カーブミラーと猫

甘夏

カーブミラーと猫

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 制服姿の遠山美月は、カーブミラーのオレンジ色のポールに身体を預けて、友人の亜希を待っていた。

 その鏡の映す先にマンションがあり、そこが亜希の住まいだった。


 真っ白な外観は真新さを感じさせるが、窓のサッシや落下防止の鉄格子の錆から二十数年という本来の築年数を思わせる。

 その外壁も元は薄いピンク色だった塗装を何度となく白く塗り替えたものだと聞いたことがあった。


 首をぐっと上にあげた状態でミラーを見ていたものだから、少し痛んできたと感じたところ、丁度亜希がエントランスから顔をだした。


「美月! 待ったよね。ごめんねー、お母さんがゴミ捨てとけって言うからさ。ほら、これ」


 その手には市の指定の可燃ゴミの袋。

 亜希は、パンパンに家庭ごみの詰まったそれを気怠げに運ぶ。


「ううん、そんなに待ってないから大丈夫。ゴミ捨て場ってそこ?」


 マンションに面した道路に沿って用意されているゴミ捨て場を指差す。烏対策の網が張られたそこにはすでにたくさんの家庭ごみが積まれていた。


「そうそう。あー、もうやだ。どっか行ってよ! もう」


「亜希どうしたの?」


 そう美月が口にしたと同時に、がさりと音を立てて一匹の黒猫が姿を見せて、足早に去っていった。

 建物の蔭に隠れたそれは、一瞬足を止めて振り返るように美月へと顔をむける。美月がそのとき身震いしたのは、それが一匹ではなかったからだ。

 コンクリートブロックの塀の上、二個先、三個先の電信柱の蔭、その他建物の陰りにあたる場所から一斉に視線を感じた。


「このあたり野良猫が繁殖しててさー、なんの病気持ってるかわかんないじゃない? 気持ち悪いのよ」


 亜希が言うように、一匹や二匹であれば可愛いと感じるものも、これだけの数が目に入ると少し気味の悪さを覚えるものだ。

 その姿がまるで、縄張りから立ち去れとでも言うようだったからだ。


「さ、ゴミも捨てたし、はやく学校いこっか」


「……うん」


 亜希と合流し二人並んで高校へ向けて歩きだした。そんな折、鼻先にむず痒さを感じ美月はくしゃみをした。

 コロナ禍移行、当たり前になったマスクの着用によって隠れてはいるが、美月の鼻先は赤く炎症をおこしていた。マスクの上から指で抑えるような仕草をとる。


「猫アレルギーじゃない? やっぱり居なくなっちゃうほうがいいのよ」


「ううん、ただの花粉症」


「へー、そう。でも邪魔なんだよねぇ。こういうのって警察? 市役所? あ、保健所か。よくわかんないけど行政の怠慢ってやつだよね」


 よっぽど悩まされているのか、亜希が口にするのは引き続きマンションにたむろしている野良猫についてのことだ。


「あー、まぁ……そうかもしれないね」


 極端な物言いをする亜希に対して、美月は砂を噛むように言葉を返す。


「ごめんね、美月は猫好きなほうだったりした?」


「ううん……飼ってたのは昔のことだし」


「なに? 死んだの?」


「ううん、居なくなっちゃったの。でも、もう老年だったし、猫って飼い主に死に目を見せないっていうから……多分」


 多分、もう死んでいる。

 そこまで口にするのを躊躇うように美月は下をむく。


「ふーん、猫又になってたりしてね! それで、いつか襲いにくるの! 鍋島のお家騒動みたいに!」


「やめてよもう」


「あはは、ごめんごめん。でも美月がそんな顔するってことは、よっぽど気に入ってたんだ? でも飼い猫と野良猫は別だもんね」


「え?」


 冷徹に言い切る亜希へ美月は思わず言葉をつまらせてしまう。


「だって、飼い猫は可愛いけど、野良猫とか捨て猫って汚いもん」

   

  |2|


 いつものように教室の中で美月はスマホを片手に昼の時間を一人で過ごしていた。

 液晶画面に映るのは、複数人の男性の名前と写真とプロフィール。

 その中で、良さげな相手に返事を打つ。

 

