第8話 封「ふう」

○意識の共有

「お帰り」

 十寸はソの傍らに降り、そのまま泉に体を横たえた。二人の間に意識が共有されていく。これまでソの記憶の中にあったものの、名前がついていなかった物事に楓から得た言葉が当てはめられていく。

「明日は狐を食べよね」「うん…」

 十寸がまどろむそばでソは両手を天蓋に向ける。泉から白い蒸気が沸き上がり始めた。


○ソ、十寸、封

 早朝、庄屋の奉公人が、当座の雑穀や野菜を片手に、田起こしの日取り段取りを告げに堂に訪れ、帰って行った。見送った老猟師が堂に戻ると、目の前に埃の塊が落ちてきた。見上げると、天井の梁に隠れていた十寸が顔を出した。

「おじい、もうすぐフウが目ぇ覚ます」

「ふう?旦那んとこのか。又、臥せって(病気で寝込んで)たんか」

「いや、フウっちゅうんやて、ソが言うてた」

 老猟師は、それを聞いて、天蓋の白い角柱のことだと気づいた。手招きをすると、老猟師は片寄せてあった自分の寝具の中にあった藁枕に手を突っ込み、件の革袋を取り出した。巻物を広げ、絵を探す。

「おぅ…、フウて、『封』、この字でフウと読むんやな」

「俺の『十寸』に似とる」

 その言葉に頷きながら、老猟師は、巻物の文字を指で追っていく。

「ほ、ほれ、是三十一寸之意、封即合字也…。三十一を組み合わせたら『圭』、『寸』と合わせて一つの文字として読ませたら『封』、判じもんやな」

 十寸は、老猟師が囲炉裏の灰に線を引いて説明する指先を頷きながら聞いていた。


〇封の誕生

 老猟師は、十寸を先に帰らせると、里の者に柴を取りに行くと告げて、山に入った。山の家に寄ると作り置いた柴の中で、一番細い枝ばかりの竹箒のようなものを一束掴むと、それを軽く引きずり自らの足跡を消しながら、入らずの山に向かった。

 十寸は、洞穴の入り口近くで、老猟師を待ち構えていた。

「おじい」

 老猟師は手を振ると、雪解けの水が流れ込んで一層ぬかるんだ斜面を慎重に下った。四つ這いになって狭い入り口に這いこむと老猟師の手足は泥だらけになった。

「おじい、息どないや」と、十寸が聞く。

「なんや、息、臭いか」と、老猟師は勘違いして尋ね返す。十寸は、安心した顔で軽く頷くと、泉を指さした。

「お、おおっ」

 泉では、十五、六歳の色白の少女がしどけなく座り、無表情なままで白い澱を指につけては、のんびりと舐めている。

「おじい、目ぇ覚めたとこや」

 ソが少女の傍らで老猟師の方を向いた。身の丈四寸ほどのソより十倍近く大きい。またなにか泉や洞穴と封であろう少女との距離感がおかしな具合になる。目をしばつかせる老猟師の視界に十寸が入ってきた。

「はっ」

 そうだ。十寸は、その名前の通り一尺ほどでありながら、体、形は十歳ほどの男の子だった。

 この封も三十一寸というから三尺余りだが、体つきが十五、六歳ほどの少女であるため、距離感が狂ったのだ。

 封は、やがて十寸が最初に泉に浸かった時のように、小刻みに震え出した。ソや十寸の考えることや知識が共有されていく。徐々に潤いが体に浸みるように表情が和らぎ、口の周りを拭うと、ひゅうひゅうと話し出した。

「おぅ…、ほんまはこないして孵るんやな」

 老猟師は、封を驚かさないよう少しずつ三人に近寄った。

「封…」

 十寸が泉に足を浸け、封を見上げながら近づいた。澱を掬っては封の体に塗ってやる。ソも小さな手の平で封の肌に澱をかけていた。

 時間がたつに従って、封の体はつやつやと光沢を持ち、弾力を持ち始める。翡翠色の光の中に浮かび上がる封の白い体は、恐ろしささえ感じる美しさだった。

「ヒュゥゥ…、ふぉっぉ…、ソ…、ま…そ…」

 封は、喉が柔らかくなるのに従って、笛のような音色をじょじょに声に変化させていく。ソと十寸が頷くと、今度は自分の胸を撫でながら「ふ…うぅぅ…」と言った。

 澱を食べることで、体内で様々な機能が働くようになり、自分の感覚が豊富になり疲れたのか、封はゆっくりした動作で寝そべり、右半身を泉に浸して気持ち良さそうに目を閉じた。

「ふぅ…」

 老猟師もため息をついた。女神の出現をこの目で見たような、神々しいものに気圧されていた力が抜けた。

「寝たんか。……大したもんやったのう」

 言葉が出ない。老猟師はその場にべったりと腰をつけた。十寸が竹徳利をぶら下げてふわりと浮き上がり、洞穴脇に掘られた溝を流れる水を掬い、老猟師の手にかけてやった。泉の縁石は端で少しだけ低くなり、そこから上澄みの水が溢れ出ている。封がずいぶんと平らげたためか、澱はずいぶんと減って、透明な泉に見えるほどだった。

「おぉ…おおきに」

 老猟師は、繰り返し水をかけてもらい、手足を洗うと、最後に顔も洗って改めて泉の傍に戻った。

「どないや…。しばらくしたらこの子ぉも飛べるようになるやろう。いよいよもっと誰もこんとこに行けるようになるのう」

 ソは頷いた。ソの頷きを見て十寸は、

「おじい…、俺は逃げんでええと思う」と、今までになくはっきりと言った。

「な、なにを言うとるわしが…」

「こないだ穴に狐が来てん」

「えっ」

「俺が獲った兎狙うて」

「お、おぅ…」

「狐、勝手に息が詰まって…死んでもうた」

「ど、どういうことや」

 ソは、飛嚢の気体のことを説明した。だが、老猟師にはわかりかねた。

「わ、わしはなんともないがな…」

「今は、外と同じ割合…。偏ると息でけへん。…こ、ここを攻めたらみんな死ぬ。ほな誰もこん」

 十寸の言葉にソは首を横に振った。また老猟師も、

「そんなに簡単にならんのちゃうか。この穴自体を崩されたら」

 十寸は項垂れた。なんとかしてここで老猟師と暮らしたい気持ちが滲んでいた。

「いろいろと思うてくれるのう。一度戻って日暮れてから、まっぺん(もう一度)、今度は飛ぶとこ見せてもらおうかいのう」「うん」

 十寸は老猟師の後をついて出た。

 二人は、しばらく何も言わず山を下った。

「のぅ、おじい…。おじいとみんなで行こう」




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