かけがえのないもの
あこ
第1話
「
「待ってよぉ~。
いつもと変わらない登校風景。
ふと見上げると、今にも雪が舞い降りて来そうな冷えきった空気を纏う空。
なんの変哲もない、だけど私にとってはとても幸せなひととき。
ただそれも、あと数ヶ月で終わってしまうんだ⋯⋯。
──────────
私は
樹とは家が隣同士で、物心ついた頃から何をするにもいつも一緒だった。
そして今も、照らし合わせた訳でもないのに同じ高校に進学した私達は、三年間ずっと一緒のクラスでクラスメイトからは夫婦扱いまでされる程だった。
──────────
三年生になって数週間経ったある日。
「みんなぁ~! 来週までに最終進路希望を提出してくださいねぇ~!」
そう言って担任は記入用紙を配った。
進学と就職……理想と現実の狭間で私は悩んでいた。
「ねぇ、樹はどうするの? 進路⋯⋯」
学校からの帰り道、私は樹にそう尋ねた。
「俺は大学行って遊びまくって、モテまくるのさッ!」
「何言っちゃってんのよぉ~!樹がモテるわけないじゃん! 今の今まで彼女なんて出来たことないくせに!」
「うっせぇなぁ! そういう楓だって彼氏いねぇじゃんかよ!」
「私は出来ないんじゃなくて、作らないんです! その気になればいつでも作れるんだもん!」
そう。お互いこれまで、異性の影などこれっぽっちもなかった。
というのも、クラスで夫婦扱いまでされているように、私達二人はいつも、いつでも一緒だった。恐らく、もし好意を持ってくれる人がいたとしても、二人の間に入り込もうとは思えないくらいの雰囲気すら醸し出していたのかもしれない。
当の本人である私達は、仲の良い兄妹のような感覚なのだろうか、二人で居ることが当たり前すぎて、他の誰か⋯⋯という選択肢そのものが欠落してしまっていたのだろう。
そんな二人の間に恋愛感情が生まれるなどとは思ってもみなかった。
でも、それは違っていた……。
──────────
夏の始まり。セミが鳴き始めていた。
悩んでいた進路……とっくに結論は出していた。
でもなぜか、それを口に出せずにいた。
「樹……私ね、地元で就職する……」
私は意を決して、樹に進路を伝えた。
「えっ、そうなん? 俺はてっきり⋯⋯」
樹は、私が一緒に進学すると思って疑わなかったのだろう。素っ頓狂な声でそう反応した。
「これ以上、お母さんに大変な思いはさせられないなって……」
「そっか、楓んとこ、ひとり親だもんな⋯⋯」
うちは私が小さい頃に両親が離婚していて、母は女手ひとつで私を育てるために、ダブルワークまでしていた。
両親の離婚の原因は父親の借金。元々お金に頓着がなかった父親は、ギャンブルにハマって多額の借金を作った。
一時期は家にまで取り立てが来ていて、まだ小学生だった私はその怖さから、裏口から家を抜け出しては樹の家に隠れていた。
そんな時、樹は何かを察していたのか、何を聞くでも慰めるでもなく、ただただいつも通りに接してくていれた。
その優しさが私にはとても心地よかった。
「別々の進路になるんだな⋯⋯」
「そうだね⋯⋯」
私も樹も、その後の言葉が見つからなかった。
沈黙はとても重く、苦しかった。
今まで隣に居ることが当たり前だった二人が別々の進路を進む⋯⋯。そう考えただけで私を虚無感が襲った。決まっていた進路を口に出せなかったのは、きっとこうなることを恐れていたからだ。
私は、モヤモヤとした今まで味わったことのないこの感情が、自分が樹へ抱いてしまった恋愛感情なのだと確信した。
樹が、決してなくしたくない、かけがえのない存在なんだということを自覚した瞬間だった。
そして樹もまた、私と同じように感じていた。ただ、その事を私が知るのはもっとずっと後のことだったけれど⋯⋯。
──────────
冬休み明け、私は樹に対する恋愛感情を心に秘めたまま、日に日に近付く卒業がたまらなく嫌だった。
そんな私の想いとは裏腹に、クラスメイトは近付く卒業に心を踊らせていた。
ある日。
「みんなで卒業旅行行こうぜ!」
「私、聖地巡礼とかしてみたい!」
「おぉ、それいいねぇ!」
「樹と楓も、もちろん行くよな?」
私と樹を含めたクラスの仲良しグループは、高校生活最後の思い出作りのために一泊二日の卒業旅行を企画した。
行き先は山梨県。少し前に流行った恋愛映画の聖地巡礼だ。
樹とは何本も一緒に映画を観に行った。もちろん、旅行の目的地が舞台になった映画も。
映画が終わっても感動で号泣している私を、樹が指を差して大笑いしたのを思い出した。
いつまでも泣き止むことが出来ないでいた私を、樹なりの優しさで包んでくれたんだと、今は思える。
(そんなこともあったなぁ⋯⋯)
なんだか妙に感慨深い気持ちになった。
──────────
「ここ、あの駅だよね?」
「ここでみんなジュース飲んでたじゃん!」
「この景色、映画そのまんまだぁ~!」
聖地巡礼なんてしたことがなかったけど、来てみるとかなりテンションも上がって、みんな大はしゃぎだった。
その夜泊まった宿も、聖地のひとつだった。
押さえた部屋は畳貼りの和室の大部屋。上がったテンションと修学旅行のノリが相まって、みんなで夜中までワイワイ盛り上がった。
