第9話 石宬瑞雲《せきせいずいうん》

〇石宬瑞雲

 田起こしが始まった里に若い行者が来た。行方知れずの兄を尋ね歩き、この里に来たと言う。代官の許しを得て山々の探索に人手を借りたいと言うが、今、里から多人数を割くわけにゆかず、老猟師に案内の命が下りた。

 庄屋からの使いが帰っていった。老猟師は、掃除などを済ませると、言い知れぬ不安を抱えながら、行者の泊まっている代官伊藤一厚の屋敷に向かった。

 伊藤の屋敷は、大きな谷川を挟んだ西側のよく日があたるところにあった。そのまま北側の小街道を行けば、柳生をへて笠置。西の道を取れば奈良に向かう。

 天領とはいえ、わずかばかりの杣山、世も鎮まるに従い、切り出しの量は減り、普請の盛んな東大寺、春日大社といった近隣の杣に比べ、京の公家方御領の本域は、勢いもなかった。

「何じゃおまえは」

 門番に見咎められ、老猟師は、低頭して答えた。

「明日、山のご案内を申し付けられました堂守の八太夫でございます。ご挨拶と明日のお指図がありましたらと参りました…」

 門番によって裏へ廻るよう言いつけられた老猟師は、ゆっくりと屋敷を見ながら歩いた。

「早う行かんか、どうか致したか…」

「は、はぁはあ、どうも足もこの歳でお恥ずかしい限りで…」

 老猟師は、足の衰えたふりをしてみせた。

 二人が離れに繋がる庭に出た頃、話を聞いたのか、件の若い行者が離れの縁に現れた。

「愚僧が、伊藤様格別の許しを得て、宇治より参った石宬瑞雲(せきせいずいうん)と申す」

 張りのある声ではきはきと喋る様子は、老猟師がよく知っている山伏、行者というより、若い武士に近い印象があった。

「は、ははぁ、これはセ、セキセイ様、堂守の八太夫と申します」

「瑞雲で結構。伊藤様よりお主のこと、山の探索にうってつけ、生まれついての山暮らし、代々の山猟師と聞いておる。明日は早速明け方より、入らずの山を巡りたい」

 同席していた役人は、「入らずの山」という言葉に顔をしかめて目を逸らし、その中の長老格の塩田万兵衛が口を開いた。

「迷い込んだ旅の者ならいざ知らず、自ら五百棲(いらず)の山へなど。平素であれば尚のこと、堅く禁ずる五百棲の山、いかな事情の山伏行者といへ、出せる人出は年寄り一人。後で悔やむも覚悟召されよ」

「勿体なきお言葉でございます。元より承知の入山。例え憑り殺され、谷底で屍をさらそうとも構いません。この身体、お見捨て下され」

「なんと…。それほどまでに兄行者の行く方大事と言われるか」

 老猟師は、気配を殺し、平伏して話を聞いていた。役人達は老猟師の存在などすっかり忘れて話を続ける。

「かけがえのない兄のこと。無論でございます。本来、山々の探索は当家を継いだ兄の役目……」と、瑞雲は、両目を閉じ、やがて少し顔を上げ、嘆息し、続けた。

「愚僧、いやわ、私、坊城家の傍流にて、代々薬師の家柄……」

 瑞雲は、慣れぬ仏僧の言葉遣いをやめ、若い侍らしい口調で、自分の家がかつては秘薬の製法処方で、宮中でも厚遇されていたこと、やがて、何かのきっかけで原料が入手できなくなったことを語った。

 そこでそれまで以上に薬の値打ちを吊り上げ、秘中の秘として、特別な身分からの依頼にのみ応えていたが、戦乱の時代に入り、宮中から噂を聞きつけた強い力を持った武家からの強引な依頼により、秘薬は減る一方だった。秘薬の噂は広まり、大病大怪我を負った大名からの依頼は更に増えた。礼金も桁が上がりに上がり、家は一時大いに栄えたように見えた。

「我ら坊城家は、そもそも帝のお命をお守りするがお役目。いかに蓄財しようとも秘薬が尽きればお役御免。お家滅亡の時でございます」

「すると、お家存続を賭けて兄上は、原料を探しに行かれたと申されるか」

 瑞雲は、目を閉じて深く頷いた。

 長老格の塩田もただ身の上話を聞いている訳ではなかった。老猟師も気配を消し、じっとうずくまったままで、次の会話を待った。

「兄上の見上げた志し、ご立派でござる。してその原料、この辺りに目星をつけておられたか。手掛かりあれば、内々にお力添えを…」

「な、何と有難きお言葉……」

 瑞雲は、深く頭を下げながらも、唇の端は歪んでいた。この塩田も我が秘薬の原料を掠め盗ろうとしているに違いない。

「恥ずかしながら、秘伝を授かるは長男のみ。しかも、秘伝の巻物も、都度、兄より口伝えで聴きしものを纏めた私の帳面も、行方知れず……。恐らく兄が持ち出したと……」と、瑞雲は再び顔色がばれぬように低頭して、震えてみせ、あまり探りが入らぬようにした。

 ただそれは、庭端に平伏する老猟師にはっきりと見える角度だった。老猟師の視線に気づいた瑞雲は、

「っあっ!お主まだそこで聞いていたか!」と、顔を歪めて立ち上がった。

 老猟師は、瑞雲が立ち上がったところで初めて気づいた素振りで、

「は…はあ?」と、左耳に手を当てて間抜けな声を出した。

 塩田も顔をしかめ、同席の役人に軽く顎をしゃくってみせた。一人が「はっ」と、一瞬畏まると立ち上がり、瑞雲の前に割って入り、

「無礼者、そんなところで聞き耳を立ておるか」と言った。

「はぁ、ご、ご勘弁を…もう『さがれ』ぇ言われましたかあ…」

「な、何を言うておる、耳がいささか遠いと見える。さっさとさがらんか」

「は、はあ」と、老猟師は、すくんだ振りをして引き上げた。

 瑞雲は、少し取り乱したことを恥じ、改めて正座をすると、

「わ、私もべらべらと…、失礼をいたしました」と頭を下げ、

「明日の支度もありますれば…」と下がっていった。


〇つづら折りの坂

 老猟師は、谷を下り田の開けたところから、橋を渡った。里の家々を抜ける道に入らず、脇道のつづら折りになった斜面をヤマノクチの社に向かった。この道をとれば一々振り返らずに、後をつける者の有無を確かめやすい。

 瑞雲の言う「原料」とは間違いなく十寸達のことだ。十寸達にとって大変な危機に違いなかった。

「帳面と巻物……。まさかあの時の行者が瑞雲の兄とは」

 そのような男を自分が案内せねばならぬことに老猟師は苦い顔をした。だが、考えようによっては有利に運ぶかも知れない。上手くすれば十寸達から遠ざけることも可能かも知れない。

 老猟師は、日暮れを待つと早めに床についたように装い、人の気配がないことを確かめて、十寸の元に向かった。

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