第99話 二月五日(日) 黒木ちゃんの手料理

 朝九時五分前に黒木ちゃんの家に行くと、矢野くんがもう来ていて、胸を暖かくするあの笑顔でおはようと挨拶してくれた。

「矢野くん、おはよう、というか、早いね。ああ、もしかして、昨日、泊ってたとか?」

 矢野くんは真っ赤になって首を横に振った。


 美羽ちゃんと村居くんが九時ちょうどに、遅刻魔の川野も九時五分にはやってきて、私たちは早速数学と英語の勉強をした。おなじみの矢野くんの解説はますます冴え冴えとし、もうほとんどどもることもなかった。私は矢野くんが響きのよい声をしているのに気づいた。解説の見事さとその声の響きに、聞きほれた。黒木ちゃんもうっとりとしている。川野も穏やかな顔をして、矢野くんの手元を見ながら耳を傾けている。美羽ちゃんがしみじみと言った。

「矢野っち、もういっそのこと、先生になったらいいんやない? 黒ちゃんと付き合いはじめてから、教えるの、ますますうまくなったよな」

村居くんも言った。

「俺もそう思う。矢野っちに自信さえついたら、怖いものなしやん」

 矢野くんが黒木ちゃんと目を合わせて照れたように笑う。そっと川野をうかがうと、物憂げな笑みを浮かべて矢野くんを見つめていた。少しだけ、心が痛んだ。でも、今なら私にもわかった。もう二度と目にできなくなることに比べると、自分に向けられた笑顔じゃなくったって、それを見続けられることは幸せだ。


 お昼は黒木ちゃんが腕によりをかけて準備してくれた料理をごちそうになった。大ぶりに切られた鶏肉がたっぷり入った見事な照りの筑前煮、カッテージチーズとかぼちゃのサラダ、しょうがのきいたキノコの炊き込みご飯。

「矢野くん、鶏肉がだめだったんだけど、この筑前煮なら食べられるんだって」

 黒木ちゃんが嬉しそうに言う。矢野くんは恥ずかしそうに笑っている。

「確かにこの鶏肉、嫌な臭いが全然ない。鶏肉が違うん?」

美羽ちゃんの質問に、黒木ちゃんはきちんと下処理すれば臭みは抜けるんだよと解説してくれた。

 川野がたずねる。

「この香り、山椒?」

「うん、山椒。こってり目の味付けやけん、粉山椒をかけると、コクがあってさわやかな風味になるん」

「へえ、なるほどな、俺、柚子胡椒はよくつかうけど、山椒はなかったなあ、これいいわ」

 黒木ちゃんが目を丸くした。

「え、川野も料理するん?!」

「うん。これ、もらいやわ。今度やってみよ。矢野っち、いつもこんなうまいもん食べさせてもらっとるんやな。矢野っちさあ、これが普通の女子のレベルや思ったら、大間違いやで! なあ!」

 そう言って、私と美羽ちゃんのほうをちらりと見た。美羽ちゃんは動じることなく、

「ほう、そうやな、川野、どうやら相当腕に自信があるみたいやけん、後学のために、次は川野の得意料理を食べさしてもらおか」

 川野もにやっと笑って応戦した。

「おう、まかせとけ、テスト終わったら、たっぷり食わしてやるわ」

 三時には黒木ちゃんご自慢のドライフルーツがごろごろと入ったパウンドケーキを堪能した。

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