第11話 山中 若山伏と老猟師

〇探索の手がかり

 翌早朝、老猟師は境内の掃除もそこそこに代官の屋敷に向かった。だが、瑞雲はそれより早く伊藤の屋敷を出て、谷川を登ってきた。挨拶もそこそこに瑞雲は、社に参拝をしていくと言い、境内に入った。

「こちらの御祭神はなんと言われますか」

 老猟師は、自身が堂守をしながらも詳しく知っているわけではなかった。以前何かの折に庄屋から聞いた話を簡単に伝えた。

「は、はあ、大昔、入らずの山からヒノシシが駆け下った時、里をお守りになった大岩様をお祭りしていると庄屋の旦那から伺っております」

「ヒノシシとは?」

 瑞雲は、老猟師に向き直って訊いた。

「体が燃えとる大猪やと」と、老猟師は答えた。こんな昔話のようなことに、この若い山伏は興味があるのかと思った。が、瑞雲は口の端で笑うと、

「その大岩を案内願おう」と言った。

 老猟師は、社殿の脇からしばらく斜面を上がったところへと歩いた。

「こんなとこ行くて思もわんで、足元掃いとらずで。滑らんようにのう」

「気遣い無用。それより、ここいらにはヒノシシの話の他にもそのような狐狸妖怪、奇談伝承はござらんか」

 思わず老猟師は立ち止まり、少し情けない顔で振り向いた。瑞雲は真剣な顔をしている。

「わしゃ里に世話になって間なしやで詳しゅうないが、子供の頃、里に一本足の鳥が駆け下ったいうて聞きましたのう」

 瑞雲の目がぎらりと光った。

「それそれ、間違いない。兄上もその噂を聞いて、この辺りに目をつけたのに相違ない」

「そ、それはどないなこって」と老猟師は、合点がいかず思わず訊いた。

「ふふ。およそ怪談奇談には型がある。古くからの伝承は各地に広がり、似た話がある。作り話であれば、尾ひれも付けば人が頷く因果も盛られよう。今の話は他所で聞かず、付け足された話もない。見た者が見たままを語ったと言えよう」

 瑞雲は、得意気に語った。

 老猟師は、自分が十寸達を窮地に立たせることになったのではと、ぎくりとした。ただ、なんとかしてもっと話を聞き出し、それをもとに手立てをこらさなくてはならない。老猟師は、愚鈍な年寄りを装い、感心した振りをした。

「ほ、ほぉ、そしたら、ヒノシシや鳥はほんまのことやと申されますか」

「まだある。怪異も、幽霊神仏霊異のものと、肉体をもった化け物に区別できる。鳥や猪、これらは形を持った化け物。夢、幻とは明らかに違うておろう。それこそが、我らが探す秘薬の手がかり。目当てのものが潜むそばには必ずかような話があるとされるのだ」

 「そんな繋がりがあったのか」。老猟師は、思わず返事や素朴な年寄りを装うことも忘れて息を呑んだ。顔色の変化に気づいた瑞雲が、老猟師の顔を覗き込む。

「いかがいたした」

「い、いんやあ……、お若いがさすが山伏様……。そ、それ、もうそこに大岩様が見えますで」と、苦し紛れに目を逸らして、大岩を指さした。瑞雲は、その様子に少し首を傾げたが、老猟師の後に続いた。


〇瑞雲の誘惑

 瑞雲は、大岩を丹念に調べたものの首を傾げた後、そこに残った行者道を辿って、入らずの山を回り込むように歩いた。太陽が真上に差し掛かる頃、二人は、十寸達の洞穴と真逆の山の真北に周り込んでいた。北側は峠道への急傾斜の下りになる。

「この峠は?」

「こっから先は郡山藩のご領内、桃香野村。抜けた先は木津川で。弓手は布目川沿いに柳生…」

「左様か。傾斜地であればもっと崩れた地形や樹木があまり育たぬところがあると思うたが。もっと手前で思い当たるところはどうじゃ」

 老猟師は、ぎょっとした。それはまさに入らずの山の尾根筋のこぶやそこから十寸達の洞穴やその周りの地形だった。

「そ、それもお目当てのものに関わりますので?」

 瑞雲には、老猟師の物言いが欲を起こしたように見えた。これまでも各地を訪ね歩くたびに、自らが秘薬を得ようとする者や自分を騙そうとする者が必ずいた。それらの者のあしらいも一族に伝えられている。小者は欲で釣り、使い捨てにする。自ずと山野を巡る中で、殺してしまうのだ。

