終章 帰還
久しぶりの朝の学校の教室で、みんなの視線が痛い。陽向が入ってきた瞬間、全員の目線が一度集中してすぐに気まずそうに逸らされる。が、それも一瞬で、ちらちらとこちらを窺っているのがひしひしと伝わってくる。
いっそ何もなかった体で受け入れて欲しいと願う陽向が、自席にたどり着いた瞬間、前の席の少年が椅子ごと振り返った。
「おはよ。――大変だったなお前も」
「お、おう。おはよう」
何でもない朝の挨拶と共に心配そうな表情を向けたのは岡辺順平である。彼の短く刈った頭の上で万年筆の付喪神が小さな手を振っている。声は聞こえない。
「事故ったんだって?大丈夫かよ」
「あー、うん。治るは治るから大丈夫」
このやりとりも何度目だろうか。
「何があったとか、聞いてもいい?」
順平が興味津々なのも無理はないと思う。陽向だってクラスメイトが三角巾で腕を吊るレベルの負傷をして登校してきたらものすごく気になるだろう。
「別に面白い話じゃないぞ。自転車で対向車避けたら畑に落ちただけだし」
「どんだけ深い畑に落ちたんだよ」
「そこに丁度農作業用の鎌が落ちてて、グサッと」
幾度目かになる事情説明を遠い目をしながら淡々と繰り返す。両親を始め、学校のクラス担任やらに繰り返した嘘は本当にあったことのごとく淀みなく話せるくらいに設定が固まっている。
「やめて、痛い!聞いてるだけで痛い!」
自分で訊いたくせに、順平は大げさに耳を塞いだ。それが教室内で耳をそばだてている野次馬たちへの牽制であることを、陽向はとっくに気付いている。
「終わり、この話終わり!訊いた俺が悪かった!」
顔の前で両手を打ち合わせた順平に感謝しながら自分の椅子を引く。ちなみに、倒れ込んだ場所で焚火をしていたので火傷をしたという少々強引な設定もあるのだが、そちらは説明しなくてもよさそうだ。
田舎なので、そういう畑など山ほどある。
〇
起きたら病院のベッドの上だった。
市立病院に文字通り担ぎ込まれて、処置室に直行して麻酔を打たれた辺りまでは記憶がある。いつか見た思い出そのままの天井に、この病院って天井のデザインどの部屋も一緒なのか、とかどうでもいいことを考えている間に目が覚めていることを看護師に発見されて大騒ぎになった。
体温やら血圧やら測定しているうちに春日野と密草が顔を出し、続けて寺尾と落合と剣持が様子を覗いて去っていき、最後にセリナが忍者みたいな動きでカーテンを揺らさずに入ってきた。
「あんまり聞きたくないんですけど、学校ってどうなってます?」
見舞い用のパイプ椅子に座った春日野に、陽向は恐る恐る訊ねてみる。
「そこは安心して。今日が連休最終日だから」
何と、まだ春の大型連休は終わっていなかったらしい。しかもまだ午前中だ。春日野たちがここにいるということは、まだ家族には連絡が行っていないのだろう。
腕組みして頷いた春日野は、事件の経過を教えてくれた。
稲月弥樹は死亡していたそうだ。遺体は身柄を拘束された稲月稜樹共々管理局の本部預かりになったという。今後の処分はそちらでなされるから、生安課が関わるのはここまでだ。
「一つ目は、何で逃げたんでしょうか」
あの時、撤退する必要はなかったはずだ。最大限の攻撃はセリナが防いだけれど、彼の妖力が底をついたわけではないことを陽向は知っている。
「これは推測だけどね」
瞑目した春日野の人差し指が宙で円を描く。
「君の血液が原因じゃないかな」
「……え、俺?」
予想外の答えに、陽向は比較的無事な右手で自分の顔を指さした。
「あー、ありうるかもな。人間の血は妖にとって劇薬だから」
「ああ、そう言えば妖気が穢れるんでしたっけ?」
人の血に触れると、妖の力が濁る。それが一つ目が出した刀にも適用されるのだとしたら。
「腕に刺さった刀を通じて、あいつの妖気が穢れた?」
自分で言って、陽向は首を捻る。密草と春日野は納得したように頷きを繰り返しているが、陽向はあの時の一つ目に妖気の穢れを見出していないのだ。
穢れるまでに時差があるのだろうか。それとも、穢れる予兆を察知したから逃げたのだろうか。
憶測を連ねる陽向を、春日野が打った柏手が引き戻す。
「それでね、陽向」
真面目な顔で向き直って、春日野が陽向を見つめた。その頭が下がって、頭頂部のつむじが目に入る。高身長な春日野のつむじを初めて見た。
「申し訳ない。ここまでの怪我をさせるつもりはなかった」
「あ、いえ、それは……」
春日野のつむじを観察していたら謝罪が飛び出して、陽向は慌てる。
「君が管理局を辞するのも仕方ないと思っている。このまま生安課にいたら、もっと怪我するかもしれない。だから、もし君が辞めたいと言うなら……」
「待って、待ってください!」
陽向にとっては死活問題な提案が飛び出して、大慌てで起き上がろうとして腕に激痛が走った。
