこから、杉の木ほどの火柱を上げながら、一気に駆け下って来ましたんやそうで。そのまま真っ直ぐやと里の真ん中、燃やされてしまうと思うたら、大岩様が、そのヒノシシをがっぷり受け止めて下さいましたんや」

「そ……、それで」

「ところが、ヒノシシの勢いを完全に止めることはでけなんだ。どーんと受けて二度ほど突き出しくろうたみたいに飛ばされたんやが、ちょっと下がってはがっぷりに組み打っていかれましてな、最後は左にいなされてしまわれたと言われております」

「おおっ、なるほど!大岩には確かに溶けたような面があったが、それゆえおかしな向きになっておったのか!これで岩の合点がいった」

 庄屋は瑞雲がこの話にもっと驚くと思っていたが、「合点がいった」という反応に妙なものを感じた。老猟師は、瑞雲がまだまだ多くの知識の中から当て嵌めようとしていることに気づいた。この若山伏はこの場でも秘薬のことばかり考えているに違いない。

「ヒノシシについてはそこで死に申したか」と、瑞雲は話の続きを促した。

「は、はあ、それが、大岩様のおかげで里からそれましたもんの、田起こし真っ最中の牛の横っ腹に突っ込んでもうて、牛ごとその場で燃え尽きたと言われております」

 瑞雲はさすがに驚いたのか、しばらく沈黙していた。すぐそばでお袖も、寒気がしたのか身震いをしていた。

「明日、そこへ行ってみたいが」と、瑞雲は、庄屋に言う。

「へえ、ご案内はなんぼでも。けど、燃え尽きた跡が、大きな塩の山になりまして。その田は全く稲が育たんかったが、そこより下の田や畑は、えらい成りがようなりましてな。ちょっとずつ土や水に混ぜると、ええ肥料になるとわかって、里中で分けてしもうたんですわ」

 これには、瑞雲に加え、お袖、老猟師も言葉を無くした。ヒノシシのような化物に脅かされ、領主から貸し与えられている牛が焼き殺されても、後に残った塩の山を肥料として利用してしまうとは、里の民衆のしたたかさや肝が据わっていることが大いに現れている。


「八太夫のおります社の上手に大岩様がございます。それはヒノシシに弾かれて落ち着いたところ。塩の山は、ずうっと西にまわったところでございます。今でもその辺りのことウシガシオ言うてます。八太、ウシガシオわかるのう」

「お、おお、あそこそんないわれがおましたか。へえ、わかります。明日、お連れします」

「お願い申す。ヒノシシが駆け下った道を逆にも辿りたい。一本足の極彩色の鳥についてはもっと最近のことと聞いておるが」

 庄屋は頷くと、思い出しながらその時の恐怖が込みあがる様子で、

「多々羅雉でんな。あれは、五十年ほど前のこと、大坂で大きな戦があった年でございます。その年は梅雨が長ごう続いた中、ぱあっと雨が上がった拍子のこって。雨音がぱったりやんだんで表みたら、そらもう一尋(ひとひろ)もあるか思う鳥が、落ちてきよったんで」と、両手を広げて見せた。

「見たものがおりますか」

「ああ!それはこの目で見ましたので。柴を積んだあった大八(荷車)に落ちてきよりまして、そらあえらい音がしましてな、慌てて飛び出したら、うちのまあ前(真前)に、もうもうと湯気が沸きまして、その中にそらあ鮮やかな緑や赤、黄色の羽の鳥がひっくり返ってうごめいとりましたんでございます」

 三人は、息を呑んで庄屋の話を聞いた。お袖は、瑞雲のそばに料理や飯を運び、膳に置いた潮でそのまま隣りに座り込んで話を聞いていた。

「もう少し、色、形を教えて下さるか」

「へ、へえ。あれは大きなオスの雉やという者もおりましたがな、大きさが桁外れ、首から上は三尺ほどもある蛇で小判のような色、こうくわっと牙をむき出しとりました」

 庄屋が身振りを交えて腕を振り手をぱくぱくとしてみせると、

「ひぇえ」と、お袖は思わず瑞雲にしがみついた。慌ててお袖は、飛び離れると真っ赤になって「すんまへん」と平伏した。瑞雲も一瞬頬を染めたが、

「三尺ほどの金の蛇に雉のような体と申されるか」と庄屋に向き直った。

「口や鳥の首あたりは、溶けた鉄のような色、胴体は、あらぁ雉の緑やのうてもっと明るい、菜種か葱の若い葉のようでもっと光っとったんです。足も鳥の足とは思えん、金の鱗が生えた一本足がぐねぐねして、泥の中でのたうちまわっとりました」と、庄屋は説明を尽くした。

「なんと……。してその後は」

「は、はあ、それが、湯気がもうもうとしましてな、よっぽど熱かったんか、湯気が切れたか思うと、散らばった柴がパアアと燃え上がって、火が背丈くらいになった中に一本足で立ち上がったんでございます。これがぐっと身をかがめたか思うと、一気に飛ぼうとしよって、母屋の軒に突っ込んで、軒を砕きよって、もう一回かがんで、足をばんと跳ねて、バタバタバタあ……」

 庄屋の身振りはつい熱が入っていた。お袖は怯えて再び瑞雲の着物にしがみついていた。今度は瑞雲も思わずお袖の腕を掴んで、固唾を飲んで庄屋を見ていた。

「なんぼほど高こう跳ねたんか、ドーンと落ちては跳ねてばたばたっちゅうのんを繰り返して、そのまま谷を跳ね下って、川に落ちて消えよったんでございます」

 庄屋もその時の光景を思い出したか、少し身震いすると、盃の酒を一息に飲んだ。老猟師がにじり寄って、酌をする。

「ほ、ほんにえらいことでしたなぁ。わしはそんなことちっとも」

「あんな縁起の悪いもん。もうちょっとで屋敷ごと砕かれて里中が燃えるところじゃ」

 庄屋は、言い終わるとまた一気に盃を空けた。

「ふう、ちょっと寒気がしてきた。お袖、もう一本、熱いのつけてきてもらおか」

 庄屋に言われて、お袖は、瑞雲にしがみついて固まっていた体を慌てて引きはがした。ただ、今度は照れて赤くなるわけではなく、恐ろしさに怖気づいてしまっている。

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