機械人形は地雷原で踊る

アライブ

機械人形は地雷原で踊る

 沢山の煙突から上る蒸気が空を覆う街、その外。少女はそこに立っていた。

 美しい場所だった。薄汚い空気はなく、青く澄んだ空に、ところどころ真っ白な雲が浮かんでいる。辺り一面に草原が広がっていて、建物が一つもない代わりに、きれいな花がいくつも咲いている。街に蔓延している喧騒からは程遠い、楽園を思わせる静かな場所だった。

 しかし少女は、その美しさの理由を知っていた。すぐそばに、髑髏をかたどったマークが描かれた看板が突き刺さっている。ここは、地雷原なのだ。

かつて、この場所は戦地だった。大量に設置された地雷が撤去されないまま放置されている。戦争の終結から数年が経過した今でも、この場所には多くの地雷が残されたままである。踏まれず、食い荒らされずにすくすくと育った命が、地獄の上に広大な花畑を生み出していた。そこにはもはや、かつてそこで散っていった命の姿など、影もなかった。

 私に似ているな、と少女はちらと思った。彼女の中にも、過去の面影はない。本当にないのかすら、彼女は知らない。今彼女が持っているのは、自身の名前“だと聞いた”、ガラテアという名と、鋼鉄でできた体だけである。

 ガラテアの体は、全身が機械だった。思考回路だけが人間のものであり、脚も腕も胴体も、すべて機械人形である。二年ほど前、彼女は大怪我を負い、もう助からないと断言できるほどのひどい状態で病院に運び込まれた。生まれ持った体はもう、使い物にならないのである。そこで世界的にも著名な天才科学者である博士は、機械の人形を造ると、そこにガラテアの記憶を段階的に移植した。そして新たな体を以て、ガラテアは復活を果たしたのだ。

 だが、その移植は完璧ではなかった。最先端の技術を用いて復活こそしたが、怪我や出血による脳へのダメージと、移植時の摩擦によって、ガラテアの記憶は失われてしまった。常識や知識ははっきりと記憶できていたが、その他は断片的であったり曖昧であったりして、元の人間としての“ガラテア”を形成するには不十分だった。結果、ガラテアは蘇る以前のことはほとんど覚えておらず、若干の情緒を身につけただけの機械人形と化してしまった。機械になったあとの彼女は、さながら人形であった。必要がなければ誰とも話さず、命じられたことを淡々とこなすだけである。そこにはもはや、人格などというものは存在していなかった。

 ガラテアは、毎日を無機質に生活していた。自らを造った博士と共に暮らし、研究の手伝いをしながら、与えられた七時間の自由時間を街の中で過ごしていた。しかし特に何かをするわけでもなく、自由時間に彼女がすることといえば、蒸気と人が行き交う街角を、金属音を響かせて歩くくらいだった。一緒に生活している博士は、変わり者だった。朝食はとらないが、いつも甘い飲み物を飲んでいる。実験や商談に明け暮れ、そして暇さえあれば、ガラテアとコミュニケーションを取っていた。研究を趣味と考えれば話は別だが、趣味も女もなく、毎日ガラテアに関する研究しかしない彼の姿は、正しく変わり者だった。ガラテアに自らを『父親』と呼ばせたり、開発した物たちを自ら『娘』と呼んで溺愛したりと、変わり者を超えて、もはや異常とも言える。博士は、そんな人だった。

 研究というのは、博士が命じる様々なことをガラテアが正確にこなせるか試すという、簡単な知能実験だった。実験では計算をさせることもあれば、街の中のランドマークを、メモの順番通りに周らせる実験、幼児が描いたのかと疑いたくなるような、下手な絵画に題名をつけさせる実験、風景や人物を写した写真を眺めさせ、感想を言わせる実験―――博士にとっては、なにか重要な意味があるのだろうが、傍から見ても、ガラテアにしてみても、何の意味があるのか全くわからないものが多く含まれていた。中には、バレエの演目を練習させるなどという実験まであった。実験がうまく行かないと、博士はいつも眉間にシワを寄せて何か深く考え込んだ。彼女に辛いなどといった感情は沸かなかったし、実験には素直に付き合っていたが、この実験に科学的な意味があるとはどうしても思えなかった。

