アユーブの宝物

丸井まー

アユーブの宝物

 水底に沈むキラキラと輝く硝子の欠片を拾い上げ、アユーブは水中をかいて、水面へと向かった。

 ぷはぁと水面から顔を出して、仰向けに水に浮かぶ。硝子の欠片を陽の光に翳してみれば、キラキラと宝石のように輝いた。


 アユーブが暮らす村にある大きな湖には、上流の川から時折硝子の欠片が流れてくる。アユーブは小さな頃から、キラキラと輝く硝子の欠片を拾い集めるのが好きで、暇さえあれば湖に潜っている。


 アユーブが今日の戦利品に笑みを浮かべていると、湖の近くから大きな声で名前を呼ばれた。アユーブは泳いで湖の岸へと向かった。

 湖から出ると、よく日に焼けた青年が呆れた顔をして立っていた。幼馴染のマララである。マララは精悍な顔つきをしていて、村の女にとてもモテる。世話焼きで、ふらふらしがちなアユーブをよく世話してくれている。

 アユーブは濡れた短い黒髪を適当に後ろに撫でつけ、マララに声をかけた。



「なんかあった?」


「『なんかあった?』じゃない。親父さんがお前を探してたぞ。もうすぐ妹の結婚式じゃないか。準備を手伝わなきゃ駄目だろう」


「ははっ。手伝ってるさ。ちょっと息抜きしてただけ」


「そうかい。また硝子を拾ってたのか?」


「うん。ほら。見てよ。今日のは淡い緑色だ。宝石みたいだろ?」


「確かに綺麗だけどな。俺達、宝石なんか、まともに見たことないじゃないか」


「まぁね。でも、これもキラキラしてて本当に綺麗だ」


「ほら。そろそろ行くぞ。明日は羊の解体をするんだ。忙しくなるぞ」


「はぁい。マララも手伝ってくれるんだろ?」


「当然。お隣さんだし、アーミナは俺にとっても妹みたいなもんだからな」


「うん。アーミナもついに嫁にいくのかぁ」


「アーミナは愛嬌があって可愛いし、働き者だから、きっと嫁いだ先でも可愛がられるな」


「うん。そうだといい」



 数日後に、妹のアーミナが結婚する。嫁ぎ先は少し離れた村で、今後は中々会えないだろう。寂しいが、アーミナが幸せになってくれる方がいい。本当はマララに嫁にもらって欲しかった。そうすれば、マララもアーミナもずっとアユーブの側にいる。実際、マララにアーミナを嫁にしてくれないかと打診した事がある。その時は、『自分は次男で継ぐものがないし、何より好きな相手がいる』と断られた。マララに好きな相手がいたとは知らなかったので驚いたが、それなら仕方がないと諦めた。

 アユーブも次男だ。家は兄が継ぐので、自分は適当に婿入りでもしたいが、結婚する為の資金が無いから無理な話だ。


 アユーブの家は主に湖で魚を獲って、それを乾物に加工して売っている。マララの家も同じで、一緒に漁に出ることが多い。


 アユーブはマララと並んで家へと向かって歩き始めた。

 マララの方が少しだけ背が高い。癖のある黒髪に深い青色の瞳をしていて、マララの瞳もまるで宝石みたいだなと思う。アユーブは地味な茶褐色の瞳をしているから、少しだけマララが羨ましい。顔立ちも普通だし、女にモテた試しがない。

 歩きながら、マララが話しかけてきた。



「なぁ」


「んー?」


「お前、好きな女とかいるのか?」


「今のところはいない」


「そうか。……俺達、もう二十になるだろう?」


「うん」


「そろそろ家を出た方がいいけど、結婚する金なんて無いし、アユーブさえよければ、二人で小さな家を建てて、一緒に暮らさないか?」


「んーー。……まぁ、いいか。結婚するアテなんてないしな。アーミナの結婚式が終わったら、家を建て始めるか」


「あぁ。どうせ二人だけだし、小さい家で構わないだろ」


「そうだな」



 アユーブは深く考えずに、マララと一緒に暮らすことを決めた。

 アーミナの結婚式は無事に終わり、アーミナは少し離れた村へと嫁いでいった。アーミナとは四歳離れていて、マララと二人で可愛がっていた。アーミナがいない寂しさを誤魔化すように、アユーブはマララと二人で、漁の合間に二人で暮らす小さな家を建てた。


 土煉瓦で壁を作り、木の板で屋根を作った。炊事場と一部屋しかない本当に小さな家だ。厠は外に作った。湖の近くに作ったから、風呂場は必要ない。毎日水浴びをすれば、それで十分だ。そもそも、風呂は贅沢なものだ。薪をいっぱい使うので、実家でも滅多に風呂には入らない。

 季節が変わる前に、二人の家は完成した。床に敷物を敷き、布団と少しの着替えだけを運び込んだ。独立祝いにと、両家の親達が小さなテーブルと椅子、二人分の食器類をくれた。

 夏の終わり頃から、マララとの二人の暮らしが始まった。


 アユーブとマララの朝は早い。日が昇る頃に起き出して、簡単な朝食を作って食べ、漁に行く準備をする。お互いに実家に雇われているような形になるので、毎日朝から晩まで働いて、その日の日銭を貰ってから、二人の家へと帰る。どちらの家も裕福ではないので、稼ぎは少ない。それでも、一応暮らしていけるだけの稼ぎはある。

