第2話 老猟師と十寸の暮らし

○浮袋

 老猟師と十寸の暮らしは、春を過ぎ夏に入っても続いた。

 毎晩、横になる前に老猟師は十寸の体を拭いてやった。

「それにしても、よくよく人間に似とるが、ところどころ違うのう」

「おじい、どう違う」と十寸は、自分の手足と老猟師を見比べる。

「ほれ、お前は体の割に手足が長い。へそも背中にある。股座にゃあどっちのもんもついてない。それに背骨が胸から上で二筋に分かれとる」

 老猟師は、自分も裸になって囲炉裏の火にかざして見せた。

「ほんまやのう」「のう」

 老猟師は、体を拭いてやりながら笑った。十寸も笑う。手拭いが十寸の臍にかかった時、笑い声が消えた。手拭いを離すと、背の臍から、息が抜けた。

 十寸は、口から息を吸いながら話し、背の臍から息を吐いていた。

「ほ、ほぅ…、これは、どういう…」

 老猟師は、大層驚いた。こんな生き物は知らない。表情が強張った。

「おじい、変か」

 十寸が不安気な顔を向けた。

 慌てて老猟師は、己が頬を叩き、

「こ、これは笛かふいごのようじゃ。おまえの息はふいごになっとるのう」と、笑顔に戻した。

「ふいごって」

「前から息を入れて後ろに強く吹くもんや」

 十寸の表情は緩み、大きく息を吸っては背の臍から吐いて見せた。臍は、穴というより息を吐く口に近かった。

 十寸は口笛のような音を出した。

「う、うまいうまい」と老猟師が、拍手をする。

 十寸は、更に大きな音を出そうと腹一杯に息を吸い、いきんだ。

 その瞬間、十寸の背骨の分かれたところが、「ぱん」と小さな音を立てて縦に皮膚が裂け、中からまるで魚の浮袋のようなものが現れた。

「おい、えらいこっちゃ、背中が裂けてしもうた」

 慌てて手を伸ばした時には、十寸のこめた息が入り、浮袋がぷるんと背と後頭部に乗り上げる格好になった。

 今度は十寸が老猟師の顔を見て、笑顔で言った。

「痛うないで」

 浮袋の中身は、更に充満して、折りたたまれていた浮袋の隅々にまで満ちると、それは、大きな逆三角錐の形を成した。

「ひぇ」

 老猟師は、腰が抜けたようになった。これまでの山育ちで見てきた蝶の羽化のようにも見えたが、全く違うものが現れている。

「おじい…」

 十寸は、足元を見ていた。床と足の間に隙間ができている。

「う、浮いとる!」

 十寸はするすると浮き上がり、老猟師の指先に摑まった。

「おおっ、うまいうまい」

 まるで立ち歩きを始めた赤子をあやすような言い方になり、老猟師は一人笑いした。見ると逆三角の下端も少し口を開けており、弁のように溜めた空気を吐き出して、思う方向に進んでいる。

「おまえは、もとからそういうもんやったんやなぁ」

「ふぅん」

 十寸は、自身のあちこちを撫で、

「浮くと喉が渇く」と、湯呑の水をがぶがぶ飲んだ。


〇腐心

 老猟師は、翌日から毎晩、飛ぶ稽古をさせた。

「もうわしも長うない。一人で猟ができんとのぅ…」

 ふと、老猟師は、思った。十寸と言う生き物はそもそもどうやって餌を取るのか。仲間はいるのか。郷があるのか。老猟師は、猟の傍ら、十寸の行く末に腐心するようになった。

 十寸は、どこまでも高く浮かび上がる。風に流されぬよう戸外で糸を持たせて飛ばせると、糸がなくなるまで上がった。終いには、糸が尽きて降りてきた。一方でヨキと呼ばれる手斧一つも持ち上げられない。十寸に弓矢は大きく重く、おもちゃのような弓矢をこしらえて射ても当たらず、命中してもぽろりと落ちた。


○叫び声

 夏が盛りを越えたある夜、老猟師が稽古をつけていると、

「ぎゃああ」と、男の叫び声が聞こえた。

 慌てて十寸を懐に入れ、しばらく息を殺して気配を嗅いだが、その夜はもう何も起こらなかった。


○生首の怪と野鍛冶

 数日後、山鳥を持って庄屋を訪ねると、奉公人が話しかけてきた。

「入らずの山にゃあ、餓鬼共が棲みつく屋敷があって、血まみれの生首がふわふわ浮かぶ様子を餓鬼共が囃して踊ってるそうな。あんたも近寄らんようにせんとなぁ」

 よく聞くと伊賀から木津川を下った野鍛冶が、途中の村から、迷いこんだそうだ。ここ数日は庄屋の許しを得て、この里で農具を打ち、直していると言う。

 老猟師がその様子を見物に行くと、勘助と呼ばれるその野鍛冶は、千歯扱きの欠けた歯を直す相談をしていた。

 鋳潰す材が届き、野鍛冶が支度をするところで、老猟師が話しかけた。

「のう、一尺ほどの針をこしらえると目方ぁどれほどかのぉ」

「釣り針かぇ、鈎の具合にも…」

「あぁ、真っ直ぐでええ、真っ直ぐや」

「そらぁ銛やな。銛っちゅうんや。返しはつけるねんな」

「目方ぁどんなもんや」

「そら突くもんによるやろ。何突くねん」

 野鍛冶に問われて老猟師は行き詰まった。

「こ、こんなもんを」と老猟師は、地面に指先で一尺ほどの線を描き、先に矢じりのような返しを入れた。

「そう、それに銛の尾ぉにひれをつけやすうして…」

「なんやこれ」

 野鍛冶が顔をしかめ、訝しい目を向けた。

「な、生首封じや。これを囲炉裏の灰に刺しといたら、生首が怖れて寄って来んて…、旅の行者が…持っとったんや」

 老猟師のとっさのでまかせに野鍛冶は真っ青になった。

「な…なんやと…、それほんまか。わ、わし見たんや」

 野鍛冶はぶるぶると震え出した。

「そ、そうかっ、これを生首めがけて撃ったら、餓鬼ともども退散するっちゅうことやな」

 野鍛冶は、一人合点すると他の仕事を横に置いて、一尺程の針を打ち上げた。先に返しがあり、尾に小さな輪が付いていた。

「ほ、ほう上等や。どれ…」

 老猟師は、懐の十寸にそっと持たせてみた。

「礼は何が良いかのう、あと四本ほど欲しいしのう」

「こ、これ、もっと作らせてもろてええか。生首除けで一儲けや」

「好きにしたらええ。…前にも仕事頼んだことあったかいな」

「いや、こっちは初めて寄らしてもうてるで」

 老猟師は、自身の出任せで、十寸の道具を作ることができた。また、この野鍛冶勘助は、「厄除けの大針」でしばらく儲けることができたと言う。

 この大針が変化し、やがて、厄除けに火箸が贈られるようになった。

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