――今夜、会えます。


 メッセージを送って送信のボタンに指で触れる。カチリと長い爪がガラスにあたって音をたてた。


 一通りの段取りを済ませたあと、ペットボトルの蓋をあけて、水を一口含む。

 あわせて、一錠小粒の錠剤を含んで喉奥へと流し込んだ。

 そんな姿を見て、美月の前の席へ亜希がやってきて声をかける。


「なにー風邪〜?」


「ううん、まだ花粉症終わってないの」


 ふーん、と亜希は生返事をしたあと、そうそう! と満面の笑みで美月の肩に触れながら言葉を繋げる。


「聞いて聞いて。この前通学中に話したうちんとこの野良猫の件、やっと保健所が動いてくれるみたいでさ。今日とか明日には一斉にとっ捕まえてくれるみたい!」


「え?」


「でさー、管理組合とも揉めてるみたいなんだけど、去勢して保護するのか、そのまま処分するのかって」


「処分って……?」


「そりゃーもう、殺すんじゃないの? だって、誰も欲しがらないじゃん。賃貸マンションじゃ飼えないしねー。住民はみんな殺したがってるよ」


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「なになに、ホントにホ別の5千円でいいの? 君みたいな可愛い子なのに。なーんか、心配だなぁ。怖いお兄さんとか出てきたりしないよね」


 駅前のロータリー。待ち合わせたその男性は、見た目には30代くらいだろうか、なで肩の細身の男だった。

 明らかに夜のお仕事とわかる女性の格好と比べれば幾分は地味なものの、分かる人が見ればわかるほどには、それらしい姿の女がいた。

 緊張を隠しきれない男に対し、女は腕を絡ませる。


「そんなことないですから〜。友達もやってるし、いまどき普通ですよ。もー、そんなおどおどしないで早くホテルいきましょ?」


   ***


「やばいわ、まじ最高……! 生とか俺初めてだったんだけど」


 暗がりの中で、ぼんやりと光るデジタル時計が10時半を指していた。

 シーツに身を包んだ女が、くすりと笑みを見せる。


「ふふ、それなら良かったです。ところでお兄さん。あの、どっちがいいと思います? 友達が野良猫のことで迷ってるみたいで」


「え?」


「去勢か処分か。どっちがいいかって」



  |4|


「なーにー? 今日は授業中珍しく欠伸してたじゃん。谷岡先生ずっとあんたのこと睨みつけてたよ〜? てか、文句があるなら直接言えばいいのにねー。まぁ美月は真面目で頭いいから言えないか」


「そんなことないってば。昨日ちょっと夜ふかししちゃって……」


 昼休みに入るや否や、亜希が美月に声をかける。

 夜ふかしという言葉の通り、目の下に青白いクマをつくった美月は弁当を前にしてその箸は完全に止まっていた。


「あ、そういえば昨日って言えば聞いたー? また昨晩出たらしいよ。P活殺人鬼! めっちゃ現場やばかったんだってー、ホテルの室内が血まみれって! なんか凶器は見つかってないけど、鋭利な刃物で滅多滅多に斬り刻まれてたらしいよ」


 亜希の話題は市内で発生した殺人事件についての内容だった。

 数週間前より連続的に発生している事件で、依然犯人が捕まっていないこともありニュースや新聞でも大きく取り沙汰されている。


「そうなんだ? 怖いね」


「怖いよね〜、でもさ、でもさ。やっすい金でヤラせてもらおうって男とかキモいじゃん? 死んで当然? っていうかさ。ね? 美月もそう思うでしょ?」


「いや、でも……」


「おもってる! よね?」


 躊躇する美月に、念を押して詰め寄る亜希の言葉。

 その表情に普段の笑みはなく、どこか冷たい雰囲気すらあった。


「……うん。私もそう思ってる」


「だよね、だよね。あ、そうそう話変わるんだけどさ。私さ、欲しいものあるんだよね」


 美月の言葉に満足した様子の亜希が続けざまにそう口にした。

 間接的ではあるが、恐喝にほかならないその言葉に、美月は何も言わずに従う。

 机の中に手を入れて自身の財布を取り出し、そこから一枚の紙幣を抜いて亜希へ手渡した。


「……5000円しかないけど」


「ぜんっぜん足りないんだけど、ありがたく使っておいてあげる」



  |5|


 美月はいつもどおりの登校中に、亜希のマンションの前に差し掛かった。そのとき、以前のような視線を感じた。

 それは、かつての視線よりさらに多く感じられた。

 しかし周りを見渡してもその主である野良猫は見当たらない。左右を見渡すように首を振る美月。

 

