5-4 雑用係、最後の試練

 ルネは北方警備隊の野営地で屍狼に噛まれた騎士を治療をし、彼らが王都ナティアの治療院に移ると同時にミネダへの帰途についた。


 現場ですぐに応急処置出来た騎士たちは、そう遠くなく回復するだろう。

 王都には、ルネが北方に来る前に治療院に移された騎士達がいる。来てくれたら心強いと現場で声をかけられ、王都の治療院へ付いて行こうかと少し迷いはあった。

 グエンも当面の間、一緒に残ればいいと言う。

 討伐へ貢献した功績で、騎士団が優遇してくれると。それが決まるまで待てばいいと。


 しかし正式にはまだ何も決まっていないのだ。肩書は雑用係でしかないのに、自分から言い出すなんて、おこがましいだろう。

 それに元居たミネダの治療院に、何も言わずに出てきた。その状況を、常に忘れることは出来ない。

 抜け出す時に手を貸してくれたアニスも心配だった。頭の片隅で、いつも引きずっていた。

 

 アレックがバートとレオンを王都の治療院へ転移させるため、ミネダへ迎えに行くという。アレックに一緒に連れて行って欲しいと相談すると「向こうの治療院なんて無視していいだろ」と言われたが、ルネは首を振り「私も戻ります」と告げた。




 ルネとアレックが馬車へ乗り込むと、王都へ戻る騎士隊が馬の手入れをしていた。 

「グエン隊長も、一度王都へ戻る予定ですか?」

「あれでも北方警備隊長だからな。まだ現場の後処理で動けないらしい。用事が済んでから追いかけるって言ってたけど」

 アレックにそうですかと答えながら、ルネは少し寂しさを感じた。

 グエンはそのまま北方警備隊へ残るのかもしれない。そうなれば二度と会えない可能性もある。

 いや、もともと騎士であるグエンやアレックと、こんなに近くで、気さくに会話できる関係がまず有り得なかったのだ。

 寂しさを感じても仕方がない。


 北方警備隊の野営地には男性はもちろん女性騎士もいた。

 隊服を返して、元の破れかけた服を着るつもりが、野営地で一緒だった騎士達がどこからか女ものの服を調達してくれた。驚くルネに、治療に感謝していること、時間が有ればもっときちんとしたものを揃えるのに、と悔しそうに言われた。

 アレックにも帰りに街に寄り、身支度を整えることを提案されたが、十分だと首を振った。たくさんの人の気持ちが嬉しかった。

 ミネダを出る前と、今は違う。ここから新しい日常に戻るのだ。

 それに自分にとっての最後の試練はまだ終わっていない、ルネは長い道のりを戻る馬車の中で気を引き締めた。



 ◇


 北のガーウェとは違う柔らかな山並みと町を見下ろす丘で、騎士団の紋章が付いた馬車が止まる。ミネダの治療院に戻ったルネは、アレックと共に馬車から降りた。その瞬間から二人は目立っていた。

 

 まるで罪人の連行のように、院長室へと通され、あきらかに不機嫌な相手と対面した。

「よくも私の顔に泥を塗るような真似が出来たな」

 苛立ちの混じる、重低音の声。

 ルネがこの部屋に入るのは、来客があるなど人手のいる特別な掃除の時だけだった。

 開けっ放しの窓から、緑のつたを揺らす穏やかな風が、重たいカーテンの表面を撫でている。

 院長と向き合って会話するなど、最初に拾われた時から片手で数えられる程度だったとルネは思い返した。


 ついうつむきそうになるルネだが、隣についてくれたアレックの見守るような視線に励まされた。

 帰りの馬車の中でも「いつでも加勢するぞ」と、大げさに肩をまわし、楽しげに笑っていたことを思い出す。

 腕力で言えば、確かにアレックにとって院長はまったく怖くないのだろう。

 とはいえ、何かあって騎士団を解雇されたら困るのではないかと思うのだが、アレックやグエンを見ていると、どこでも生きていけそうな余裕があるもの確かだ。

 

「動けないでベットの上に居た時、いろいろ考えたな。この呪いの病から生き延びれたら、今までと違う生き方も面白いかもって」と、馬車の中でアレックは言った。

 ルネもここ数カ月で大きな変化があったが、グエンやアレック、レオンやバート、それにアニスもそれぞれ環境に変化があった。

 そうやって落ち着いて周りを見れば、ルネは変化に向き合うのは自分だけでは無いと気が付いた。


 院長の傍らに立つマリエッタの白っぽい金髪の髪は、今日も美しく結い上げられている。

「あなた、どれだけ迷惑をかけているかわかっているの?」

 出来れば会いたくなかった。まさか部屋の中で待っているとは思わなかった。苛立ちを隠そうとしない、棘のような言葉。

 ルネは自分を奮い立たせるように背筋を伸ばした。

 