 そんなある日のこと。博士がいないときにガラテアの旧友を名乗る若い女が研究所を訪れた。ガラテアがここにいると聞いて訪ねたが博士に入れてもらえず、こっそり忍び込んだのだという。旧友は彼女の姿を見つけると、ガラテアの冷たい体を強く抱きしめた。そして女は思いの丈やしばらく会わなかった間に起こったことなどを嬉々として話して聞かせた。しかし、ガラテアの方は、彼女のことを覚えていない。そのうち段々話が噛み合わなくなってきて、女の表情が徐々に曇っていった。最後には、苦虫を噛み潰したようになって、『変わってしまったわね』と一言呟いた。そこへ博士が帰ってきた。博士は女を見るなり、すごい剣幕で彼女に迫り、『私の娘を刺激するな』とだけ言ってそのまま追い出してしまった。

 それ以来、次第に彼女は、『“ガラテア”はもうどこにもいないのではないか』、と考えるようになった。彼女は自らの存在意義を問い始めた。彼女には、過去の記憶もなく、身の回りに彼女の家族を名乗るものもいない。母親はガラテアより少し先に他界したらしかった。父親の所在を博士に聞いても、『今はまだ君に大きなショックを与えるわけにはいかない』と、渋ってなかなか教えようとしない。そして、あの旧友の言葉。“ガラテア”の面影は、彼女の中だけではなく、もはや周囲の人間の中にも存在しないに等しいと思えた。もはや自分は、生きていた頃の“ガラテア”ではない。同じ名前を名乗る資格などないのではないかと思い始めた。

ある日博士が、彼女の体のスペアだと言って新しい機械人形を開発し始めたときに、ガラテアの、自らの存在意義への問いに答えが出た。自分は消えるべきだ、と。

 ガラテアはそれからというもの、自由時間を自己の消滅を試みることに使った。しかし、流石と言うべきか、博士が造った機械の体は、かなり頑丈だった。高さがおよそ五十メートルはあろうかという煙突から飛び降りても、足首の関節が少し傷んだだけで、その日のうちに博士が修理してしまった。彼女は体内に内蔵された、博士の発明した半永久的に燃え続ける炉を原動力として動いているため、餓死どころか、食事はそもそも必要ない。無駄とわかっていながら、劇薬を経口摂取したこともあるが、すべて体内炉で燃やされてしまった。溶鉱炉の中に飛び込んでみたこともある。表面の塗装はすぐに剥げ始めたが、その下の金属の耐熱性が尋常ではなかった。一時間ほどして石炭を追加しに来た作業員に見つかってしまい、博士を呼ばれた。そのときには、少し顔が赤くなっている程度で、体には何の影響もなかった。博士は、ガラテアが溶鉱炉の中にいた事は製鉄所の過失とみなしガラテアを責めることはなかったが、二度と彼女が溶鉱炉に入らないよう街中の製鉄所に触れ回ったため、この方法はもう試すことができなかった。反社会組織に自らを破壊してくれるように頼んだこともあった。だが、大男数人が殴る蹴るの暴行をしても無傷、数百発の弾丸を打ち込まれても無傷、車で引きずり回したりギャング同士の抗争の最前線で戦わせたりしても無傷と、あまりの強靭さに、街を牛耳る組織でさえ刃が立たなかった。その強さから、ガラテアは彼らに鹵獲されかけたが、すんでのところで博士が百機を超える戦闘用オートマタを連れて現れ、その場にいたギャング全員を射殺することで免れた。

 その他にもガラテアは、様々な方法で自滅を試みたが、だめであった。四ヶ月間、856時間の自由時間を、計画、実行に費やしてわかったのは、関節部が少し弱いということだけだった。彼女は絶望した。睡眠をとることもなく、一時たりとも意識が途切れることなく過ごす生活の中で、ずっと自らを葬る方法を考えるというのは、苦痛だった。その四ヶ月の間にも、実験は多く行われたが、博士の方も期待した結果は得られていないようで、疲労している様子だった。もう限界だと、彼女は思った。博士のためにも、“ガラテア”のためにも、一刻も早く自滅を行わなければならない。自分がいなくなっても、博士は自分より優秀なロボットを造ることができる。“ガラテア”になれなかった自分より、優秀なロボットを。ガラテアは、最終手段を取ることをついに決めた。そして、訪れたのだ―――誰も足を踏み入れず、博士にさえ『決して行くな』と言われた禁足地―――街の外、地雷原を。

 ガラテアは、地雷原に広がるきれいな空気を吸い込んだ。それが呼吸ではなく、何の意味もない空気の出入りでしかないということは、彼女自身よくわかっていた。無為であったとしても、せめて人間らしく、これから行うことに見合った呼吸をしたかった。