「山に詳しいお主が頼りじゃ。目当てのものさえ見つかれば、どんな暮らしも思いのまま。お主も当家に取り立てて、身分を与えてもやろう。贅沢をするがよいぞ」

 老猟師は、思わず生唾を飲み込んだ。この言いようにぎくりとしたのだ。脳裏に瑞雲の兄の顔が浮かぶ。あの時、十寸を見つけた若い行者装束の男は、浮ついた顔で十寸を自分から取り上げようとした挙句、それが叶わないとみるや、先ほどの瑞雲と同じことを言ったのだ。

「……どんな暮らしも思いのまま。お主も当家に取り立てて、身分を与えてもやろう。贅沢をするがよいぞ」

 老猟師は、背を向け、俯くと小刻みに体を震わせた。だが瑞雲は、その様子を老猟師が誘惑にかかったと感じ、

「このような山中とは比べ物にならん毎日がお主の物じゃ」と言いながら、そっと背を撫でた。

「い、入らずの山にゃあ道っちゅう道も今通った行者道くらいで。分け入んねやったら、日の落ちんうちに戻れるように出直した方がええやろうのう」

 二人は峠道に下り、里に戻った。


 老猟師は、瑞雲に命じられるまま数日、入らずの山周辺の山や谷、沢を巡った。

「この先、先だって瑞雲様がおっしゃったところに似とるところがございます」

 老猟師は、尾根筋のこぶを指さした。瑞雲は頷き、こぶに近づいた。こぶのぐるりを周り、手で触れてじっくりと調べた。だが、瑞雲自身、すべて兄から漏れ出した話以外に確証はない。もどかしさと自分の非力さに見栄を張りたい気持ちが働いた。

「確かにこぶから下は草木も少ない。ただ、もっと崩れやすい軟弱な土地、枯れた土地と聞いておる。この沼もびっしり藻が生えて緑の粥のようじゃ」

「もっと下の方にも、水気の多いとこはございますが、どないなさいますか」

「うむ、お願い申す」と瑞雲は言いながら、踵を返した。


 猟猟師は、安堵していた。この数日、時間を稼ぎ、十寸達に洞穴を水没させる策を授けていたのだ。それにしてもこの短期間で、藻が多く繁茂する沼にしてしまうとは、老猟師にも想像がつかぬ光景が広がっていた。


「ところで、この入らずの山は、猪や雉、獣の類は多いのか」

「猪も雉もようけおりますが、もっと獲物が多いところに出てきますのう。こんな岩肌に硬い土、よう掘り起こせますまいて」

「なるほど。至極もっとも。ん。これは……」

 瑞雲は、少し下ったところで一部が欠けた岩を見つけた。獣の毛と血が乾いて残っている。

「これは、山猟師が獣を撃った形跡。入らずの山にも猟に入る者がいると見える。違うか、山猟師殿」

「た、確かに、そのようで……」と、老猟師は歯切れの悪い返事をした。これは、十寸の銛の跡に間違いなかった。

「『堅く禁ずる五百棲の山』、ではなかったか。お主にも禁則破りの仲間がいるのかのう」

 瑞雲は、いらいらした気持ちを吐き出す軽い皮肉を言った。だが、老猟師にはそれが、秘密を見透かした揺さぶりに聞こえ、足が止まる。瑞雲は、そのまま足を進める。二人の間が少し開き、瑞雲が振り向いた。瑞雲には、また老猟師が自分に逆らおうとしているように思えた。

「どうした、早う案内をしてもらおう。それともこの先も無駄な骨折り、無駄足であろうかのう」

 瑞雲の少し声を荒げた物言いも、老猟師を揺さぶっていた。老猟師は、どう振舞うか迷った。その顔は、歯を食いしばり小刻みに震えた。

 気まずい一瞬に、二人の間を風がゆるく流れる。松の木から落ち残りの松ぼっくりが、二人の間に転がった。松の木は、斜めにねじれて伸びている。

「ふう」

 瑞雲は、自ら高めた緊張を緩めた。が、老猟師の表情は硬く、目を地面に落とし歩き出した。瑞雲もつられて目を落とすと、先の松の根元にも幹をえぐったような跡があった。自分を追い抜いて歩いていく老猟師の背中を見ながら、

「この年寄りは何かを隠しているのではないか」という疑いが頭をもたげていた。

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