「自分のしたことがわかっているのか」

 院長の怒鳴り声に、身体が反射的に怯んでしまう。ルネは力を込めて手を握り、立ち向かうために顔を上げる。

「わかっています。けれど、私に直せる人がいるのに、見過ごすことは出来ません」

 

 院長はわずかに目を見開いた。ルネが言い返すとは思っていなかったのだ。

「私はこの治療院を出ていきます。今日はそれだけを伝えに来ました」

「出ていくって何? そんなこと許されると思ってるの?」

 マリエッタが意地悪く笑う。愛らしいとは思えない、片方の口角が歪んだ顔。蔑んだ表情を伏せることもしない。

 

「意見を言うなんて、そんな立場無いでしょう。……でもあなたらしいわ。出しゃばった真似をして騎士に近づいたんでしょ? それで誤解した騎士たちにおだてられて、おかしくなったのね。自分の生まれを忘れちゃったの?」

 傍らのアレックが「おだてて治して貰えるなら安いな」と小声で呟いている。

 

「うちのお父様が拾ってあげたの、ほら感謝しなさいよ。あなたみたいな身寄りのない育ちの卑しい人は、一生私たちに従ってご飯を貰って、それを感謝して生きないといけないのよ」 

 少し前の自分はそうだと、弱い自分はそうやって生きていかなければならないのだと思っていた。


「拾った恩を忘れたか」

 院長が重く口を開く。

 ルネは内心で首をかしげる。ここまで下働きを相手に執着するのは、悔しいからだろうか。

 だいぶ下に見ていた相手が、自分の力で自由に飛び出していく様が。

救貧院きゅうひんいんで、何一つ持っていないお前を拾ったのは私だ。拾わなければ、お前など野垂れ死んでのではないか」

 山火事に焼け出された人達、母を亡くした焦燥。思い出す頻度は減っても、頭から消えはしない。


「恩の分は働きました。それでも足りなければ、この先働いてお金で返します」

 はっきりと言い切ったつもりだが、他人が聞いたら声が震えていたかもしれない。でも自分なりの精一杯の抵抗をしている手ごたえはあった。

「あんたの給金なんて安すぎて、一生働こうとどうせ足りないじゃない」

 皮肉にも、怖くても怯むものか。

 だいたい、天幕で狼に襲われそうになったあの夜を思えば、今は穏やかな日差しの部屋で話をしているだけ。あの状況より怖がる必要はない。

 きつく口を結んで、院長をマリエッタを見据える。自分の意思を通すのだ。


「台所の床では足りなかった? だったら地下倉庫に押し込めて、反省するまで鞭で打たせてやる!」

 押さえきれなくなったマリエッタの叫ぶような怒りの声に重なり、部屋の外がざわついた。

 同時に、重いドアがノックも無く勢いよく開く。


 赤みがかった焦げ茶の髪が乱れ、男の目の上にかかっている。

「悪い。ちょっと遅くなったな」

 その声にルネは呆然と、突如現れたグエンを見た。背後から「え、なに」と戸惑うマリエッタと「ぎりぎり間に合ったな」とのんびり言うアレックの声がする。

 

「王立騎士団より特別報奨の知らせだ」

「報奨?」

「彼女は屍狼の討伐に貢献し、国の危機を救った」

「は? 何言ってるの。こんな雑用係に何が出来るっていうの?」

 マリエッタが奇妙な笑い声を立てる。

 

「何年も近くに居た癖に、何もわからなかったんだな。彼女は優秀だ。癒し手として、類まれな才能がある。そのうえ、ひたむきに努力する力と、あんたらには欠片もない謙虚さまである」

「この女はただの汚い山の孤児でしょ!」

 

「ルネを特別待遇で騎士団が雇う。そちらが、どんな契約で彼女を雇い入れているか分からんが、必要な経費があるのなら全額負担する準備がある。まあ、どうせまともな雇い入れなんてしてないんだろうが。身寄りのない子供相手の、人さらいもいいとこだろ?」

 グエンが遠慮なく悪い顔で笑う。

「なんだと」

 院長の皺のよった額に、青筋が立つようだった。


「もっともこの提案は、彼女が了承したら施行される」

 グエンがルネを見る。

「嘘よ。そんなことあるわけない!」

 マリエッタの悲鳴のような叫びが、素通りするように、もはや虚しさを持って響く。

 院長室の厚いドアの向こうから、好奇の目でのぞく人たちの姿があった。蔑んでいた人、助けてくれた人。今にも飛び出しそうなアニスの姿もある。

 

 決定権があるのはルネだと、向き合ったグエンの目が言っている。

 どこへ行きたい、何をしたい。

 あの夜の会話が蘇る。騎士団で働く、この治療院を発つ頃には考えみたこともなかった。未知の場所に不安はある。けれど。


「君の力をかしてほしい。一緒に来てくれないか」

 知らない世界に戸惑いと迷いはあっても。

「……はい」

 飛び込んでみようと思った。

 もしその場所が合わなくとも、やり直せる。

 自分にはそれを試すだけの力があると。信じてみようと思った。

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