マスターは話が気になる
もんすけ
とある男の話
地方都市の駅近くに私が経営している喫茶店がある。
落ち着いた内装に良心的な価格、客の財布を考えていると自負している。
メニューはコーヒーが数種類、そのほかドリンクや軽食、酔客の相手が面倒くさいためアルコールは置いていない。
ごくごくありふれた喫茶店。
だが私はこの雰囲気を気に入っている。
……まあ私が経営しているのだから当たり前なのかもしれないが。
兎に角日がなのんびりと経営しているが、どうも私の店には変な会話をしている客が多い。
胡散臭い商売の勧誘ならまあよくある話だろう。
私の店に来る客は違う。
なんと言うか不思議な話や、テレビで言う「奇妙な物語」的なものが多いのだ。
聞き耳を立てるのもあまり好ましいものでは無いが、何故かそのような話をする客は私の近くに座る。
なにか変な話を引きつける能力でも私にあるのか、それともこの店が引きつけるのか。
この前来た若い男2人も変な話をしていた。
「もう嫌になりますよ…眠れなくなりますし」
康夫はカウンターで隣に座る1つ上の先輩、秀敏に話を切り出した。
「いきなり眠れないって言われてもなあ、何があったんだよ」
康夫とは同じ大学に通っており、よく飲みに行ったりしていたものだが最近はあまり連絡を取らなくなっていた。
久しぶりに連絡が来たと思ったら、とにかく話を聞いてくれの一点張り。
断っていたのだが、あまりにもしつこいため駅近くの喫茶店で話を聞くことにしたのだった。
「先輩は生霊って信じますか?人の恨みが募って出てくるという」
「生霊ってここ半年ぐらい学校に顔出さなかったのはそれか?バカバカしい、疲れてるんじゃないのか?」
康夫は休学届を出す訳でも無く、半年程大学に来ていなかった。
「もう相手はわかっているんですよ」
康夫はやけに血走った焦点の合わない目で呟いた。
「涼子なんですよ、涼子」
秀敏は言葉に詰まった。一瞬なんと言っていいか分からなかった。
「涼子ちゃんってお前が前に付き合っていた子じゃないか、だいたいあの子は…」
「別れましたよ!それこそ半年程前に。それからなんですよ!あいつが俺に付きまとうようになったのは…」
康夫は具体的な被害を語り始めた。
最初はちょっとした違和感だった。
部屋の物の配置が変わっていたり鍵を閉めたはずなのに開いていることがあったことだった。
自分の気のせいだとは思っていた。
しかしあまりにも物忘れが酷すぎる。
おかしいと思ったのは床の隅に長い茶色の髪の毛が落ちていることを見つけ始めた時だった。
その髪の毛を見つけた時全ての事象の犯人がわかった。
少し前に別れた、というより自分からフッた涼子のことだった。
元々短気な性格だった康夫は頭に血が上った。
絶対に涼子の仕業だ。
自分から別れ話を切り出したものだから嫌がらせをしているに違いない。
そう思い涼子が住んでいるアパートに向かったのだった。
「ああ…そんなこともあったなあ…あの時少し騒ぎになっただろ」
秀敏は言葉を選びながら、そう答えた。
「あの時はすみませんでした。涼子に対して怒鳴っている所を同じアパートに住んでる子に見られたりしたもので。」
「あ、ああそうだったな」
「ただそれだけで終わらなかったんですよ」
涼子はアパートで俯いたまま何も答えなかった。
康夫は二度と関わるなとハッキリ告げアパートを後にした。
でもそれで終わりではなかった。
数日経って暇つぶしにパチンコを打っている時に視線を感じた。
ふと斜め後ろの通路を見ると茶色で前髪を垂らした女がこっちをじっと見ていた。
涼子だ。
パチンコを一旦やめ、康夫は涼子に近づこうとした。
しかし涼子は歩いて視界から別の通路に姿を消した。
追いかけて声をかけてやろうと直ぐにその通路に行った康夫は言葉を失った。
涼子がいない。
背筋に冷たいものが走った。
ものの数秒で通路からいなくなる訳がない、絶対に後ろ姿でも見えるはずだ。
通路には2,3人パチンコを打っている中年の男がいるだけ、他にはいない。
嫌なものを感じ、パチンコをやめ家に帰った。
それからというもの、康夫が出かけると必ずと言っていいほど、涼子らしき人を見掛けるようになった。
決まって追いかけると見失うはずがない場所でも姿を消していた。
康夫はどんどん怖くなり、家から極力出ない生活になっていった。
「涼子ちゃんの幽霊とでも言うのか?そんな非科学的な」