 ガラテアが地雷原を訪れた理由は、三つあった。一つ目は、単純に爆発による自滅を試みたことがなかったから。二つ目は、博士が唯一、『絶対に行くな』と念を押した場所だから。ここにガラテアが来ると、何か不都合だということだろう。そして、三つ目。ガラテアはそっとまぶたを閉じた。だからといって思案がはかどるわけではないのだが―――自分の中に残った、僅かな“ガラテア”の記憶。微かな父母の面影や、部屋の片隅に飾られた花瓶、飛行船の上から見た街の風景。断片的すぎて、何の記憶なのか全くわからないものばかりだったが、その中に唯一、この街らしくない風景の記憶が混ざり込んでいた。それは、彼女が草原で花を摘んでいるという記憶だ。なぜか悲しい気分で摘んでいたことが、強くガラテアの心に残っている。しかし、街の中に草が茂っているような場所はない。そこで、思い当たった場所。街から遠いものの、一面に草原が広がっていて花が摘めそうな場所である、地雷原こそが、この記憶の舞台なのではないかと目星をつけたのだ。もし、すべてを思い出して、自分が“ガラテア”として振る舞うことができるのなら、それが一番良いことだ。おそらく、誰にとっても。記憶の中にある場所に立つことで、“ガラテア”の記憶が戻れば――――そんな希望もありつつ、彼女は地雷原へとやってきたのだ。

 いざ草原に立つと、やはり地雷原は、記憶の中の風景にかなり近い場所であることがわかった。植物の伸び具合を見る限り、“ガラテア”がこの景色を見たころからあまり長い時間は経過していないようだった。彼女は、高揚感にも似た感覚を覚えた。ないはずの鼓動が、徐々に高まるような―――機械の体が徐々に融けていくような、そんな感覚だった。しばらく立ち尽くし、その感覚を確かめようとしたが、結局掴めないまま、薄れていってしまった。彼女はうつむき、目をつむった。やはり、自分は“ガラテア”のなり損ないなのだと、彼女は無理やり腑に落とした。ならば、することは一つしか残っていない。

 ガラテアは走り出した。草木と、看板を踏み倒し、地雷原の中へと入っていく。できる限り多くの地雷を踏むために。撤去されていないとはいえ、様々な生物が踏んでしまったり、何らかの衝撃で起爆するなどして、地雷自体の数はかなり減っていた。そのため、走り回っていてもすぐに地雷を踏むことはなかった。一見華奢な脚が、生い茂った草花の間をすり抜ける。風のそよぐ音の中に、ガシャリという機械音が連続して響いた。

それから小一時間走っても、まだガラテアは地雷を踏むことができずにいた。彼女は、漠々とした草原を、道順も効率もなくめちゃくちゃに走っていた。いよいよ地雷が踏めず、彼女が苛立ちさえ感じ始めた、その時だった。彼女の体が、不意にうつ伏せに倒れた。小石に躓いたのだ。痛みはないし、体に異常もない。しかし、草花と同じ高さに目線が来て、初めて“それ”を見ることができた。―――ガラテアの目の前に、土から顔を出す地雷があったのだ。

 ガラテアはゆっくりと立ち上がり、もう一度それを見据えた。それは所謂、『踏むと爆発する地雷』だった。ある一定の重量がかかることで爆発するもので、感圧重量の基準は5kgほどだがウサギなどの小動物が乗っても稀に起爆する。もし、鉄の塊が乗ったなら、確実に火を吹くだろう。十年ほど前の戦争で設置されたこの地雷は、錆びた信管を晒して、ガラテアの足元で密かに“その時”を待っていた。これを踏むことで、彼女がここに来た目的は達成できる。ただ、あくまでも通過点でしかないだろうことはガラテアも承知していた。あれほどの衝撃でも壊れなかった体なのだ。一発の地雷では壊れないだろうし、今更爆発で壊れなかったからといって、驚くほどのことではない。もとより彼女は数発起爆させるつもりだった。それでも、一つ目の地雷が見つかったことは、彼女にとって大きなことだった。

 また、高揚感がガラテアを襲う。今度は、より強く。感覚を掴もうと試みていると、彼女はその感覚が、高揚感とはどこか違うことに気づいた。何かが、彼女の冷たい手足を、不自然に震わせていた。

