- 雑用係は、それから
王都ナティアの治療院は、小高い坂の上にあった。
重なるように並ぶ街中の屋根を眼下に、その先には山影を望むことが出来る。西の空が赤く染まる中、ルネは病錬の間にある広い渡り廊下を歩いていた。
王立騎士団に雇われたルネは、王都ナティアの治療院へ派遣という形で働いていた。最初の仕事は、まだ完治していない屍狼の呪いにかかった騎士の治療だ。
症状の悪化にじりじりと耐え、病室のベットで横になっていた騎士たちは、効果的な治療があり完治した人がいるという希望が見えたことで、雰囲気が明るいものに変わった。
ルネはナティアの癒し手に術を教わり、また自身も眠りから治癒に至る力の使い方を教えた。同じ治療に当たれる人が増えれば、それだけ患者を早く苦しみから解放出来る。
ミネダの治療院から移動してきたレオンとバートは回復し、肩慣らしもあってか王都で勤務をしている。ときおり、まだ痺れが出るということで、通院の際にルネと顔を合わせていた。
彼らの話で、早々に現場復帰したグエンとアレックは、北方警備隊の立て直しをはかっていると聞いていた。
「復帰して間もない病人だぞ!?」
「人使いが荒い!」
と二人は相変わらず散々ぼやいているらしいが、レオンとバートはそろって「隊長たちの化け物じみた体力と回復具合がおかしいから仕方ない」と全く同情のない様子だ。
時おり王都に用事があるらしく、お互い忙しく時間は取れないがグエンやアレックから、声をかけられることもあった。
グエンとアレックの回復が早かったのは、それなりに理由がある。場慣れしていた二人は、噛みつかれてからの処置が早かった。
自ら噛み痕から血を絞り、水で洗い流していたことが早期回復の理由だと思うが、それにしても復帰が異常に速いと言われてしまうのも、……まあ確かだ。
同じく現場で治療したロシェも回復が早く、王都で騎士の治療に当たっている。顔を合わせた際には、落ち着いたらルネの力の使い方を本格的に学びたいと、声をかけられている。
そのうえ「屍狼に噛まれてから身体が強くなった気がします」と、非常に前向きな感想を聞かせてくれた。穏やかな風貌ではあっても、彼の精神力は騎士向きだったと思い知った。
王都と言う賑やかな環境に慣れないせいもあり、過ぎる日々は忙しい。
新しい勤め先である治療院の間取りも広く、始めの頃は迷子になりそうだった。ようやく、人の名前と顔が一致してきたこの頃だが、王都の街中の道を覚えるのはもう少し先までかかりそうだ。
眺めの良い回廊でぼんやりしていると、せわしない足音が聞こえてきた。
振り替える間もなく「ちょっと!」と、アニスがルネの肘の辺りを引っ張る。
「今日も残業するって何! 昨日も一昨日だって別な人の練習に付き合っていたでしょ!」
「あ、あー。治療できる人が増えれば、早く病は良くなるし。私もみんなも楽になるし。今だけ頑張ればいいかなって」
「今だけなんて、結局毎日じゃない!」
「そんなことはないと思う……」
「あんたが倒れたら困る人がいるって何でわかんないの!」
「倒れたりしないよ。そこまで大変ではないし」
ルネがミネダの治療院を離れてしばらく経った時、アニスもナティアの治療院に勤めることになった。
グエンが声をかけてくれたという。たった一人、見知らぬ土地で働くことになると思っていたルネに、これ以上の心強い味方はいなかった。
給金が増え、王都へ行けると聞いたアニスは「勿論行くわ」の二つ返事だったという。
ミネダの治療院での夜遅くから朝早く、しかも食事は貧しく時おり抜かれ、冷たく固い台所の床で寝ていたルネには「誰かの練習に付き合うのは、そこまで大変」な状況ではない。
働く時間は前より短く、食事は十分な量があり、しかも美味しい。そのうえ、広くはないが柔らかく清潔なベットがあるのだ。
あの頃に比べたら、残業など大変なことではない。
それでも納得しない顔でいるアニスの優しさに困ったなと、ルネが首を傾げた時、思いがけない姿が目に入った。
「あ、アレックさん?」
「おー」
「王都に来てたんですか」
「報告がてら昨日からこっち。レオンなみに騒がしい声がするなと思ったら」
アレックはアニスを見下ろし「遠くからでも、すぐわかって便利だな」と言った。
「は? 私のことですか!? いやだってこれはルネが、聞いてくださいよ!」
「あ、グエン隊長も」
「よく聞こえる声だな」
近づいたグエンは紙袋をルネの手にのせる。袋はほんのり暖かく、微かに甘い良い匂いがした。
「街で評判らしい」
袋をあけてみると、見慣れぬ焼き菓子が入っていた。
「お、いい匂いがする」
近寄るアレックに「お前に買って来たわけじゃない」とグエンが顔をしかめる。
「どうせ、余るほど買ったんだろ」
ルネは隊長にお礼を言い、アレックとアニスに袋からお菓子を取り出した。
「こっちの生活には慣れたか」
「はい。隊長のお陰で少しづつ。ありがとうございます。本当に色々と。皆さんに助けてもらって何とか過ごせています。住むところまで、良い場所を斡旋してもらって」
特別報奨金として提示された金額は、ルネの感覚で有り得ない額だった。
受け取るのも恐ろしく、新しい生活に必要な
他にも「眠れているのか」など、何かと気にかけて貰っている。
確かに天幕の中で人に襲い掛かる屍狼を間近にしてから、真夜中に内臓を引きずる、あの不気味な姿を不意に思い出す日もあった。
それも王都での新しい日々に薄れつつある。屍狼やミネダの治療院を思い出す間も無い忙しさが、ルネにはかえって有難かった。
一見するとみんな口と態度が良いとは言えないが、レオンやバート、アーロウの懐き具合は、このグエンの性格から来ていたのかもしれないとルネは一人納得した。
「今回の功績と、命の恩人に対して、住まいと職の斡旋だけなんて安すぎる恩返しだろ。だいたい、今いる場所はルネが自分の力で掴んだものだ」
凄いよと、グエンの純粋な称賛はあまりに真っすぐで「そうでしょうか」と返事をしたものの、落ち着かない。
誤魔化すように、腕の中の袋を抱えなおせば香ばしい匂いがした。
アレックとアニスのうまい美味しいという歓声と、そうだろうというグエンの得意げな声。
夕暮れに吹く風が、ルネの髪を優しく撫でる。
見晴らしのいい回廊から、人々が行きかう街が見えた。
王都で、しかも王立騎士団の癒し手として働くなんて、少し前の自分には想像も出来なかった不思議な状況だ。
この先、また新たな困難はあるだろう。
そうだとしても、穏やかで満ち足りた時間がゆっくりと流れる今、確かに幸せだとルネは感じていた。
治療院の雑用係と、屍狼に呪われた騎士 森沢 @morisawa202305
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