次の日、宿を後にした私達は何ヶ所かの聖地を巡った後、旅の余韻に浸りながら少しだけ長い道のりを、バス停へと向かってゾロゾロと歩いていた。
その道中、私は樹の隣を歩きながら、この幸せな時間が永遠に続いてくれることを願っていた。
(あと一ヶ月しかそばに居られないんだ⋯⋯)
ふとそんな事を考えていると、隣を歩いていたはずの樹が急に視界から消えた。
「樹⋯⋯?」
振り返ってみると、そこにはお婆さんに話しかる樹がいた。
「お婆ちゃん、大丈夫?」
大きな荷物を背負ったお婆さんが道に転がった野菜を拾い集めていた。
樹はそれを手伝っていた。
「私も手伝うよ」
私と樹は落ちた野菜を全部拾い、お婆さんに手渡した。
「ありがとぉ~ねぇ~、若いのに優しいねぇ~」
お婆さんはくしゃくしゃの笑顔でそう言った。
「こんなの当たり前だよ」
樹は少し照れくさそうに答えた。
そう、樹は本当に優しいんだ。困った人を放っておけない性格。そんな樹の優しさに、私はどれだけ支えられて来たのだろう。
「もう落とさないように気をつけなよ」
そう言って私と樹はお婆さんを見送った。
「あれ? みんなは?」
気が付くと少し先を歩いていたはずのクラスメイトの姿が見えなくなっていた。
その時、静かな山あいの田舎道に終バスの発車を伝えるクラクションが響いた。
「俺ら、置いていかれたんだ!!」
樹はそう言うと、とっさに私の手を取って走り出した。
バス停に着くと、クラスメイトの姿はなかった。残されていたのはクラスメイトが書いたであろう『good luck』と書かれたメモ。
「マジかぁ~!」
田舎の終バスは、都会のそれとは比べ物にならないくらい早い。ここから駅までは歩けば軽く三時間はかかる。
タクシーを呼ぼうと試みたが、隣町にしかタクシー会社がない上、不運なことに全車出払ってしまっていて迎えに来られるのは早くて二時間後になるとのことだった。
どうしたって終電には間に合わないこの状況に、私達は途方に暮れた。
そして今は二月。さすがに野宿も出来ない。
「宿探すしかないか⋯⋯」
「そうだね⋯⋯」
私達は歩いて行ける範囲の宿を探した。何件か電話をして、やっと泊まれる宿を見つけた。最後のひと部屋だった。
後から聞いた話。
先に行ってしまったクラスメイト達は、私達がふたりになるためにわざとはぐれたのだと思ったらしく、気を利かせたつもりでなんの連絡もよこさず、メモだけを置いていったらしい。
そしてそれが、まさに私たちふたりの運命を決定付けた。
その夜。
私たちは並べて敷かれた布団に入り、昔話をしていた。
あと少しで離れ離れになってしまうことを、束の間、忘れようとするかのように。
私は平然を装いつつも、心臓が飛び出るかと思うくらいドキドキしていた。それはもちろん、樹を異性として認識してしまっていたからだ。
「昔もよく泊まりっこしたよな」
「そうだね。お互いの家がどちらも自分ちみたいなもんだったからね」
その答えの後、少しの沈黙がふたりを包む。私は何か話さなきゃと思いながらも、胸の高まりを抑えるだけで精一杯だった。
「そうだ、覚えてるか? 赤ちゃんの頃の写真で、俺らが手を繋いで寝てる写真があったの」
樹が沈黙を破って話を始めた。
「うん、覚えてるよ。親達はカワイイ! とかって盛り上がってたけど、私はすっごい恥ずかしかったなぁ」
「そうか? 俺はすっげぇ嬉しかったぜ」
樹がそう言葉を発すると同時に、私の手に温もりが伝わった。
「樹⋯⋯?!」
飛び上がりそうなほどの衝動が私を襲う。
けれど私は、その手を振り払うでもなく、樹の温もりを素直に受け入れていた。
「俺さ、楓のことがずっと好きだったんだぜ。小さい頃から、ずっと」
「そ、そうなんだ⋯⋯。」
そう返すのが精一杯の私に、樹はこう続けた。
「四月になって離れ離れになるのがすごく嫌なんだよ⋯⋯」
樹の手に力が入る。
「俺、ずっと楓のそばに居たいと思ってる」
素直に自分の気持ちを打ち明ける樹がとても愛おしくて、気が付くと私の手にも力が入っていた。
「私も⋯⋯樹と同じ気持ち……。進路を決めてから、卒業なんてしたくないって、ずっと思ってた⋯⋯」
私は今まで言えなかった自分の気持ちを素直に打ち明けた。そんな私を、樹は何も言わず優しく引き寄せた。
私はそれに逆らうことなく、樹の腕の中へと誘われた。
「楓、大好きだ」
「私も。大好きだよ、樹」
交わす言葉は少なくとも、お互いの気持ちは痛い程通じていた。
私たちは、今まで抑えていた気持ちを解き放つかのように、強く、強く抱き締め合い、そして⋯⋯唇を重ねた。
──────────
「樹、がんばってね! 私が隣にいないからって浮気なんかしないでよ!」
私は冗談混じりに、精一杯の笑顔でそう言った。
「楓、お前も無理すんなよ」
四月になり、私たちの遠距離恋愛が始まった。
数ヶ月前、離れることがあんなに嫌だったのに、今はそんことは全く気にならない。
あの夜、お互いが同じ想いで、絶対に切れない赤い糸で繋がっていることを確かめ合えたのだから。
離れていても心は繋がっている。それだけで十分幸せだった。
満開に咲いた桜が、私達の未来を祝福してくれていた。
[完]
かけがえのないもの あこ @akochan1128
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