 進まなければ、ここに来た意味などない。ガラテアは、誰かにそう言われた気がした。そして彼女は、目を閉じ、竦む足で、一歩、踏み出した。

 爆音。

 熱い風が、彼女に叩きつけられる。ガラテアが予想していたよりも、遥かに大きな爆発だった。どうやらこれは、対人地雷ではなかったようだ。戦車も止める炎が、高く昇った。ガラテアの体が、大きく吹き飛ばされる。空が、掴めそうなほどに近づいた。青空と、風と、熱。白煙と、花弁と、浮遊感。それらが、“何か”に重なった。


「あ―――」


 彼女は、小さく声を漏らした。思い出したのだ。かつて起きた爆発を―――“ガラテア”が、先立った母に花を供えるために地雷原に入り、爆発によって半身を失ったことを。


「あ―――あああ―――」


 次々と記憶が蘇る。水道の栓をひねったように。あるべき場所へ帰ろうとするように。父の、格好いい博士としての姿。父が初めて造った飛行船から見た夕陽。ステージの上で踊る美しい母。母の病室に置かれた向日葵。父が、母を蘇らせるために制作していた、意思を持つことができる機械人形。

 彼女はもうすでに、機械人形ではなくなっていた。地雷は、体を壊すことはできなかったが、起爆剤になることはできた。ガラテアは、その記憶のすべてを取り戻したのだ。

 ガラテアの体が、頭から落ちていく。このまま落ちれば、ガラテアの思考回路が入っている頭部から着地することになるだろう。そして、首部分の“弱い関節部”が折れることによって、胴体の動力源と回路が切り離され、強制的にシャットダウンしてしまう。機械人形の願っていた自滅が、達成されるのだ。

 抗いようもなく、ただ落下していく。再び目覚めることができるかは、ガラテアにもわからなかった。せっかく取り戻したこの記憶も、また手放すことになるかもしれない。それでも―――と、彼女はそっと目を閉じた。

 そして、笑った。

 その笑顔は、かつて母と笑いあったガラテアのものと同じ、溌剌とした、少女の笑顔だった。


***


 機械が行き交う街、その外。草原の真ん中に、一人の可憐な少女が立っていた。

 その場所はもう、地雷原ではなかった。ずっと地雷を放置していた役所がやっと重い腰を上げ、大規模な撤去作業に踏み切ったのだ。博士が派遣した作業ロボットの活躍もあり、作業開始から一週間が経過した今日の時点で、すでに残る地雷はおよそ三分の一というところまで来ていた。すでに草原の一部は一般に開放されており、市民たちが忙しい日々の合間を縫って、時々散策をしていた。

 少女は息を深く吸った。―――相変わらずそれは、生物がする呼吸としての意味は為していなかった。それでも、以前よりもいくらか、彼女は呼吸をすることに意味を感じるようになった。博士に新しく与えられたガラテアの体は、温かみを帯びた、より人間らしいものだったから。

 ガラテアが再び目を覚ましたのは、あれからおよそ二ヶ月が経過した頃だった。博士は、もとの体の首関節の故障を直すことができなかった。そこで博士は、開発途中だったガラテアの体のスペアを急ピッチで建造し始めた。もとよりそれは、記憶を失ったガラテアが、せめてより人間らしく良い生活を送れるように、機体の各所に人間らしさを盛り込むというコンセプトで開発していたものだった。スペアボディの建造が終わり、思考回路の移送も問題なく完了した。彼女が取り戻した記憶もしっかりと引き継がれ、今度こそ、ガラテアは蘇ったのだ。

 風に髪をなびかせながら、ガラテアはそっと、自らの胸に手を当てる。柔らかな肌の下で、トクトクと、心臓が優しく脈を打っていた。彼女は、やっとの思いで人間らしい体を手に入れることができた。しかし、それはほんの一部を取り戻しただけに過ぎないだろう。失ったものは、あまりにも大きすぎる。それでも―――と、ガラテアは笑みを浮かべた。何度失っても、必ず幸せが手に入る。大きな喪失があっても、いつかまた幸せになれる。彼女は常にそう信じている。少女らしい、底抜けの明るさだった。

 ガラテアはこの頃、踊りを習い始めた。かつて、プロの踊り子だった母に教わっていたこともあり、講師が教え方に困ってしまうほど筋が良かった。今の彼女の夢は、街で一番大きな劇場で踊ることだった。母が踊っていた場所と、同じステージで。

 どこかで、小鳥が歌っている。その声に合わせ、ガラテアは体を揺らし、思いつくままに踊り始めた。

 かつて多くの命が散った場所で、新しい命が、希望を踊っていた。


fin.

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