老猟師の話

みはらなおき

第1話 発端

〇序

 添の奥山の尚まだ奥に、老いた猟師がいた。名を八太夫と言い、驚くほどの数の獲物を持ち帰る腕の男だったが、生来頑固者で山に籠もって暮らしていた。


 ある時老猟師は、里で大酒を飲んだ上に賭け事に負け、猟銃を負けた金の形に取られてしまった。ところが、山に帰って二か月もせぬうちに兎を十羽も下げて里に現れたので、村人は大層驚いた。

 使い古した弓で射ると言う。

 前にも増して、度々獲物を下げてくるようになり、猟銃を取り返せるだけの金はすぐ貯まった。だが、猟銃を受け出すことはなかった。

 酒もやめてしまい、気性も穏やかになり、里のものが「何かあったか」と尋ねたが、首を横に振るだけだった。


〇老猟師と庄屋

 ある時、土地を治める侍に慶事があり、庄屋が雉などを献上したいと、この老猟師を尋ねた。

 老猟師は、縁側で矢をこしらえていた。仕上がった矢が無造作に並び、そばにえびら(箙)と呼ばれる矢筒が立ててあった。

 その矢筒に、藍の着物を着た一尺ほどの人形が腰掛けていた。老猟師は、柔らかい笑顔で話しかけている。

「けったいな事を」と、庄屋が思わず声をかけると、老猟師は、ぎょっとして振り向いた。

 人形と思われたものは、慌てて矢筒に身を隠した。はらりと藍色が庭先に落ちる。藍の着物と思っていたものは、端布のようだった。

「さ、さっきのもんは…」

 庄屋は、恐怖と違和感の籠った声を絞り出した。

 老猟師は、観念したように一度立ち上がると背中を丸めて深くお辞儀をし、藍色の端切れを拾った。

「こりゃあ、旦那。さぁこちらへ。おい、平気や。ご挨拶せぇ」

 老猟師が指先で矢筒を軽くつつくと、身の丈一尺ほどの裸の男の子が、おずおずと現れた。

 庄屋は絶句した。人形ではない。しかも、大きさこそ一尺ながら、体つきは十歳ほどの男の子だった。

「たまげもしますな。これは、十寸と書いて『ますみ』だか『まそ』っちゅうて山の精気が長けたもんらしぃて。しばらく前に旅の行者が見えられて、言うてられました」

 十寸は、矢筒に腰掛け直すと、やはり背中を丸めて深くお辞儀をした。庄屋にはそれが、祖父の仕草を真似る孫のように見えて、少しだけ恐怖が和らいだ。


○十寸

「鉄砲を取られて…、山に帰ったもんの、猟もできん。この年でなんも先が見えんようになって、死のうて思うて、『入らずの山』に入ったんで」

 老猟師は、端切れを十寸に渡した。十寸はくるくると体に巻き付けた。

「日は暮れかける、雨が降り出す、道にも迷うて。どうしたもんかちぃて見渡したら、尾根の脇のちょうどこぶになったあたりにこいつがぼおっと立っとりまして。焼き物の人形かと思うて、つまみあげたら…。これは地面から生えとったんです」

