第5話 持ち上げて飛び上がる役

 老猟師も肩から力が抜けた。安心したのだ。

「お前さんのような連れあいがでけたら、案じんでええのう。後は、十寸が一人前の猟師にならんとのう」

 老猟師は、一人で語り、頷く。

 少女は、頭に何かを巡らせた。それは十寸が銛を放って稽古を積む様子だった。そして、それが十寸の行く末を案じての稽古だと知った。

「おじい…、おおきに、おおきに」

 老猟師は、袂から十寸に使わせている五本の銛を取り出し、縁石に置いた。

「早う、二人でやっていけるよう精出さなあかんなぁ」

 少女は小さく頷いた。

「おじい…、それをよう見せて」

 少女が手を差し伸べると、泉の底の乳白色の澱が、ゆるゆると少女から銛の方に向かって盛り上がってゆき、乳白色の泥の道ができた。十寸も起き上がってその様子を不思議そうに眺めている。

 老猟師が、銛を一本摘み上げて、そっと泥の道に載せる。乳白色の泥は、銛が沈まぬよう下から湧き上がりつつ、同時に銛を少女の方へと動かしていった。

 少女は、銛に触れ、細部を確かめた。

「ようできてますなあ。けど、重おて歪みも」

「そ、そうなんや、どないしても…」

「けど、うちらの道具によう似てる」

 少女は、手元の泥に手を沈めると、静かに目を閉じた。

 やがて、十寸と老猟師が見守る中、少女は泥から何かを引き上げ始めた。十寸が手伝う。

 それは、精巧に磨き出されたような、わずかな歪みもない一尺の艷やかな細い鋼線で、鋭い針先と返しが付いていた。また尾には半月型の小さな取っ手があった。

「か、軽い」

 十寸はそう言って、抱え上げるとちゃぷちゃぷと泉を渡り、老猟師に見せに行った。

「ほお、ほんまに軽いな。けど硬い。たわみもせん。こんなもんどないして…」

「地の奥まで根を張って、吸い上げて、濾して、こしらえる…。この周りもこしらえたもの…」

 少女は縁石を指さした。

「た、確かに。どれもようみたら石とちゃう。綺麗な鉄の塊…。いや、鉄ならもっと重そうな、銅や金でもない。こりゃ一体なんちゅうもんなんや」

「おじいの知らぬもの、言い表しようがのうて…、鉄や銀、銅、金より硬おう、軽う、錆びづらい…」

 少女は申し訳なさそうな顔をした。

「すまん、すまん。せんないことやったのう。どれ十寸、これで獲ってみよやないか」

 老猟師は、十寸に新しい銛を返した。十寸は、ふと何かを思い出したような、教えられたような顔をして少女を見た。少女も頷く。

「おじい、獲り方違ごうとったんや」

 十寸は、言い終わらぬうちに、浮袋を膨らませた。それは今までと比べ物にならぬほど一瞬で膨らみ、しかも三角錐の浮袋が二つに増えていた。

 自身も驚きながら、十寸は天蓋部に達した。

「おじい、その銛の尾を狙う」「お、おう」

 老猟師は、縁石に置いていた銛を脇の地面に寝かせた。

 天蓋に張り付くほど浮かび上がった十寸が、浮いたまま、魂を銛に移した。十寸ががくりとなる。銛は猟銃の弾より早く、地面の銛の尾の輪の中心を貫き、砕いて、深々と地面に刺さった。主を失った十寸の体はわずかの間ゆらゆらと漂ったが、十寸の魂が戻り、びくんと震え、漂っていた体の舵を取り戻した。

「おじい。お、俺は、矢ぁの役」

 十寸は、少し興奮して言った。

「そ、それてなんのこっちゃ」

 老猟師は、砕けた鉄の銛と十寸を交互に見て言った。

「もう一つ、俺を高う高う(たこうたこう)持ち上げて飛び上がる役がおるんや。俺は、銛に身を移して的に向かうだけや」

 少女が大きく頷いた。

「そ、そないな役、一体どこに」

 老猟師は、他に誰もいない空洞を見渡す。

 少女は、俯いたまま首を横に振り、

「…おらん。うちらは大きな戦さから逃げて…ここに落ちてきてん。落ちる間に、うちだけになってしもうた」

「い、戦さ…、もう百年より前のことやないか。そ、それに十寸はここにおるやないか」

 老猟師は十寸を指差す。十寸は、ゆっくりと少女のもとに降りて、手を握った。

「どんな前か知らん。この穴でちょっとずつ、根ぇ伸ばして、土の中の小さな小さなものを食べて、ここをこしらえました」

 少女は天蓋部を見上げると、続けて言った。

「あそこから、精気を地面にしみ出して…、十寸の形をこしらえて、小さな虫を獲るようになった頃、おじいが十寸を連れて行ったんや」

 老猟師は、その言葉に狼狽し、申し訳なく、頭を下げた。

「す、すまなんだ。ほんまにすまなんだ」

 十寸は、少女と結んでいた手を放した。少女も頷く。小さく浮袋を膨らませると、下弁から勢いよく息を吹き出し、老猟師の肩に飛びついた。

「おじい、詫びんでくれ。ずっと食わしてくれた、稽古もしてくれた。俺を隠してくれたやろ」

「そんなこと…、当たり前やないか」

 十寸は、老猟師の涙を飲んで微笑みかけた。少女が、

「いつか根を離して、この泉も掘り当ててもらおう思うてて。これまで何遍も獣や鳥に攫われてしもてたし」と、言う。

「な、何遍も。十寸みたいな子ぉを何遍も作った言うんかい」

 少女は、小さく頷いた。

 老猟師は、十寸を抱き締めて言った。

「うん、うん。おおきに。おおきに。そうか大変やったなあ。…どうじゃ、おまえはこの子と暮らしていかんか。さっきの腕やったら、猟の心配もないやろう」

 十寸は、考えが追い付かない表情で二人を見た。少女も老猟師の申し出に迷った顔をした。

「おじいもここにおれ」と、十寸が言う。

「そんなこと、できん。なんとのうわかるやろう。おまえは優しいのう」

「おじい…、おじいは、一人でどうする」

 十寸にそう言われて、老猟師はもう一人では猟が出来なくなっている自分に気付いた。

「ほんまじゃなぁ。そんなこと言われんと気づかんかった。…わかった。わしはわしで身の振り方を考えんといかんのう。近いうち旦那に相談しょう」

「旦那にゃあ、山鳥や岩魚持っていかなあかんで」

「おまえがそんな気ぃ使わいでも…、おお、ちょっと冷え込んできよった。この暗さでは何時やわからん。また、寄せてもらお」

 老猟師は、このまま引き上げようと、足から穴に戻り始めた。

「…十寸が通うてきて…」

 少女が声を掛ける。とても淡白だが思い切った口調だった。老猟師は、涙でくしゃくしゃになった顔を少女に向けた。

「二人ともええ子やのお。また、明日。明日寄せてもらう」

 老猟師は穴を抜けた。十寸は、ふわふわとこぶの辺りまでついてきた。

「暮れんうちに帰れそうや。おまえはあの子とおらんとのう」

「…うん」

 十寸は、老猟師が見えなくなるまで見送っていた。

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