 そして気づいたのだ。

 視線は複数のものが、ある一点から集中しているということに。


 その先に、向けて……つまり首をうえへと見上げて、カーブミラーに映るその正体をみつけた。

 一斉に整列し、正面を向いた十数匹の猫の群れが、鏡にびっしりと映り込んでいた。美月は思わず息をのんだ。


 ドサリ……と、手にもつ鞄を落とし、美月はその場に座り込んだ。


「やめて......! やめて! 鳴かないで」


 猫の姿は鏡のなかにしかいないというのに、美月の耳には一斉に鳴く猫の声が届いていた。その鳴き声に混じって思念のように感情が脳裏に浮かび上がり、たまらず声を荒らげたのだ。

 その感情は、怨念……恨みと言い換えるほうがいいかもしれない。

 鏡に映る猫が一斉に立ち上がる。

 逆立てた毛と、その威嚇するような声で、強い怒りの怨念を美月へと向けて露わにしていた。


「……もうやめて!」


 鳴き声の中、美月にははっきりとその声が、言葉として聞こえた。


――違う。同胞のお前ではない――あいつを殺せ。と。


「大丈夫!? 美月、なになに、調子悪いの? まだ花粉症治ってないとか」


 美月の後ろから唐突に声をかけた亜希。

 不意をつかれた美月は思わずびくりと身を震わせる。

 そして、はっとしたときにはもう、カーブミラーに映る猫の群れの姿も、その声もかき消えていた。


「ううん、大丈夫、ごめんちょっと立ちくらみ」


「そっか、まぁあんまり無理しないようにね」


「……うん」


「あ、そうそう美月! 聞いてよ〜、結局どうなったと思う?」


 まだその場から動けずにいる美月に対して、肩をバンバン、と叩きながら亜希は思いのままに話しを切り出す。

「なにが?」

「去勢か、殺処分か!」

 美月は返す言葉を失ったのか、無言のまま下を向く。


「17匹!! ぜーんぶ保健所がもってったって! 今頃ガス室でコロリだよね!! あはははは。んー、これですっきりした。空気が美味しい〜〜!」


「……」


「いやー、気分がいいわ。これで殺人鬼のほうも逮捕されちゃえば、街のためにもさらに良いのにねー。絶対死刑っしょ〜」


 美月はその場で、がりがりとアスファルトへ爪を立てる。

 ただ、一心不乱にくり返すうちに指の腹はアスファルトのざらつく岩肌に擦れて赤く血が滲んでいく。

 美月は痛みの中で、その爪だけは鋭く洗練されていくのを感じた。


「……死刑って、そういうのは裁判で決まるんじゃないかな?」


 がり、がり、がり、と何度となく爪を研ぐ。


「判例っていうのがあるのよ。2人殺したらだいたい良くて無期懲役か死刑。もう3人殺しちゃってるんだし、死刑よ死刑。あー、はやく捕まってくれたらいいのに。いっつも学校で馬鹿みたいに真面目ぶってるくせに美月、あんた何も知らないんだね」


「そう……そっか。まだ人間社会のことよく知らなくて……ごめんね亜希」


「え? 何言ってんのあんた。なんか……」


――気持ち悪いよ


 そう亜希が口にしたとき、美月のなかで一つの決心がついた。

 ゆっくりとに立ち上がった美月は、その眼に獲物の姿を捉えていた。

 四つ足で立つ、クラスメートの変わり果てた奇怪な姿に、亜希は初めて恐怖を覚えた。


「要するにさ。3人殺したら4人目も一緒ってことだよね」


 そんな、美月の鳴き声に呼応するように一斉に猫が鳴く。

 変わらずに佇むオレンジ色のカーブミラーには17匹の猫が亜希の姿を覗きこむように映っていた。

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カーブミラーと猫 甘夏 @labor_crow

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