後日談 笑い合って、分かち合って

 不覚です。

 そういえば、あの場にはマリセアさんもおられたのでした。


「仲睦まじいご様子で、実によきことかと」


 じっくり観察された上、そのようなコメントをいただきました。


「…………」

「…………」


 リビングにて、並んでソファに座る私達は傍らに控える彼女に何も言えません。

 完全に、マリセアさんの一人勝ち状態です。


「私も――」


 と、マリセアさんが改まった様子で口を開かれます。


「私も、旦那様のことは案じておりました。本当に、よかったです」

「マリセア……」

「旦那様の初めての笑顔は、私も永遠に記憶に留めておこうかと思います」


 そう言って、マリセアさんはニンマリと明るく笑いました。

 これは、何かあるたびに思い出話として持ち出してくるタイプの覚え方ですね。


「……幸せに思っていいんだよな、これは」


 ラングリフ様が、半眼になりながら私に質問してきます。


「ええ、間違いなく」


 もちろん、そう思っていいに決まっています。

 誰かと一緒に笑って過ごせる状況が、悪いことであるはずがありません。


「ラングリフ様こそ、気持ちの整理はついたのですか?」

「いや、まだだ」


 神妙な面持ちで、ラングリフ様は首を横に振ります。


「母さん――、母上は俺を愛してくれていた。それを知れたのは嬉しい。だが、やはり急には変われないようだ。嬉しいし、喜ばしい。だが、まだ少し恨めしい」

「恨めしい、ですか……」


「どうしてもっと早くに教えてくれなかったのか、とかな。恨む理由なんて、もうどこにもないはずなのに、心のどこかでそれを探している俺がいる」

「そうやって、乱れた心の均衡を取り戻そうとしているのかもしれませんね」

「子供だな、我ながら」


 ラングリフ様が、軽い苦笑をしてみせます。

 その苦笑一つとっても、彼にとっては生まれて初めてすることのはずです。


 でも、とても自然な笑い方で、そこにぎこちなさはありません。

 ラングリフ様は「ああ」と声を弾ませました。


「これが、笑う、ということか。何とも気持ちがいいものだ。俺以外の皆が、これをずっと楽しんできたというのだから、妬ましくもなるじゃないか」

「これからは共に笑っていけるのです。それではいけませんか?」

「いけなくはないよ、人の笑顔だっていいものさ。俺にとっての最高の笑顔は、やっぱり君の笑顔だ、リリエッタ。我が心に燦然と咲き誇る、至上の『花』よ」


 そんなことを言って、彼はまた笑いました。

 いきなりの不意打ちはやめてください。ドキッとしたじゃないですか。


 何というか、笑えるようになって口説き文句にも余裕がにじんでいませんか?

 言い返そうにも、嬉しさに顔がゆるんで、何も思いつきません。


「それにしても――」


 と、ラングリフ様の目線は、傍らの卓上に置かれた日記帳に注がれます。


「母上の日記だが、よくも今まで残っていたものだ」


 ラングリフ様が言っているのは、アンジェリカ様のことなのでしょう。


「ラングリフ様は、アンジェリカ様については……」

「そちらは飲み込めるまで時間がかかりそう、あの方が元凶だったなんて」


 それを語る彼の顔は、やはり複雑そうです。


「許せないと、思いますか?」

「……どうだろうな」


 ラングリフ様が目を伏せます。

 アンジェリカ様のなされたことは許されることではありません。


 しかし、あの方はそれを誰よりも実感し、悔やみ続け、苦しみ続けてきた。

 そしてついに誰にも明かせず、誰からも許しを得られずに逝ったのです。


 王妃という輝かしい立場にありながら、それは咎人の死に様です。

 私も彼も、それを知ったからこそ、あの方を責める気になれませんでした。


「だけど……」

「はい?」

「それでも、俺があの人に感じたものは本物なんだと信じたい。偽りや幻でなく、アンジェリカ様は俺を案じてくれていた。そう思いたいんだ。甘いか?」


 そんなこと、あるはずがないじゃありませんか。

 ラングリフ様が疑問を覚えるのでしたら、私も少しだけ思うところを述べます。


「きっと、ラングリフ様がお考えになられている通りですよ」

「何か心当たりがあるのか?」


「その日記帳が、何よりの証ではないかと」

「これが……?」


 照明を受けたその日記を、私と彼が共に眺めます。


「あの部屋の鍵を持っていらしたのは、当のアンジェリカ様ではありませんか。あの方は、そうしようと思えばいつでもこの日記を処分できたはずです」

「……そうか。そうだな」


 そうなのです。

 アンジェリカ様こそ、実質的な日記の管理者であったのです。


「でも、あの方は処分することなく、自らの死に際して私に花の紋章の鍵を託してくださいました。推測に過ぎませんが、処分する気はなかったのではないかと」

「そうだとして、だがそれは、何故なんだろうか?」


 あら、鈍いお方ですね。

 そんなの、考えるまでもないことでしょうに。


「アンジェリカ様もラングリフ様を愛しておられたのですよ。我が子として」

「本気でそれを信じているのか?」

「それ以外に、どんな理由を思いつきますか?」


 本気を疑われてしまったので、本気で問い返して差し上げました。

 ラングリフ様は、しばし考えこまれるようにして、やがて肩をすくめます。


「参ったな、他には何も考えつかない。それが正解のように思えてきた」

「のよう、ではなく正解ですよ。そういうことにしておきましょう」


 王妃様はもういらっしゃらないのですから、私達で決めればよいのです。

 それをこっちで勝手に信じれば、故人の名誉を傷つけることもないでしょう。


「この部屋の鍵を、アンジェリカ様が持っていたことも、証拠の一つだな」

「ええ、ルリカ様がお預けになる以外、鍵を持つことはできないはずですから」


 推測の域を出ませんが、お二人はきっと、良きご友人であったのでしょう。

 それ以外に、ルリカ様がアンジェリカ様に鍵を渡す理由がありません。


「贅沢なことだな。俺には、二人も母親がいたのだ」

「ええ、本当に。どちらか分けていただきたいくらいですね」


 私はといえば、父も母も語る舌を持ちたくないような人でしたので……。


「すまないが、分けてやることは不可能だよ、リリエッタ」

「まぁ、ひどい。意地悪ですね」


「代わりに、俺の人生を半分あげるから、それで我慢してくれないだろうか」

「それはさすがにもらいすぎです。私も、私の人生の半分を差し上げます」


 言い合って、笑い合って、そこにあるのは普通の、かけがえのない幸せな時間。

 ついばむようにお互いの唇を触れ合わせて、ラングリフ様が言うのです。


「俺は、子供に恨まれるような親にはなりたくないな」

「そうですね。私も同じです。家族でずっと笑顔でいられたら、素敵ですね」

「実に素敵だよ。今すぐ叶えたいくらいに」


 ラングリフ様は軽く手を伸ばし、その指先で日記帳の表面を撫でました。

 それは名残を惜しむかのようでもあり、でもすぐに指は離れます。


 昔があって、今へと繋がり、私達は出会ってここにいる。

 いつか、私達も子供を授かるのでしょう。でも、まだそのときではないから。


「愛しているよ、リリエッタ」

「愛しています、ラングリフ様」


 互いに、確かめ合うようにして言葉を交わして、私達はまた、笑い合いました。

 あなたが『断崖の君』でなくなっても、私はあなたの隣で咲き続けます。


 ずっと。

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笑顔の花は孤高の断崖にこそ咲き誇る はんぺん千代丸 @hanpen_thiyo

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