 夕食に、売り物にならない干した魚を焼いて、買ってきたパンも軽く炙る。

 質素な夕食を終えると、パパッと後片付けをして、アユーブは自分の宝箱の中身を覗いた。


 木でできた箱には、アユーブの宝物である硝子の欠片が沢山入っている。何年もかけて集めた大事なものだ。様々な色の硝子の欠片が入っており、アユーブは深い青色の硝子の欠片を手に取り、窓を開けて、月明かりの下で硝子の欠片をうっとりと眺めた。月の柔らかい光でキラキラと輝く硝子の欠片はとても美しい。

 アユーブがご機嫌に硝子の欠片を眺めていると、マララが話しかけてきた。



「本当に好きだな」


「うん。だって綺麗だろ」


「そんなもんか。……なぁ」


「んー?」


「一緒に寝ないか?」


「いつも一緒に寝てるだろ」


「そうじゃなくて、一緒の布団で寝ないか?」


「暑いだろ」


「俺は気にしない」


「まぁ、別にいいけど」



 アユーブは特に深く考えずに頷いた。

 いつもは布団を並べて、其々の布団で寝ている。今夜は布団を一組だけ敷き、マララと一緒に布団に潜り込んだ。なんだか幼い頃を思い出す。幼い頃は、布団を干した日なんかは、よく二人でお日様の匂いがする布団に飛び込んで、そのまま昼寝をしたりしていた。

 ピッタリとくっついているマララの体温が暑いが、意外とそこまで気にならない。

 狭い一人用の布団の中で、アユーブはマララとくっついて、ぐっすり眠った。


 穏やかに月日は過ぎ去り、マララと暮らし始めて、初めての冬がきた。マララとは毎日一緒の布団で寝ている。マララと寝ると、温かくて、とてもよく眠れる。

 二組の布団を重ねて敷いて、アユーブはマララと一緒に布団に潜り込んだ。

 今夜は特に冷える。アユーブはマララの逞しい胸元に顔を擦りつけるように、ピッタリとマララにくっついた。足も絡めて、全身でマララの体温で暖をとる。

 アユーブがぬくぬくしながら、うとうとし始めると、マララがアユーブの身体をやんわりと抱きしめた。



「アユーブ」


「んー?」


「その、夫婦めおとにならないか?」


「男同士だろ」


「そうだけど、ずっとお前と暮らしていたい」


夫婦めおとにならなくても、ずっと一緒に暮らすだろ?だって、嫁なんかもらえないし」


「それはそうなんだが……お前が好きなんだ」


「へ?」


「アユーブ。お前だけをずっと愛してる。もっと触れることを許して欲しい」



 アユーブはピタリとマララの胸に耳をくっつけた。マララの心音がバクバクと激しく速い。どうやら本気のようである。

 アユーブは少しだけ考えてから、マララの胸元から顔を離し、布団から顔を出して、真正面からマララを見つめた。

 マララはどこか緊張したような顔をしていた。

 アユーブは、まぁいいか、と頷いてみた。マララのことは好きだ。男同士で夫婦めおとになるのが、具体的にどういうものなのかよく分からないが、元からずっと一緒に暮らしていくつもりだった。マララがアユーブを望むのなら、応えるのも吝かではない。そう思う程度には、アユーブはマララが好きだ。

 アユーブがそう言うと、マララが今にも泣きそうな不細工な笑みを浮かべて、アユーブの身体をぎゅっと抱きしめ、唇に触れるだけの接吻をした。接吻なんて生まれて初めてだ。いや、違う。幼い頃に、マララにされている。もしや、その頃から、マララはアユーブの事が好きだったのだろうか。


 アユーブはこつんと額を合わせてきたマララの宝石みたいな青色の瞳を見つめた。マララの瞳は微かに潤んでいて、本当に宝石みたいにキラキラ輝いている。

 あぁ、綺麗だな、と、アユーブはうっとりとマララの瞳を見つめた。


 それから、アユーブはマララと秘密の夫婦めおとになった。男同士で夫婦めおとになるなんて、聞いたことがない。誰かに知られると、奇異な目で見られそうなので、秘密にしている。


 アユーブはマララとの穏やかな日々を愛するようになった。マララのことも、側にいて当然だと思う。思えば、夫婦めおとになる前から、マララはずっとアユーブの側にいてくれた。


 お互いに五十が近くなった頃。

 アユーブは、アユーブだけの宝石をじっと見つめた。マララの瞳は、歳を取った今でもキラキラと輝く宝石のようだ。

 皺の増えた顔で黙々と繕いものをしているマララを見つめて、アユーブは、ふふっと笑った。



「なんだ?」


「別に」


「そうか」


「うん」



 アユーブの宝箱に入っている硝子の欠片よりも、マララの瞳の方が美しい。

 アユーブはキラキラと輝く美しいものに囲まれて、とても幸せだった。マララと暮らす日々は、穏やかで、でも小さな嬉しいことがいっぱいあって、アユーブの世界がより色鮮やかになった。


 アユーブは、つつっと繕いものをしているマララのすぐ側に近寄り、マララに寄り添って、穏やかな笑みを浮かべた。



(おしまい)


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アユーブの宝物 丸井まー @mar2424moemoe

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