 老猟師の話は続いた。つまみ上げた男の子の足の裏に白い根がついていたこと、自分がちぎってしまうと、途端に男の子が震えだしたこと。

「もうどないしたらええかわからなんだ。こいつを懐に入れて無茶苦茶に山を降りたら沢に出て、そのまま沢を伝うて戻りました」

 老猟師には、入らずの山での奇異な経験にも関わらず、震える体を抱きしめた時、弱きものを守ると言う人間らしい心が働いていた。

 こうして、十寸を育てる奇妙な暮らしが始まったと言う。

「こいつは、数は食わんが、肉しか食わんので、毎日、毎日、川魚や蟹を獲ってやりました」

 老猟師の口元が少し緩んだ。庄屋は黙って聞いている。

 十寸は、少しずつ言葉を話すようになったと言う。そんなある日、

「俺を懐に入れて猟に出くれ」と言い出し、戯れにその通りにしてやると、矢が見事に山鳥を射抜いた。放った矢はことごとく獲物を射抜き、たちまち持ち帰れない程になった。

 老猟師は、山の神への獲りすぎの詫びとして、最初に射た山鳥を十寸を見つけたこぶに供えて戻った。

「夜、十寸が訳を言うてくれました」

 庄屋は黙って頷き、続きを待っている。

「わしの体をつとうて、矢に身を移して自分が飛んだと」

「えぇっ」

 庄屋は意味を計りかねた。

 老猟師は一本の矢を手に取ると、

「こいつに己が乗り移ったっちゅうんで」と言い、十寸を見た。庄屋も見る。十寸は少し恥ずかし気に頷いた。

「射るたんびに懐でずしっと重うぐったりしとった。矢が刺さると戻ってきよる」

 庄屋は、驚きを隠せない様子だったが、なんとか、

「す、すごいやないか。おまえは、大和一番の、いやぁ、伊賀や近江も、都にかて並ぶもんがおらん名人や」と言った。老猟師は、首を横に振るだけだった。


○献上の雉

「んで、今日はなんでお越しに」

「あっ、ああそやった。今度お代官の若殿が祝言でな。そこでお前に献上する雉を頼みに来たんや」

「あぁ、それで合点が。…雉ならなんとか。ただ一つ、十寸のことだけは、一切他言は無用に願います」

 老猟師は、他言せぬことをくどく頼むと庄屋を返した。

 二日後、老猟師は勝手口から庄屋の屋敷を尋ね、見事な雉を三羽と、大振りなしんぐり(びく、魚を入れる網籠)いっぱいの岩魚を届けた。

 庄屋は大変喜び、上がっていくように言ったが、老猟師は、丁寧に断った。尚も引き留める庄屋に、老猟師は、

「ほしたら…。これから冬に入るで、なんか着せてやりとうて」と頼んだ。


〇人形の着物

 庄屋は、七歳になる娘の楓(ふう)に手習いの腕試しだと言って、身の丈一尺の男の子の人形に着せる着物を作らせた。

 十寸はとても喜んだ。楓が人形と思い込んでつけた鮮やかな飾りや刺繍も美しく、老猟師も大層気に入って何度も礼を言った。

 先方がとても気に入っていると聞いた楓は、気を良くして、雪深い間、羽織袴から浴衣まで、季節毎の色とりどりの着物をせっせと縫い上げた。

 年が明けた。老猟師は、見事な猪としんぐり一杯の岩魚を届けた。勝手口の手前に届け物を並べると、出てきた庄屋に新年の挨拶をしてすぐ下がろうとした。

「せっかくの正月や。ここでええから一口だけでも酒を飲んでいってくれ」

 庄屋の言葉に老猟師は大いに恐縮し、盃を受けた。

「ほんまにありがとうございます。十寸もあの着物、そら喜んで」と、懐をちょっと開いて見せた。そこには、艶やかな歌舞伎人形のような十寸がいた。

「おお、そうや、ちぃっと待っとってや」

 庄屋は、楓の縫い上げた着物を取りに戻ると、小振りの風呂敷に包み、急いで勝手口に戻った。

 楓は、宴席を抜けてばたばたと行き来する父親を見つけ、そっとついて行った。

「ほら、これを。着物や」

「おお、こんなこと勿体ない…」

 老猟師は、背中を丸めて礼を言った。十寸も、風呂敷を持った老猟師の手の平に乗って、同じように頭を下げた。

 楓は、自分のこしらえた着物を着た十寸が、猟師の手の平でお辞儀をしたところを息を呑んで見ていた。

 庄屋が、裏木戸まで老猟師を見送って、振り向くと楓が立っていた。

「父様、ふう(楓)もお人形ほしい」と楓は、あどけなくねだった。

 庄屋は、楓が見ていたことに驚き、

「あ、あれは楓の着物を買うてくれた猟師や。また、あんなん欲しい言うから、楓がぎょうさんこしらえとったん見せたら、ほら、こんな猪置いて行きよったで」と、とっさに誤魔化した。

「楓もお辞儀するお人形ほしい」

「そ、それは着物をぱたぱたしてただけや。さあさあ、お座敷戻るで。人形の話なんかしたら笑われるで」

 楓は訝しい顔で父に従った。

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