「だから生霊ですよ、そんなに恨みを持っているとは知らなかったんです。謝ろうと思っても何をされるかわからない。ずっと家に鍵をかけて出ないようになったんです」
秀敏は無言でコーヒーを飲んだ。喉が渇いている。
あまり味を感じない。
そんな様子に気づかない康夫は話を続けようとする。
「先輩に話を聞いてもらおうと思ったのは、もう限界だからなんです。家にまで来たんですよ」
康夫が家にこもり始めてから1ヶ月。
涼子を見ることも無くなり、少し精神が安定してきた。
今まで宅配サービスで食事や日用品の買い物をしてきたが、買い物ぐらい外に出てもいいかもしれない。
そう思いながらベッドに潜り、ウトウトしていた時だった。
誰かいる
体が固まった。喉が急に渇いてきた。
視界の隅に蠢くものが見える。
鍵は閉めているはずだ。入れるわけが無い。
暗闇の中で徐々に目が慣れてくる。
こっちを見ている涼子だった。
なんで笑っているんだ。
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで
堪らず家から逃げ出した。
繁華街にある安いホテルを取った。
家に帰ろうと思う気も出かけようと思っていた気も全て無くなっていた。
「……それで俺に連絡してきたわけか」
秀敏は胸ポケットからタバコを取りだしたが、吸わないで手で弄んだ。
「もう訳が分からないんですよ!俺はそこまで酷いフリ方をしてないと思ってますし、ここまで恨まれる思いがありません!先輩お願いです。謝る時に一緒にいてくれませんか?もう他の人にも頼れないんです!」
康夫は唾を飛ばしながら懇願してきた。
もう限界か……。秀敏はそう思い話を切り出そうとした、その時だった。
「ヒッ…!」
康夫は絶句した様子で店内の隅を見つめている。
「まただ、また来ている」
秀敏も康夫の見ている方を見た。誰もいない。
「康夫!誰もいないって、そもそも涼子ちゃん「いますよ!」
康夫は話を遮り立ち上がった。
「もうどうしようもないんだ…もう許されないんだ!」
そう言って康夫は店から走って出ていってしまった。
秀敏は呆然とその後ろ姿を見送っていた。
「いいんですか?追いかけなくて?」
声をかけられたので振り向いた。この店のマスターが驚いた表情で立っている。
「いや…あの……」
秀敏はなんと言っていいかわからなかった。
「何かあったんですかね。いやお客様の話を立ち聞きしたようで申し訳ないのですが、不思議な話だったもので」
秀敏はとりあえず吐き出したかった。今までの話の別の部分を。
「良ければ聞いて貰えますか」
涼子は半年前に事故で亡くなっている。
康夫がおかしくなったのはそこからだった。
大学の構内をブツブツ呟きながら徘徊し、涼子が隣にいるような素振りを見せていた。
周囲の友人はその様子を見て徐々に離れていった。
ある時にいきなり吹っ切れたようになったので秀敏が話しかけると
「別れてやりました!これでスッキリ切り替えます」
と笑顔で言っていたこと。
別れるも何も彼女はもうこの世にいないこと。
涼子がいないアパートの部屋の前で誰かに怒鳴っているのを見られたこと。
今の話でようやく分かった。
全て分かってしまった。
残された男の子は会計を済ませ店を出ていった。
帰り際に「すみません」と謝っていたが、彼ももうあの子と会うことは無いのだろう。
とりあえず私は「良かったら来てください」と言うしか無かった。
彼は力無く微笑むだけだった。
それからしばらく経ち、また彼が店にやってきた。
前と同じように他に客はいない。
カウンターに座るとコーヒーを頼んだ。
どこかに出かけるまでの暇潰しだろうか、スマホをひたすら弄りながら座っていた時だった。
スマホが振動した。着信や通知があったのだろうか。
画面を見ていたのも束の間青い顔で呟いた。
「康夫……!?」
確かあの時店から出ていった子のはずだ。
スマホを震える手で操作し電話に出た。
相手の声は聞こえない。
「お前どこに行ってるんだよ!捜索願まで出てるんだぞ!」
「いやお前そんな訳…えっ……」
通話が終わったのだろうか、彼は青い顔で私の方を向いた。
「どうしました?」
私が聞いた。
「あいつ…彼女と復縁して一緒に住んでるって…しかも後ろから確かに涼子の声がしたんです」
彼の行方は今も分からないという。
マスターは話が気になる もんすけ @monmontei
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