「馬鹿、無理すんな」
密草が介抱してくれるが、何よりも先に春日野の言を否定しなければならない。
「辞めたく、ないです。」
痛みに耐えて絞り出した訴えに、春日野が瞠目した。
「むしろ、続けたいから。なので、親を誤魔化す方法、考えてください!」
「誤魔化すって君……」
呆れた春日野を後目に、陽向は必死である。痛みが薄れてきたのもこれ幸いと捲し立てる。
「できれば生安課関係ないとこで怪我したことにしたいんですけど。あ、ここの担当の先生も密草さんの知り合いなんですよね、口裏合わせてもらえませんか!?」
「待って、陽向。わかったから落ち着いて」
どうどう、と春日野が宥める。どうやら陽向の願いは通じたようだ。
「高校生が口裏とか言わないの。まあ、管理局のことが一般に知られるのはご法度だから、誤魔化す方向性なのはそうなんだけど」
大きく溜息を吐いて、春日野は肩を竦めた。
〇
そんな経緯を経て生まれた嘘八百だが、医者の口裏合わせの効果は絶大だった。
火傷と刺傷というコンボにちょっと強引な理由付けをして、バイトの帰りに事故って病院に運び込まれたという
陽向から興味を失った教室は、再びいつもの朝を取り戻していた。
「しかし、うちのクラスでも事故る奴が出るなんてなあ」
それぞれの会話に戻った教室を見ながら、順平がぼそりと言った。
「ん?うちのクラス?」
その物言いが単純に気になったので、陽向は訊き返してみる。
「おう。最近うちの学校事故多いらしくてな。二組の女子も一人入院してるって言うし、二年とか三年とかでも何人かいるらしいぜ」
陽向は除外してもいいと思うが、それにしても同じ学校でそこまで事故が重なるなどあるのだろうか。
「それがさ」
内緒話をするように口に手を当てて声を潜めた順平が、再び騒めいた教室の空気に引き摺られていく。顔を喧噪の矛先へと向けた順平を追いかけた陽向は、教室の入口で緊張の面持ちで佇む女子を見て微笑んだ。
陽向に気付いたのか、少女が一歩踏み出す。入学から一ヶ月半、ずっと休んでいた彼女の登場だ。クラスメイトたちは遠巻きに自席へ向かう彼女を見守っている。
「おはよ、セリナ」
目を伏せて気まずそうに歩くセリナに、陽向はついさっきの順平を思い出して声をかける。
「お、おはよう……」
びっくりした表情で呆然と挨拶を返したセリナに、様子を窺っていた女子生徒の一人が明るく割り込んだ。
「おはよ、稲月さん!久しぶりじゃん、入学式以来?何、上名、知り合いなの?」
矛先が自分に向いたのをいいことに、陽向はほとんど本当な事情を説明する。
「バ……この前参加したボランティアで一緒になってな」
「へー!ボランティアとかやってんの、二人とも。何の?」
「えーっと、生活支援系?」
妖のだけど。バイトと言いかけて訂正して、それ以外は嘘は言っていない。
「へー、すごいね。私もなんかやろっかなあ」
「リサ、部活もあるじゃん。無理だって」
クラスの女子のリーダー的存在である彼女が会話に入ったことにより、他の女子も集まってきた。そこからボランティア談議に移り変わっていく。
「大丈夫だっただろ」
会話に置いていかれたセリナが突っ立っているので、陽向は頬杖をついて笑って見せる。他の女子たちで見慣れたはずの制服が妙に新鮮だった。
「う、うん」
まだ困惑しているようだが、幸いにもこのクラスは今のところ陰湿な雰囲気はない。怪我をしたクラスメイトに興味と同情こそあれ、それを揶揄うような空気はない。だから、一ヶ月休んでいた生徒が一人復帰したところで話題にこそなれ、それで嫌な思いをすることはないと踏んでいる。
「そだ、稲月さん、ずっと休んでたから当番とか知らないでしょ。後で委員会とか決めようね!」
さすがは学級委員長。見た目は派手で荒っぽい印象のある彼女だが、非常に面倒見がいい。
「リサち、ちょっとは落ち着きなよ。稲月さん引いてるって」
「あ、あの!」
自分から声を出したセリナを少し意外に見上げていたら、勢いよく頭を下げた。赤みがかった茶色のポニーテールが大きく跳ねる。
「ぴ!」
鞄の中で、こっそり連れてきた子龍が尻尾を振った。
「大丈夫そうだな」
委員長に引っ張られて女子の輪に入って行ったセリナを見送って、陽向は相好を崩す。他愛も無い会話を繰り広げる女子の中で混乱しながらも頬を緩ませているセリナは楽しそうだ。
そんなセリナの後ろ姿を眺めていた陽向を興味深そうに見上げる者が一人。
「おい、お前もしかして……」
「え?いや、違っ、別にそういうんじゃなく!」
にやついている順平に、陽向は大慌てで手を振った。
人界の龍-あやかし生活安心課秘録- 日秋じゃこ @jaco-chiri17
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